じじぃのアイドルピー




「ココ。10、9、8、7、6、5ココはだんだん眠くなる……4、3、2、1……すげぇ。ほんとに寝た!」
小学生の時、何かテレビでも見たのかイヌピーが催眠術もどきをかけてきたことがある。でも、プロならともかくガキのそんなの効くわけがないんだけど、あんまりイヌピーが一生懸命でかわいかったものだから効いてるふりをしてやったことがある。

そして、10代目黒龍の時にも何回かかかったふりをした。
「10、9、8、7、6、5ココはだんだん眠くなる4、3、2、1……俺、天才か。ココ寝た。あいかわらず催眠術使える。」
ふだんクールな不良ぶっているのに、何を思ったか小学生の時と同じ催眠術をかけてきたイヌピー。そんなもの効きゃしないのだが。イヌピーは俺を眠らせていったい何がしたいのか興味があったから寝たふりをしたのだ。
「寝てる。」
そう言ってイヌピーは俺の頬をツンツンつつく。
「寝てる。」
イヌピーはもう一度そう確認して、俺の隣に腰をおろした。そしてそっと俺の肩に頭を乗せた。
「こんなこと。ココが起きてる時はできないからな。ふふっ。」
と言ってしばらく俺の手のひらに自分の手を重ねたり、俺の髪の剃り込みを入れてる部分をショリショリして楽しむだけ楽しんでイヌピーもくーかー寝始めた。
な、なんだこれ…?
俺は寝たふりは得意なんだが、ちょっと難しいくらいたぶん今顔が赤いと思う。なんだこれかわいすぎやしないか。もしかして、イヌピー俺にくっつきたいのか?俺はめちゃくちゃ嬉しくなってしまい、その後もたびたびイヌピーの催眠術(仮)にかかったふりをした。正直なところ何かのはずみでイヌピーとは数回身体をつなげてしまったことがあり、でも当時は感情が赤音さんに対する気持ちと混ざり合ってぐちゃぐちゃだったから思いの通った行為だったかと言われたら非常に微妙だ。そんな行為よりもイヌピーの催眠術もどきにかかっている間の静かに寄り添っている時間のほうがよっぽど心が通っていたように思う。






「俺さぁ催眠術使える!」
「イヌピーもう寝ようね。」
「おい!ドラケン!」
けっこう酔っ払っている乾がよくわからないことを言い出したので、龍宮寺はとりあえず寝かしつけることにする。
「え。イヌピー催眠術使えるの?見たい見たい!」
「三ツ谷〜イヌピーを甘やかしちゃいけねぇ。町内会長もそば屋のご隠居もイヌピー甘やかすんだからこれ以上甘やかすヤツ増えたらダメだ。赤ちゃんになっちまう。」
今日は乾のアパートに集まって龍宮寺と三ツ谷とで酒を飲んでいるわけだが、乾が突然催眠術使えるとか言い出したので龍宮寺はネンネさせようとしているところである。酔っ払った乾がすることと言えば、誰かれかまわずお膝に座りTシャツをむやみやたらと脱いでピンクの乳首をさらし、気に入った膝の上で寝始めるのだから始末に負えない。もはやはやめに寝かしつけたほうが良い。町内会長もそば屋のご隠居も酔っぱらい乾のご乱心ピンク乳首のせいで乾強火ファンになってしまった。まぁそれだけでなく龍宮寺もあの通り気持ちの良い男であるため、最初おおいに不審がられていたヤンキーあがりのバイク屋はいまや町内会の飲み会のアイドル(いかつめの男ふたり組)であった。それはそれとして地域に馴染んでけっこうなことだが、三ツ谷は兄心が刺激されるのかしばしば乾を甘やかすからよろしくない。意外と乾は弟属性丸出しで調子に乗るので。
「ほんとだってば!ココには効いたんだから!」
乾はふだん九井のことをあまり語らないようにしているのに、酔って口が滑ったのかココという名前が出てきた。
「へ〜九井に効いたんなら本当じゃね?疑い深そうじゃん。ドラケンにかけてみてよ催眠術!」
三ツ谷が言う。
「10、9、8、7、6、5…ドラケンはだんだん眠くなる…4、3、2、1……。」
く〜か〜……
「え。え。ほんと寝た!?ドラケン寝た!?」
「な!ほんとだろ!」
「んなわけあるかよ!!!!」
「なんだぁ寝たふりかよ。」
「イヌピー悪いことは言わねぇ。おまえに催眠術の才能はない。」
「え!え……じゃあココってあれ起きてたってこと!?」
乾は酒のせいではなく真っ赤になっている。
「俺!!ココ寝てると思って!!くっついたり手繋いだりしたじゃん!!髪の毛ショリショリもした!!」
乾はそう言って恥ずかしさのあまり撃沈した。三ツ谷はアラアラかわいい小学生かな?と思い、ドラケンは九井わざと寝たふりしてたな嬉しくて、と九井のスケベ心を正しく理解した。
乾は恥ずかしさのあまりなのか、もともと酔いすぎだったのか、撃沈した格好のままスヤスヤ寝始めた。
「イヌピーまだ九井のこと好きなんかな?」
ドラケンが乾にブランケットをかけてやりながら言う。
「好きなんだろな……切ないな……」
三ツ谷がテーブルの上を片づけながら言う。九井は残念ながら悪の道に染まりきっとふたりはもうまじわることはないのだろう。





