漣タケ
クランクアップです、の掛け声で、共演者やスタッフから拍手が起こる。まだ役が抜けきっていない俺は一瞬何がおきたのかわからず動揺し、理解したのちにお辞儀をした。黄色の花束を渡されて、その珍しい色に驚く。俺のイメージカラーが青だから、普段は青い花束を貰うことが多いのだ。鮮やかな包み紙の中で煌々と咲くひまわりは、夏を凝縮して輝いていた。
「んだソレ」
「今日、クランクアップだったから」
家に花瓶を置くようになったのは、やはり花束を貰うことが多くなったせいだ。細い花瓶、長い花瓶、種類も随分増えた。今手に持っているのは、水色の、側面がぎざぎざしたプラスチックの花瓶。光を反射して、揺れる水がきらきらと美しいデザインだ。これもファンからの贈り物で、もうすっかり我が家に馴染んでいる。花束の包み紙を剥がして、花たちの茎の端を切り落とす。
「オマエもこないだ花束もらってたろ。どうしたんだ」
「ジムショ」
「……まあいーけど」
事務所には、季節の花が色とりどりに咲いている。主にみのりさんの趣味で飾られているが、ときどきこうして家に飾りきれない花を持ってくるメンバーもいる。交代で世話をすればいいし、仕事で疲れた身体にちょうどいい癒しで、鑑賞するにはもってこいなのだ。アイツは花を飾る習慣はないから、だいたい事務所で飾ってもらっている。
「食べられる花ねーのかよ」
「さっき夕飯食べたばっかだろ。ツツジでも吸ってろ」
勝手に家に上がり込んで当たり前のように飯を平らげておいて、ずうずうしいヤツ。花瓶に水を張り、小さなひまわりを刺していった。こんな小さなサイズもあるんだな。ひまわりといったら大輪のイメージがあるから、華奢なそれは随分新鮮に思えた。
「……それ」
「ひまわりか?」
「太陽に向かって咲くヤツだ」
「花はみんなそうだろ」
「ちげーよ。太陽の方向追っかけんだとよ」
らーめん屋が言ってた、そう言いながらコップに残る麦茶を飲み干し、アイツはテレビに向き直った。俺たちの出ているバラエティ番組はつつがなく進行しており、番組としての出来も面白い。アイツがのめりこんで見るくらいだから、視聴者の反応も心配ないだろう。
俺はすべての花を花瓶にすっかり刺し終わると、ひまわり、太陽、とスマホに打ち込んでみた。ひまわりは、漢字で「向日葵」と書きます、との表示に、アイツはたまに物事に詳しいんだよな、と首を傾げる。
太陽を追いかける花、か。太陽なんて一年中出ているのに、どうして夏のイメージなのだろう。そりゃもちろん暑いからにほかならないけど、「夏」をイメージするとどうしても、太陽の下でひまわりが咲いている。
冷蔵庫から麦茶を取り出す。コップに氷をふたつ入れて、ゆっくりと注ぎ入れると、涼やかな匂いが広がった。麦茶も一年中飲めるのに夏のイメージだよなあ。コップに口をつけながら、ぼんやりとそんなことを思った。
早朝。ロードワークに向かうべく起きて身支度していると、めずらしくアイツも起きてきた。不機嫌そうな眉間の皺にまだ寝ていたい気配を感じるが、アイツもアイドルだ、身体づくりに向き合ってくれるなら同僚として歓迎する。
「オマエもロードワーク、行くか」
「……」
「俺はもう出るぞ。支度しろ」
「……ひまわり」
え、と振り返ると、アイツはひまわりの活けてある花瓶を探していた。玄関の脇にあると伝えると、のったりと玄関まで向かい、花瓶を手にリビングに戻る。何事かと思い見守っていると、アイツは花瓶をベランダに続く窓の前にそっと置いた。
「……何してんだ」
「太陽、見させないとだろ」
ひまわり。そう呟いて、カーテンをめいっぱい開ける。日光はまだごく僅かにしか差し込んでいないが、アイツは満足したようだ。俺の家に置きっぱなしのロードワーク用の服に着替え、俺の隣に立ち「今日こそ勝負だ」と意気込む。眉間の皺はとっくに消えており、じゃあとっとと行くぞ、と並んで靴を履いた。
二人で並んで走りながら、ふと道路脇の花壇に目をやる。いつも季節の花を植えてる家があって、今月はやっぱりひまわりが植わっていた。ついこの間までチューリップだったのに。そう言えばチューリップも花束で貰ったことがある。あの時は世話の仕方が分からなくて、事務所に飾らせてもらったっけ。ひまわりは先日まで俺の腰の高さだったのに、今ではもう目の高さを超えている。
