インフルエンザピー

インフルエンザピー


天気の良い休日の昼下がり、ブラブラとコンビニから自宅アパートに帰ると引越し屋のトラックが止まっていた。今日は暑くもなく寒くもなく絶好の引越しびよりだよなあとのんきに考えながら自分の部屋へ向かうと、引越しをしていたのは自分の部屋の隣だった。いつの間に空室になっていたのか。平日は仕事が忙しいからほとんど寝に帰るだけだし、東京の単身用アパートでは引越しの挨拶をするなど稀だからわからなかった。うるさくない普通の人ならば誰だっていいなと思った。

「あ!隣の人ですか?」
そう言われ声の主を見て俺はビックリした。顔面がまぶしい…長めの金髪をゆるく束ね、背は高すぎもせず良い感じの顔面キラキラの男…何…発光してて直視できないんですが?もしかして…芸能人?このような場末のアパートに…?
「俺、隣に越してきたイヌイです。よろしくおねがいします!」
そう言って顔面キラキラ男は俺にタオルを渡してきた。今どき引越しのご挨拶にタオルをくれるなんて律儀だ。ちょっと嬉しい。
「でぃーあんど…でぃー?」
顔面がすこぶるまぶしく彼を直視できないからついタオルに書かれているロゴを読んでしまう。
「俺、この近くでダチとD&Dっていうバイク屋やってて。もしごきょーみあったら来てください!」
そう言ってさわやかに笑う新たなる隣人イヌイさんを見て俺のまわりには天使が舞い降り花は咲き誇り美しいメロディーが滝のごとく流れた…ことはないけど、それくらいイケメンだった。アザみたいなのがあるけれどまったくそれを感じさせないのは、彼のさわやかさ故であろうか。とにもかくにも職業不詳のアヤシイ人でなく、お店をやってるらしいマトモそうな男性が隣人になってくれてそれだけで俺は満足であった。

何事もなく平日は社畜、土日は寝だめをしている俺である。隣人のイヌイさんイケメンだから女をとっかえひっかえ連れ込んだらどうしようと思ったが、それは杞憂で彼の部屋にはイカつい男しか来なかった。よく見かけるのが側頭部にドラゴンのタトゥーが入ったデカいイケメンである。初めて見た時は迫力ありすぎてヤがつく業界の方かと思った。イヌピ〜!!と言いながら扉を叩いていたので何〜借金とりのヤクザ???とビビり散らかしながら「あの…イヌイさん…さっきコンビニで見ましたよ…」と自身もコンビニから帰って来たので教えた。殺されたくなかったので。そうしたらそのドラゴンはニカッと笑って「マジすか!ありがとーございます!俺イヌイとバイク屋一緒にやってるリュウグウジです!」と名乗った。コワモテとさわやかのギャップにもうアンタたちバイク屋じゃなくてユニット組んでデビューしたらどうかな?という気持ちになる。
「あれ〜?ドラケンじゃん?」
コンビニから帰って来たとおぼしきイヌイさんがあらわれる。
「イヌピー今日展示会行こうっつったじゃん!ぜんぜん来ねえから迎えに来た。ってか新居良いアパートじゃん。さすがパー。」
「ええ…?展示会って1時からじゃねえの?」
「バッカ!!11時だわ。のんきにその持ってるコンビニ弁当食う時間ねえからな。」
「え〜腹減った〜」
「展示会終わったらラーメン行こうぜ。」
「まあ…それなら…」
「自分が時間間違えといてその態度!イヌピー良くない!」
「チッ。オカアサンかよ。あ。オオノさんこんちわ〜」
部屋に入る機会を失ったまま立ち尽くしていた俺にイヌイさんが声をかけてくる。
「あ。こんにちは。」
「オオノさんコンビニで昼メシ何買ったんだ?」
「カップラっす…」
「ほんじゃさあ。カップラは明日にして今日はこの弁当食べなよ。」
とイヌイさんがさっきコンビニで買ったのだろうデラックスのり弁を押しつけてくる。
「え。え。悪いっス。」
「悪くねえ悪くねえ。俺これから出かけなきゃだし、夜も外で食うしコレ食えねえから。」
「そーそー。もらっときなよ弁当。」
リュウグウジさんまで加勢するので、おそるおそる弁当を受け取る。
「ほんじゃな〜オオノさん。」
「しゃ〜す。」
そう言ってイヌイさんとリュウグウジさんは出かけて行った。俺はデラックスのり弁をありがたく食べた。いつものコンビニ弁当なのにいつもより美味い気がした。