本日、乾はそば屋のご隠居のスクーターがこわれたとのことで、ご隠居宅に出向いて修理している。
「イヌピちゃん。それなおりそう?」
ご隠居が聞く。
「なおると思う。でも年数的に買い直した方が安全かなとは思う。」
「そうかぁ。古いもんなそれ。でもそれ死んだヤエちゃんが乗ってたやつだからそれが良いんだ。」
「ヤエちゃんって奥さん?」
「そう。死んでもずっと好きなんだ。」
「わかるよ。」
「イヌピちゃん若いのにわかってくれる?」
「うん。俺姉がいたんだけどさ。死んじゃったけど、今でもずっと好きだよやっぱり。」
「そうかぁ。イヌピちゃんのお姉さんだとすごい美人さんだったろうね。」
「うん。深川のキャメロンディア◯って呼ばれてたぜ。」
「深川の……。そういや、ウチ深川に土地があるんだけどね、最近売れ売れって嫌がらせがひどいんだよ。ゴミまきちらしたりね。あの土地は若い頃ヤエちゃんと初めて家を建てたとこだから売りたくないんだよ。なのに売れって。ボンテンっていう聞いたこともねぇ会社でな。来週ボンテンの上のヤツがここに挨拶くるって。嫌だから旅行にでも行ってすっぽかそうと思ってんだ。」
「ボンテン……?」
「イヌピちゃん知ってる?ボンテン。」
「……嫌になるほど知ってるなぁ……。なぁ俺ちょっとその深川の土地売りたくねぇっていうの梵天のヤツに言ってみるから。来週だっけ?俺がその挨拶とやら付き添う。」