「これも、太陽の方、向いてんのかな」
「そーだろ」
「今までちゃんと見てなかった」
「くはは、だろーな」
「オマエもだろ」
睨むためにアイツの方をみると、随分愉快そうに笑っていて。拍子抜けしそうなほど楽し気な様子に、怒る気もすっかり失ってしまった。だってなんだか、家に置いてきたひまわりを思い出させたから。
あの花瓶に活けた花も、太陽を恋しがって首を伸ばすだろうか。小さな花の願いを叶えてやれたらと思う。今朝のアイツは案外英断だったのかもしれない。暗いスペースを明るく出来ればと玄関に置こうとしたけれど、陽の光にあててこそ、夏の花は輝く。
「……ひまわり、みたいだな」
「なにが」
「なんでもない」
俺たちは今、太陽が昇る方向に向かって走っている。昼は太陽の下で暑い暑いと笑い、麦茶を飲んで汗を拭きながら、夏を過ごしていく。後で暑さにうんざりするのはわかっているのに、明るくなっていく空を見るのは嬉しい。
「一から育てるのも楽しいかもな」
「だから、なんの話だよ」
「ひまわりの話だ。聞いてなかったのか」
「なんだとテメー」
花壇なんて持ってないけれど、小さなプランターくらいならベランダに置けるだろう。この季節の花屋に行けば、種だって容易に買えるはずだ。わくわくしてきた。小さな夏を、俺がこの手で育てられるかと思うと。
「競争しようぜ」
「やっとその気になったかよ」
「いや、ひまわりの話」
「まだ続いてたのかよ!」
がなるアイツの眉間の皺を笑い飛ばして、俺は走るスピードを速めた。太陽に向かって走るのはいつだって楽しいけれど、今日はいつもより高揚感があった。ひまわりのおかげだ。家に待つひまわりと、これから咲くひまわりと。
それから、隣を走るひまわりと。
「どっちが早く家に帰れるかなら、受けて立ってもいい」
「! 望むところだ!」
ぱっと大輪の花を咲かせて笑うアイツに苦笑しながら、俺たちはUターンして、家路へ戻る道を蹴る。伸びる影はまだ薄くて、太陽がじりじりと一日の用意を始める音がした。蝉が起きる前に帰りたい。そして、花屋に行く用意をするんだ。
まだ熱くないアスファルトの上を走る俺たちを、道路脇のひまわりが、静かに見守っていた。
「んだソレ」
「今日、クランクアップだったから」
家に花瓶を置くようになったのは、やはり花束を貰うことが多くなったせいだ。細い花瓶、長い花瓶、種類も随分増えた。今手に持っているのは、水色の、側面がぎざぎざしたプラスチックの花瓶。光を反射して、揺れる水がきらきらと美しいデザインだ。これもファンからの贈り物で、もうすっかり我が家に馴染んでいる。花束の包み紙を剥がして、花たちの茎の端を切り落とす。
「オマエもこないだ花束もらってたろ。どうしたんだ」
「ジムショ」
「……まあいーけど」
事務所には、季節の花が色とりどりに咲いている。主にみのりさんの趣味で飾られているが、ときどきこうして家に飾りきれない花を持ってくるメンバーもいる。交代で世話をすればいいし、仕事で疲れた身体にちょうどいい癒しで、鑑賞するにはもってこいなのだ。アイツは花を飾る習慣はないから、だいたい事務所で飾ってもらっている。
「食べられる花ねーのかよ」
「さっき夕飯食べたばっかだろ。ツツジでも吸ってろ」
勝手に家に上がり込んで当たり前のように飯を平らげておいて、ずうずうしいヤツ。花瓶に水を張り、小さなひまわりを刺していった。こんな小さなサイズもあるんだな。ひまわりといったら大輪のイメージがあるから、華奢なそれは随分新鮮に思えた。
「……それ」
「ひまわりか?」
「太陽に向かって咲くヤツだ」
「花はみんなそうだろ」
「ちげーよ。太陽の方向追っかけんだとよ」
らーめん屋が言ってた、そう言いながらコップに残る麦茶を飲み干し、アイツはテレビに向き直った。俺たちの出ているバラエティ番組はつつがなく進行しており、番組としての出来も面白い。アイツがのめりこんで見るくらいだから、視聴者の反応も心配ないだろう。
俺はすべての花を花瓶にすっかり刺し終わると、ひまわり、太陽、とスマホに打ち込んでみた。ひまわりは、漢字で「向日葵」と書きます、との表示に、アイツはたまに物事に詳しいんだよな、と首を傾げる。
