漣タケ

 事務所のソファで寝ていたら、枕代わりのクッションの下で、スマホがブルブルとうるさくて目が覚めた。朝のアラームとして置いているだけなのに、なぜ夜中に起こされなきゃならないんだ。表示を見ればチビからだったので、画面に指をスライドさせ着信に応じる。
「……んだよ」
「悪い。寝てたか」
 チビの声が片耳に響く。寝起きの頭はまだふわふわとしていて、まるで目の前にいるかのような錯覚に陥った。
「何の用だ」
「オマエ、今日はどこ泊ってんだ」
「事務所」
「そうか、ならよかった」
 今夜は少し冷えるから。そう言ってほっと息を吐くチビが見える。大きなお世話だ、多少の肌寒さなど寝ていれば紛れてしまうのに。
「用がねーなら切るぞ」
「……なくちゃだめか、用」
 チビの声はいつもより張りがない。さては夜の空気に飲まれたか。チビはチビらしく早く寝ちまえばいいものを、台本でも読み込んで心が引っ張られたのだろう。部屋の隅にある観葉植物がさわさわとこちらを窺う。
「眠れねーのかよ」
「少し。オマエはどこでも寝れていいな」
 挑発のつもりか、乗ってやろうかと思ったが、おそらく違う。今のチビに突っかかってもなにも面白くない。チビが眠くなるような話題はなにかあったろうかと、知らぬ間に思いを馳せていた。
「……今日の顔弄るヤツ、オレ様のファンだったな」
「メイクさんか。確かにそんなこと言ってたな」
 他愛もない話。わざわざ口にするまでもない話。チビが求めるならしてやろう。いつもなら一蹴して笑っているところだが、なんだか今夜は付き合ってやってもいい気がした。隣に体温のない夜が自分にとっても久々で、ビルの窓の、ブラインドの隙間から零れる夜景が頼りなくて、チビの細い声は存外耳に心地よかった。
「……チビは、どうだったんだよ」
「え」
「今日」
 チビの一日なんて興味ないけれど、どうだっていいじゃないか、そんなこと。お互いの声だけが繋ぎとめるこんな夜には、しがらみなんていらない。
「……オマエ、今日、泊りに来るかと思ってた」
「そーかよ」
「……だから、……なんでもない」
 おそらく、チビの布団の横に、オレ様用の布団が敷いてある。他の誰でもないオレ様のために。
「さみしーか」
「そんなこと言ってない」
 嘘が下手だ。ふ、と笑いを零して、毛布をかけなおす。チビの家の毛布も事務所の毛布も、同じくらい薄っぺらだ。
 ずず、と何かをすする音が聞こえた。ホットミルクでも飲んでいるのだろう。チビは眠れない夜、ホットミルクを飲む。オレ様も何か飲もうかと、事務所の冷蔵庫を開けた。
「冷蔵庫、たぶん何もないぞ」
「なんでわかんだよ」
「歩く音と、開ける音がした」
 何でもお見通しだ、と言われた気がしてむずがゆくなる。こっちだって、チビのしていることはお見通しだというのに。
「……眠れそうか」
「オレ様はチビと違ってどこでも寝れるからな」
「悪かったって」
 チビの声がやわらかくなってきた。そのうち眠りにつくだろう。こんな、数分、声を聞いただけで眠くなるなんて、チビはどこまでもチビだ。
「……眠く、なってきた」
「よかったな」
「ああ。サンキュ。……おやすみ」
 ソファに戻り、毛布をもう一度かぶりなおす。ここは風がない。車の通る音がする。
 隣にチビのいない夜。空っぽの布団の横で寝てるであろうチビの、小さな声。
「おやすみ」
 アラームが鳴るまで、スマホはもう振動しないだろう。クッションの下に放り、改めて目を閉じた。
 世界の帳を下ろしながら、チビの声を反芻する。「なんでもない」と言ったチビのことを、抱きしめたいと思った。「ここにいる」と言いたかった。それが叶わないのなら、まあ、おやすみくらい、言えてよかった。
 朝起きたら、チビに会いに行こうと思った。ロードワークから帰ってきたチビをびっくりさせてやろう。うっすらと意識を手放しつつ、明日の予定が決まったことにほくそ笑む。
 あとは朝の自分に任せて、微睡の中に落ちていった。おやすみという言葉に浸りながら、夜はとくとくと更けていく。
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