漣タケ

 晴れだか曇りだかよくわからない午後、行き交う車の多さに辟易していた。
 横浜の、大通りから横に逸れたこじゃれた小さな道に、その店は面していた。紺色の軒下に、眩い黄色のランプで店名が灯されている。
 チビが来店時間を予約していたからか、女性の店員が待ち構えていたように出迎えた。白いシャツに黒い腰エプロン、まるでカフェの装いだ。店内には青いタイルと霞んだ色のドライフラワーが溢れ、ここだけ異国のようだった。
「本日はご来店ありがとうございます」
 室内では僅かにピアノクラシックが流れていたが、全体的に静まり返っている。店員もヒソヒソ声の音量で話した。隠れ家、秘密基地、そんな言葉が似合う場所だった。
 
 指輪を買いに行きたいと言ったのはチビからだった。これからも一緒に歩んでいく、約束がほしいと。証を形にしたいと、そう呟いたベッドの中、オレ様は「好きにしろ」と言いながらチビの髪を遊んでいた。
「どうせ付けねーだろ」
「いいんだ、持ってるだけで。案外そういう人多いらしいぜ」
「フーン」
「……嫌か?」
「嫌じゃねーよ」
 ただ、買っても付けないのにな、と不思議だった。日常で使えるものでもないし、食いモンでもないし。買うだけ無駄じゃないのかと思ったが、腕の中のチビが嬉しそうに照れているのを見て、そんな考えはどこかに消えてしまった。
 
「こちら、サンプルのリングになります。気になるものから、ぜひご試着ください。実際に付けてみると印象が変わったりしますから」
 白い手袋をはめて、貴重そうに木の箱を運んできた店員が言った。箱の中にはずらりと指輪が並んでおり、太いものやら曲がったものやら、よく見ないと違いがわからないような、様々なデザインの銀色が光っている。
「あ、これホームページで見たやつだ」
「ご覧いただいたんですね、ありがとうございます」
 チビは真ん中がツイストしてある指輪を取り、指に嵌めて数秒考えていた。「お連れ様もどうぞ」と言われたが、オレ様は自分の指よりチビを見ていたかった。
「……シンプルなのがいい。俺たちには、シンプルなので」
 指輪を外し、オレ様に目配せをする。ああ、そうだな、オレ様たちに繊細なちゃちいやつは似合わない。
「太さも色々ございますよ」
「つけてみよう」
 チビにそう言われ、しぶしぶ目の前の箱に手を伸ばす。ゴツいのが強そうだとは思ったが、邪魔にならなそうな細いものを選んだ。
「ああ、それいいな」
「真ん中だけ、艶消しになってるんです。ニュアンスがあって、隠れたおしゃれですね」
 側面は艶々としていて、真ん中だけ曇ったデザイン。宝石や刻まれた模様ほど主張のない、程よい存在感。
「うん、俺もこれがいい。これにします」
「かしこまりました」
 店員は幸福そのもののような笑みを浮かべ、恭しく書類にペンを走らせた。もう一度オレ様たちの指のサイズを測り、指輪の種類を記入する。
「内側に刻印も出来ますが」
「……するか?」
 チビの顔には「したい」と書いてあった。じゃあ、すればいい、何を悩む必要がありやがる。
「お名前でも、イニシャルでも、記念日でも」
「……じゃあ、イニシャルを」
 RとTの字を注文して、チビは照れたように笑った。コイツの宝物が増えた瞬間を、そういえば初めて見た気がする。
「では、出来上がり次第またご連絡しますね」
 秘密基地から出ると、外は暗くなりかかっていた。店名の電球の明るさが増したように思う。
「せっかくだから、何か食ってくか」
 ヒソヒソ声のまま、オレ様たちは大通りへ向かった。お互い、マスクの中で僅かに笑っているのがわかった。二人だけの秘密をこさえたのは、なかなかにスリルと感動がある。車の往来は相変わらずだったが、昼間ほど癇に障らない。誰もオレ様たちに気づかなければいい、と思った。そんなことは無理なわけで、いつもなら注目されたい自分としては意外な心境だったが、今のチビの顔を誰にも見られたくなかった。
「中華街行くか」
「ああ」
 指輪を受け取ったら、オレ様からチビの指に嵌めてやろう、と思った。その時、チビはどんな表情をするのだろう。オレ様の知らない顔をするかもしれない。誰にも見せたくない。らーめん屋にも、下僕にも、あの秘密基地の店員にも。
 ドライフラワーの残り香を蹴飛ばしながら、チビの手を取った。この指先まで、オレ様のモンだ。
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