漣タケ

 夏場にカフェの窓際の席に座るのは、グラスの氷が溶けるのが早くなるということと同意だった。
 机の上に水たまりを作っていくグラスを手に取ると、ぱたぱたと水滴が垂れて、ズボンが濡れた。薄まったハニーオレの底をゆっくり吸い上げる。ずごご、という音は、何となく下品な気がして出したくない。
 対してアイツはそんなこと気にしていないらしく、豪快に音をたてながらグラスを空にした。まだ出るには時間があるのに。レッスン後に二人だけの仕事があり、円城寺さんとは解散済みだ。
「見てるだけでもあちー」
「何がだ」
「外」
 燦燦と照り付ける太陽と、陽炎を生むアスファルト。数十分後にはもう一度あの中に出なければならないのは億劫だ。
「スタジオは涼しいから」
「シャワー浴びてえ」
「それは同意だ」
 メンズ香水のモデルに抜擢された俺たちは、このあとメインビジュアル撮影の予定だった。秋に発売されるオーデコロンで、俺が金木犀、アイツが銀木犀。金と銀のイメージカラーで、対比させるようにデザインするというところまで打ち合わせで聞いている。
 ネイルもすると言っていたから、短く切りそろえてきた。つやつやとした爪先を見ながら、ボクサー時代は爪なんか気にしなかったのにな、と思いを馳せる。グローブの下で汗を握りしめていた俺が、柔らかな香りを纏うイメージキャラになるなんてな。
「もう一杯」
「ハラ壊すぞ」
「そんなヘマしねーよ」
 席を立ったアイツの肩から、するりと銀髪が流れる。銀木犀という花は知らなかったけれど、きっとアイツに似合うのだろう。俺は自分に金木犀の印象は合わないのではと不思議に思ったけど、アイツとの対比なら負けたくない。
 パッションフルーツジュースを持って帰ってきたアイツは、席につくなり勢いよく飲みだした。グラスが汗をかく暇もない。ズラした黒マスクが煩わしくなったのか、ガサツに耳から外すとき、またさらさらと銀髪が揺れる。俺は暑さにやられてそれをぼうっと見ていたが、そういえば自分のマスクはどこにやったかと慌てて指先で探す。よかった、顎下にあった。ふ、と息を吐くと、アイツがじっとこちらを見ていることに気付いた。何か変だったろうか。
「ついてる」
「え」
 トントン、と自分の口の横を指したアイツを見るに、さっき食べたドーナツの残りが口の横に付いてたらしい。俺が動くより先に、アイツが腕を伸ばして俺の頬に触れる。指先はグラスに冷やされてつめたかった。
「あ、おい」
 アイツは俺の頬に付いていた小さな欠片を、そのままぱくりと指先ごと口に運んでしまった。食い意地の張っているやつめ、いやそれよりも、人の目があるのに。
「だせえの」
「うるさい……!」
 仕方ないじゃないか、腹減ってたんだし、そんな言い訳をしながら、一生懸命ドーナツに噛り付いている自分を想像して恥ずかしくなる。子供みたいだ、そんなの。ただでさえ童顔なのに、もうすぐ成人するから大人らしく振舞いたいのに。
 それに、いつもなら頬に食べカスを付けているのはアイツの方だ。キッとアイツを睨むが、今日はどこにも食べ物の欠片は付いていない。なんだよ、こんな時ばかり。
「……それ飲んだら、行くぞ」
「何怒ってんだよ、チビ」
 怒ってない、恥ずかしいだけだ。オーデコロンの似合う大人の男性になりたかった。金木犀の似合う魅力を纏いたかった。自分の子供らしさを自覚するたび、アイツとのあと一歳の差を嫌でも痛感する。
 アイツだって、普段の振る舞いは子供みたいなもんだ。わがままで、がさつで、乱暴で。なのに時折、ぐんと大人びた表情をする。悔しくないと言ったらウソになる。
 銀木犀を纏うアイツは、きっと綺麗なんだろう。
 ずごご、と音がした。アイツは満足げな顔をして、俺を促し立ち上がる。テーブルの上の水たまりをそのままにするのが申し訳なかった。
 炎天下の中、秋を作りにいくために歩き出す。俺の金木犀も、アイツの銀木犀も、この世界を彩る季節がそのうち来るんだ。滝のように流れる汗を拭いながら、俺は飲み込んだハニーオレの残り香を惜しんだ。
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