次の週、思い出の土地売りたくないなぁでもこれ以上嫌がらせも困るしとションボリするご隠居に付き添い、ご隠居宅での話し合いの場に乾も座った。
「どうも。梵天の九井です。」
ほらやっぱり。梵天のメンバーを考えるに、土地をうんぬんできる上の者なんか限られる。だってあそこの幹部って詳しくは知らないけどたぶん九井以外だと薬中、筋肉、パリピ兄、筋肉、パリピ弟(コイツも筋肉)だぞ。まかり間違って軍神が来てしまう可能性もあったが、彼の持ってくる話など百発百中詐欺なので、断ってちょっと凄んでおけばビビって帰るだろうから簡単なことであった。まぁ乾の思った通り九井が来たわけだが。
「イ、イ、イヌピー!?!?!?」
当然驚く九井。
「よぉココ久しぶりだな。」
「あれ。イヌピちゃん知り合い?このボンテンの人。」
「イヌピちゃん!?イヌピー!!この土地持ち金持ちそば屋じじぃの愛人やってんの!?俺の調べではおまえ龍宮寺とバイク屋だろ!?」
「なんでそうなる。そば屋じじぃって。俺はバイク屋で間違いないし、じーさんはただの金持ちじゃなくじーさんもじーさんの息子もちゃんとそば打つの上手い。」
「ワシはそば屋を息子にゆずった隠居で、現在はイヌピちゃんのピンク乳首にまんまと引っかかったパトロンの金持ちじじぃですこんにちは。」
「じーさん話をややこしくするなよなぁ。」
「じじぃ!!なんでイヌピーの乳首ピンクなの知ってやがる!!ぶっ殺されてぇのか!!」
「ココもじーさんの冗談をまにうけるなよなぁ。」
「イヌピーの場合冗談にならないっ!!」
お久しぶりの九井を落ち着かせようと勝手知ったるご隠居宅の台所で乾が茶をいれ羊羹とともに持ってくると
「そんな!!ひとんちの台所に我が物顔で立って!!やっぱ愛人じゃん!!」
と余計九井は混乱した。
「あの〜このご隠居は、バイク屋の常連さんで、町内会の飲み会で仲良くなった歳の離れたダチだから。」
「ただのダチがなんでイヌピーの乳首の色知ってんだよ!?」
「俺酔ったら脱ぐらしくて。おぼえてねぇけど。」
「もう!!イヌピーは禁酒しろ!!乳首出すな!!」
「えぇ…まぁいいや。それでな。ココが買おうとしてるじーさんの土地なんだけど。深川の。」
「何。あの土地もしかして愛人のイヌピーが相続するの?そうはさせるか!」
「だから、なんでそうなる?しかもじーさんはまだ死んでねぇし俺は相続もしねぇ。」
「じゃあさっきからなんで隠居じじぃはイヌピーの手をずっと撫でてんだよぉ〜!?はなせ!!」
「悪いなボンテンの人。イヌピちゃんを撫でると寿命がのびるから。毎日撫でてる。」
「も〜話すすまねぇなぁ〜。だから!あの深川の土地は!じーさんとじーさんの死んだヨメのヤエちゃんとの思い出がいっぱいあるから売りたくねぇの!」
「死んだヨメの…ヤエちゃんとの…思い出……。」
九井一はバリバリの反社だが、昔から初恋とか純愛とかヨメとの美しい思い出とか、そういうピュアピュアしたものにめっぽう弱かった。
「そうか…それは大事な土地だよな……。」
「そもそも、ココはなんでその土地買いたいんだ?」
「オモテの会社の税金対策だけど。」
「そんな理由なら他のとこにしてやってくれよ。じーさんかわいそうだから。」
「そうだな。ヤエちゃんとの思い出を奪うわけにはいかねぇからな。」
そんなわけで、話はきれいにまとまった。3人は乾が入れた茶を飲み、ご隠居の家に常備してあるとら◯の羊羹をなごやかに世間話をしながら食べた。それだけでは足りなかったのか、乾はご隠居の家に常備してあるハトサブレ〜まで黄色い缶からとりだして食べ始めた。乾の辞書に遠慮という文字はない。
「あ!思い出したんだけど、ココ昔俺が催眠術かけるってアレかかったフリしてたな!?ドラケンにぜんぜん効かなかったじゃねぇか!!」
乾がハトサブレ〜を九井にも手渡しながら言う。
「催眠術……?あ〜!!あの!!ヘタクソなやつ!!」
「ヘタクソ!!ひでぇ。」
「いや。イヌピーがさ。かわいかったから。俺ら、身体の関係はあったけどなんか間違ってたっていうか。俺がイヌピーの催眠術かかったフリした時のイヌピーがいちばん素直でかわいかったから。つい。ごめんな。だました感じになっちゃって。」
「ココ……。」
「じゃ。話もまとまったし帰るかな。ハトサブレ〜はイヌピーが食べな。」
「ココ!!」
「イヌピー。わかってると思うけど、俺とおまえはもう住む世界が違うんだ。おまえは龍宮寺とかじーさんとか。こんなにみんなにかわいがられてうまくやってる。俺はそれを知れただけでじゅうぶんだから。もう会うことはない。」
九井は乾を目に焼きつけるようにしばらく見つめて、乾の頭をやさしく撫でて去って行った。乾はハトサブレ〜を持ったまましょんぼりし、ずっと横で切ないふたりのやりとりを見ていろいろ察してしまった隠居じじぃは大号泣した。じじぃもヤエちゃんと結婚する時、ヤエちゃんはお嬢様でじじぃは当時まだペーペーのそば職人見習いだったからおまえとは住む世界が違うとあちらの親族に反対され駆け落ちした。隠居じじぃはその時の切なかったことを思い出したのだった。誰がどう見ても愛し合っているのに添い遂げられないのはとても悲しいことだ。




