漣タケ

 唇の皮がめくれて仕方なかったのが、やっと治ってくる季節になった。
 そういえば今年は桜餅を食べていない。あの少し塩辛い葉は、いつ摘んでいるのだろう。「桜餅に使う葉を摘む仕事」、ぜひとも見学したい。
 日課のランニングで街をぐるぐる走っていると、折り返しの公園でアイツに呼び止められた。両手にはたい焼き。季節を問わないオヤツだけれども。
「チビ、オレ様と」
「うるさい。邪魔をするな」
 アイツの声を無視して、俺は走るのをやめない。春の真っ只中を少し過ぎたような、街の香りが好きだった。春になって、活気に溢れだした人間たちの、陽気な顔や声。汗をリストバンドで拭いながら、交差点を二つ超えた先の自動販売機を目指す。
 スポーツドリンクを買った。百六十円した。小銭入れをポケットにしまい、ペットボトルに口を付ける。ああ、桜餅。桜餅が食べたい。
「チビ」
 いつのまにか追いついていたアイツが、再び俺に声をかける。随分と息が上がっている。おおかた、たいやきを慌てて飲み込んでから急いで駆け出したのだろう。いつか身体を壊すぞ。
「オマエんちの近くのスーパー!」
「……ん?」
「だから! オマエんちの近くのスーパー!」
「それがどうした」
 スポーツドリンクを一気に飲み干して、横のゴミ箱へペットボトルを放った。ごしゃん、と中からペットボトルのぶつかり合う音が聞こえた。俺の知らない人たちが飲んでいった、空のペットボトルたち。空虚さと、街の営み。
「桜餅、百円引きだった」
「……それを早く言え!」
 俺が走り出すと、後ろから「無茶言うな!」と言う声がおいかけてくる。桜餅、桜餅。散ってしまった桜たちの残骸、余韻。四月の真ん中を折り返して、春は過ぎていく。
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