漣タケ

 アイツの胸の上で呼吸を整えていた。まだ夕飯には早い時間だった。
 じんわりと全身を包む汗に、風呂に入らなくてはと思いつつ、もうしばらくこのぬくもりに包まれていたいと力を抜く。うるさかった鼓動がおさまってきて、まろやかな倦怠感が襲ってくる。
 俺の頭の上で長く息を吐いていたアイツが、おもむろに俺の髪を撫でた。撫でたというより、掴んで離すような、髪の動きを遊ぶ仕草だが、俺はそれが酷く心地よくて目を瞑る。
「チビ、ここで寝んなよ」
「寝ない……風呂入るだろ」
 全身でアイツの体温を感じる。さっきまで俺のナカで激しく動いてたとは思えない静けさに抱きしめられながら、アイツの肌のたくましさを味わう。薄暗くなった室内。カーテンをしめなければ。
「う……」
「ここ居ろ」
 騎乗位はかなり疲れる。足の付け根の重苦しさにうめき声をあげたら、アイツに身体を転がされた。
「水か茶」
「……水」
 布団の上で、ああ汗が染みこんでいく、と思った。下手したら俺やアイツ自身の体液も零れている。アイツが外したゴムの結び目を思った。固ければ固いほど、二人の秘密を閉じ込めているような罪悪感。仄甘い密事。
 アイツは冷蔵庫前でミネラルウォーターをペットボトルから直接飲み、そのあとコップを取りに行った。俺の分をコップに注ぐなら、自分もその時飲めばいいのに。直飲みするなって、あれほど言ってるのだから。
「ホラ」
「……サンキュ」
 行為のあとの、この優しさを、他人は知らない。ぶっきらぼうで不器用ながら、アイツなりに労わってくれる。俺はこの時間が好きだった。全身に乱暴な愛を受けた後の、綿あめのような優しい愛。甘ったるさも疲労に心地よい。
 こくり、と喉を潤せば、アイツの味の汗が消えていく感覚がした。するすると体内を落ちていく冷たさに、頭が少しずつ冴えていく。
「風呂、溜めるか」
「そうだな」
 普段のアイツなら絶対しない提案を、俺は茶化さずに受け入れた。本来、優しいのだ、彼は。知っているのは俺だけでいい。
 湯船がどぼどぼと溜まる音が部屋に響く。身体がすっかり冷える前に溜まって欲しいが、このまどろみから抜けるタイムリミットが近付いているようでもあった。
 ベッドに腰かけたアイツに、頭をもたれかける。拒否されないことは分かっていた。二人とも疲れ切って会話などなかったが、それでよかった。アイツの匂いを鼻腔いっぱいに吸いこんだ。この匂いに包まれるのが好きだ。世界中で一人だけ、絶対に俺から目を離さない存在がいることに、泣きそうになるのを堪える。
「溜まったぞ」
「ああ」
 風呂に向かいながら、部屋の灯りを点けた。風呂から上がったら夕飯の支度をしなければならない。部屋の用意は整えておくべきだ。コップもシンクに移して、俺はアイツの背を追いかけた。
 この小さな家の狭い風呂じゃ、俺とアイツが同時に浸かればぎちぎちだった。それでも二人でたっぷりと湯に浸かる。足をどこに置けばいいかわからなくなり、無言でアイツと絡ませ合うが、そんなことをしているとお湯はどんどん零れていく一方だ。二人で苦笑しながら、それとなく居場所を落ち着ける。
「なあ」
「んだよ」
「子供のころ、言い間違えってしてたか」
「んだソレ」
「言葉を間違えて覚えること、あったか。俺は『血が出てる』って言い方のせいで、血のことを『チガ』だと思ってた」
「ハッ、チビらしいな」
 けらけら楽しそうに笑うアイツを見るのが好きだ。この瞬間、心も裸になれている気がする。
「そんなモンねーな」
「うそつけ、一つくらいあるだろ」
「親父がそういうの許してくれなかった」
「……そうか」
 厳しい親だったのだろう。俺の知らないアイツは、どんな子供だっただろうか。この先、大人になっていく姿は、ずっと追っていられるだろうか。ちゃぷちゃぷと、水面に波紋が広がる。
「……つまんねーこと考えるなよ」
「え」
「オレ様がチビのこと離すわけねーだろ」
 お見通しか。アイツは俺の額に手を当て、前髪をぐっとい上に持ち上げた。上から落ちる水滴がまぶたに跳ねる。
「ずーっと、オレ様だけ見てろよ」
「……それはどうかな」
「ンだと」
「ファンのみんなのこと、見なきゃだろ」
「……チッ」
 額から降ろされた手で頬を挟まれる。そのまま顎を掴まれたかと思うと、アイツの顔に引き寄せられた。
「……ん」
 ちゃぷ、ざぶん。水面が揺れて、お湯が零れる。嫌と言うほど交わし合ったはずの口付けに、溺れ死にしそうだった。
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