漣タケ

 鼻をかんだティッシュをゴミ箱に向かって放り投げたら、少し左に逸れて入らなかった。外では秋の風が吹いている。
「ハッ、だっせーの」
 めざといアイツはけらけらと笑い、新しくティッシュを取るとぐしゃぐしゃと丸め、席に座ったままゴミ箱へ放った。ティッシュはそのまま吸い込まれるようにゴミ箱へ入り、アイツは得意げに鼻を鳴らす。
「見たかチビ!」
「こんなことでいちいち騒ぐな」
 俺だって、そのくらい出来る。先ほどのティッシュはゴミ箱に入れ直し、俺も新しく丸をぐしゃぐしゃと作った。
「おい、そこからじゃ近いだろ。オレ様んとこからじゃねーと勝負になんねえ」
「細かいヤツだな」
 まあ言われてみればその通りだから、俺はしぶしぶアイツの隣に座りなおした。手首のスナップをきかせて、ゴミ箱を狙う。
「……っし」
 丸はうまいことゴミ箱に入り、それはさながらバスケのゴールにシュートを決めた時のような快感だった。汚れていないティッシュを二枚も無駄にしてしまったことはこの際目を瞑ろう。俺は無意識のうちに小さくガッツポーズをしていて、隣にアイツがいることを思い出して少しだけ恥ずかしくなった。
「オレ様の方が先に入ったからオレ様の勝ちな! チビは一回外してるし」
「あれはちゃんと狙ってなかったからだ」
 アイツがもう一枚ティッシュを取ろうとするのをあわてて制し、溜息をつこうとしたその瞬間、むずむずとした感覚が鼻を襲う。
「……っくしゅん」
「なんだチビ、カゼか」
「いや……ちょっと、寒かっただけだ」
 ここのところ、気温が急に下がり、先日までカンカン照りだった太陽が大人しくなっていた。夏から秋へ、急にスイッチが切り替わったかのような。
「窓、開けてたんだった。閉めるぞ」
 冷房いらずでありがたいと、換気の意味も含めて窓を開けていたのを思い出した。薄暗くなってきた空をカーテンで遮る。そういえば、今年の夏は忙しくてカーテンを洗濯できなかった。カーテンを洗濯するなんて発想は自分にはなかったが、円城寺さんが「夏場なら洗った後そのまま掛けておけば乾くからいいぞ」と教えてくれたのだ。実践しようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
「……チビ」
「なんだ」
「ん」
 振り向くと、アイツがパーカーを脱いで、こちらに差し出していた。俺は一瞬なにをされているのかわからず固まってしまったが、やがてそれがアイツなりの優しさだと気付く。
「……上着も、長袖も、この家にあるんだが」
「……いらねーのかよ」
「……い、る」
 恥ずかしさから拒否しようと思ったものの、今この部屋には、俺とアイツの二人きりだ。誰に見られるでもない、アイツの珍しい優しさを無下にする必要もない。
「……あったかい。サンキュ」
 アイツのパーカーからはもちろんアイツの匂いがして、さっきまでのアイツの体温がほんのりと身体を包み込んでくる。さっき、ゴールにシュートを決めたご褒美なのかもしれない。照れ隠しか、ムスッとしてそっぽを向いているアイツに、俺は声をかける。
「オマエは、寒くないか」
「あたりめーだろ」
「じゃあ、一緒に買い物行かないか。散歩ついでに、何か買ってやるよ」
 めんどくさい、なんでオレ様が、そのくらいは言われると思っていた。だけど予想とは裏腹に、アイツは素直に「行く」と答え、立ち上がった。どうしたんだ、今日は。
「なんで今から散歩なんだよ。もうすぐ夕飯だろ」
「……オマエが、パーカー貸してくれたから」
 あたたかかったから。理由なんて、それだけだ。
「そんくらい……チビはチビだから、すぐ冷えちまうんだろーな!」
 そんくらい、の次は、なんて言おうとしたのだろう。こいつも十月の空気にあてられたのか。
 秋空はどこか、こころの隙間に風を差し込んで、さびしくさせるように思う。だけど今日は、アイツのパーカーがある。俺はもうくしゃみをしなかったし、次に鼻をかんだら、今度こそ一発でゴミ箱にシュートを決めようと思う。さびしさなんて感じてる暇はない。
「どこまで行こうか」
「……どこでも」
 隣を歩くアイツがくしゃみをするまで、俺たちは並んで歩いた。すっかり暗くなった空に、都会の星がうっすらと溶けていた。
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