4
その後ご隠居は深川の土地にマンションを建てた。空き地にしてるから売ってくれとか言われるんだよな。マンションでも建てちゃえ!という金持ち特有の思考回路である。こうして金持ちはますます家賃収入で金持ちとなり、世の中不公平になってゆくのであった。
「イヌピちゃんさぁ。例の深川の土地に建てたマンションの入居者が天井の高いとこにある電球かえてほしいらしくて。コレ大家の仕事なんだけど、ワシ最近腰が痛くて痛くて。」
ご隠居と乾はD&D近くの純喫茶で茶をしている。ダチなので。乾の前には堂々たるプリンアラモードがある。いつもはコーヒーしか頼まないのに、ご隠居のおごりとなるとこれである。
「何。じーさんのかわりに電球かえに行ったらいいのか?俺が?」
「そう。お小遣いあげるから。」
「いらねぇよ。でもこのハンバーグスパゲティも食いたい。」
乾が喫茶店のメニューをしげしげ眺めながら言う。
「悪いなぁ〜いくらでもお食べ。」
乾は遠慮なくハンバーグスパゲティとレモンスカッシュも追加注文し、ドラケンの土産にカツサンドまで包んでもらった。乾の辞書に遠慮という文字はない。そして、店に帰って、ちったぁ遠慮しろ!とドラケンに説教されるのである。

「ちわ〜大家の代理で電球かえに来た者で〜す!」
ご隠居のマンションは実に立派だった。乾が電球を持ったまま周りを眺めたりなどしていると、オートロックが解除されたので部屋へ向かう。
「え〜と。101。101。あ。ここか。こんちは〜!」
ガチャリと玄関ドアが開いてあらわれたのはなんと九井であった。
「え!?ココ!?」
「説明するから。イヌピーおいで。」
九井にうながされ乾は部屋に入った。部屋は普通のワンルームで、最低限の家具家電だけがありがらんとしている。
「あの隠居じじぃとんだタヌキだぞ。」
言いながら九井がこじんまりしたソファーに座るので乾も隣に腰をおろす。
「そば屋になる前は相当ヤンチャしてたみたいで、じじぃの友達らしい老舗ヤクザ屋さんが俺の事務所まで来てイヌピちゃんに会ってやれとか言うから……。ご丁寧にこのマンションの鍵まで置いてってさ。」
「じーさんヤクザとダチなくらいヤンチャだったのかぁ。なんかわかるかも。いい人だけど食えねぇ感じするから。でも老舗ヤクザって梵天にもなんやかんや言えるもんなのか?」
「やっぱ老舗とはもめたくはねぇよ流石に。めんどくせぇ。ここの部屋使っていいからイヌピーと会えって脅されたから素直に来たわけ。」
「なんだよ言われたから来たのか。じゃ。俺帰ろうかな。」
「待って待ってイヌピー帰らないで。脅されたのは本当だけど、俺だってイヌピーに会いたかったよ。」
「はじめからそう言えよ。」
「イヌピー……さわってもいい?」
「ココが好きなようにしろ。」
九井はもうそれは久しぶりに乾を抱いた。若い頃と違ってきちんと愛情を伴っていたように思う。

「ドラちゃん最近イヌピちゃんますます綺麗だね。」
そば屋のご隠居がD&Dに差し入れのハトサブレ〜を持ってやって来た。
「やっぱり?なんか大変なんだよ。いつもみたいに一緒に銭湯とか行ったらまわりの視線ヤバい感じだもん。この前とっさにタオル巻いたしアイツに。ご隠居なんか知ってる?」
「そりゃもう恋人でもできたんだろ。」
「え〜?アイツそんな話ぜんぜんしねぇよ〜?」
ご隠居は昔ヤンチャしてたから九井と乾が、主に九井の立場上おもてだって会えないのはよくわかっていた。でも、あのふたりのどう見てもお互いを大好きな様子を見て、いてもたってもいられなかった。自分はほうぼうに人脈があるからあのふたりに定期的に会えるような隠れ家をつくってやることなんか容易かった。それがあの深川のマンションの101号室である。
「あ〜じーさん来てた?ちわ〜!」
郵便局に入金に行っていたらしい乾が店に帰ってきて、ご隠居を見つけてとても嬉しそうにする。たぶん乾にしっぽがあったらパタパタしている。
「イヌピちゃん触りに来た。」
「マジか。おてやわらかに頼むぜ。」
そう言って乾はじじぃの手をやさしく握ってマッサージもどきみたいなことをしてくる。ご隠居はこういう乾の気安いところがとても気に入っている。乾はもともとかわいい顔をしていたが、最近ますます髪もツヤツヤし肌もトゥルトゥルである。ボンテンの九井にあのマンションで定期的にかわいがられているのであろう。良いことだ。ボンテンの九井もなかなか見どころのある反社で、息子のそば屋にガラの悪いヤツらが来たりすると部下をよこして追い出してくれる。乾と再会させたやった礼とマンションの使用料のつもりらしい。チャラチャラしたナリで義理堅い反社だ。どうか、九井と乾がこれからもこっそり幸せでありますように。じじぃはそう願っている。
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