太陽を追いかける花、か。太陽なんて一年中出ているのに、どうして夏のイメージなのだろう。そりゃもちろん暑いからにほかならないけど、「夏」をイメージするとどうしても、太陽の下でひまわりが咲いている。
冷蔵庫から麦茶を取り出す。コップに氷をふたつ入れて、ゆっくりと注ぎ入れると、涼やかな匂いが広がった。麦茶も一年中飲めるのに夏のイメージだよなあ。コップに口をつけながら、ぼんやりとそんなことを思った。
早朝。ロードワークに向かうべく起きて身支度していると、めずらしくアイツも起きてきた。不機嫌そうな眉間の皺にまだ寝ていたい気配を感じるが、アイツもアイドルだ、身体づくりに向き合ってくれるなら同僚として歓迎する。
「オマエもロードワーク、行くか」
「……」
「俺はもう出るぞ。支度しろ」
「……ひまわり」
え、と振り返ると、アイツはひまわりの活けてある花瓶を探していた。玄関の脇にあると伝えると、のったりと玄関まで向かい、花瓶を手にリビングに戻る。何事かと思い見守っていると、アイツは花瓶をベランダに続く窓の前にそっと置いた。
「……何してんだ」
「太陽、見させないとだろ」
ひまわり。そう呟いて、カーテンをめいっぱい開ける。日光はまだごく僅かにしか差し込んでいないが、アイツは満足したようだ。俺の家に置きっぱなしのロードワーク用の服に着替え、俺の隣に立ち「今日こそ勝負だ」と意気込む。眉間の皺はとっくに消えており、じゃあとっとと行くぞ、と並んで靴を履いた。
二人で並んで走りながら、ふと道路脇の花壇に目をやる。いつも季節の花を植えてる家があって、今月はやっぱりひまわりが植わっていた。ついこの間までチューリップだったのに。そう言えばチューリップも花束で貰ったことがある。あの時は世話の仕方が分からなくて、事務所に飾らせてもらったっけ。ひまわりは先日まで俺の腰の高さだったのに、今ではもう目の高さを超えている。
「これも、太陽の方、向いてんのかな」
「そーだろ」
「今までちゃんと見てなかった」
「くはは、だろーな」
「オマエもだろ」
睨むためにアイツの方をみると、随分愉快そうに笑っていて。拍子抜けしそうなほど楽し気な様子に、怒る気もすっかり失ってしまった。だってなんだか、家に置いてきたひまわりを思い出させたから。
あの花瓶に活けた花も、太陽を恋しがって首を伸ばすだろうか。小さな花の願いを叶えてやれたらと思う。今朝のアイツは案外英断だったのかもしれない。暗いスペースを明るく出来ればと玄関に置こうとしたけれど、陽の光にあててこそ、夏の花は輝く。
「……ひまわり、みたいだな」
「なにが」
「なんでもない」
俺たちは今、太陽が昇る方向に向かって走っている。昼は太陽の下で暑い暑いと笑い、麦茶を飲んで汗を拭きながら、夏を過ごしていく。後で暑さにうんざりするのはわかっているのに、明るくなっていく空を見るのは嬉しい。
「一から育てるのも楽しいかもな」
「だから、なんの話だよ」
「ひまわりの話だ。聞いてなかったのか」
「なんだとテメー」
花壇なんて持ってないけれど、小さなプランターくらいならベランダに置けるだろう。この季節の花屋に行けば、種だって容易に買えるはずだ。わくわくしてきた。小さな夏を、俺がこの手で育てられるかと思うと。
「競争しようぜ」
「やっとその気になったかよ」
「いや、ひまわりの話」
「まだ続いてたのかよ!」
がなるアイツの眉間の皺を笑い飛ばして、俺は走るスピードを速めた。太陽に向かって走るのはいつだって楽しいけれど、今日はいつもより高揚感があった。ひまわりのおかげだ。家に待つひまわりと、これから咲くひまわりと。
それから、隣を走るひまわりと。
「どっちが早く家に帰れるかなら、受けて立ってもいい」
「! 望むところだ!」
ぱっと大輪の花を咲かせて笑うアイツに苦笑しながら、俺たちはUターンして、家路へ戻る道を蹴る。伸びる影はまだ薄くて、太陽がじりじりと一日の用意を始める音がした。蝉が起きる前に帰りたい。そして、花屋に行く用意をするんだ。
まだ熱くないアスファルトの上を走る俺たちを、道路脇のひまわりが、静かに見守っていた。