ある日、仕事からヘロヘロと帰宅したら隣のイヌイさんちの前にリュウグウジさんと大家さんがいた。
「あ。オオノさん。こんちは〜」
「あ。こんばんは。…何…やってるんですか…?」
リュウグウジさんと大家さんはたくさんの食料と水をせっせとイヌイさんちの前に置いている。
「イヌピー、インフルエンザになっちまってさ。もう長年アイツと一緒に店やってっけど、丈夫だからこんな寝込むとか初めてかもしれねえ。な。パー。」
「そうそう。インフルだから会ったらダメだからここに食料積んでんだよ。買い物も行けねえだろうと思ってよ。」
リュウグウジさんがイヌイさんを見舞うのはわかるが、大家さんはなにゆえ?
「大家さんイヌイさんとお友達なんですか?」
「まあ。なんていうか。時期は違ったりなんだりするけど俺らみんな昔同じチームだったから。」
そう言ってヘヘッと大家さんが笑うので、俺はイヌイさんまわりがやたらコワモテの人が多いワケがわかった気がした。なるほどゾクでしたか〜。
「あ!今はみんなカタギだからなー!?大丈夫だからアパート出てかないでくれよ!?」
と大家さんがアタフタするので、リュウグウジさんがパーあわてすぎだろと爆笑していた。

次の日もヘロヘロと仕事を終えて帰宅すると、イヌイさん宅の前に積まれていた食料はなくなっていた。ちゃんとイヌイさんが家の中に入れたのだろう。ひとまずは良かった。たくさん食べてインフルを治してほしい。そんなことを思っていると、鋭い視線を感じる。何事かとあたりを見まわすと、階段のあたりに男が立っていてこちらを見ている。その男は、白銀の長い髪の毛をしていてあきらかに普通の職業の人間は身につけないであろう高価そうな服と装飾品に身をつつんでいた。その鋭い視線はおそろしく、リュウグウジさんや大家さんみたいなコワモテだけど気が良くてやさしい元ゾクの人とは一線を画していた。ヤバい。この人本物だ。俺は怖くなって急いで部屋に入り鍵を閉めチェーンもかけた。
次の朝、出勤しようと外に出ると、イヌイさんの家の前に伊勢◯の紙袋が置かれていた。もしかして、あの怖いあきらかに反社の男が置いて行ったのだろうか。イヌイさんって反社ともつながりがあるんだろうか。俺はどちらかと言うとおとなしめなのに、イヌイさんはそんなの気にせずフランクに接してくれるから彼のことは良い隣人だと好感を持っている。昔ゾクだった頃に反社にうらみをかったんだろうか。どうかイヌイさんが変なことにまきこまれませんようにと祈った。…しかし、敵の家にご丁寧に伊勢◯の紙袋置く反社とかいるかな…?何?最近の反社ってごんぎつねなの?




3
やってしまった!やってしまった!九井は心臓がバクバクしている。10数年会っていなかった幼馴染がインフルエンザになったって小耳にはさんだもんだから、自ら新宿のデパートに出向いてイヌピーが好きそうかつ病気でも食べやすそうなものをたくさん購入してイヌピーのアパートの前に置いてしまったのだ。つい。出来心で。だって心配だったんだもん。イヌピーが風邪ひくスパンってオリンピックより長いんだよ!それなのにインフルエンザだなんて…あのかわいい顔を真っ赤にして苦しんでるのかと思ったら勝手に足が…。なんで長年会ってないのにイヌピーがインフルエンザになったの知ってるのか、なんで住所知ってるのか…まあそれはどうでもいいじゃん?
確認したら(方法は秘密)、昼過ぎにけっこう元気になったっぽい顔したイヌピーに伊勢◯の紙袋は見つけられ、めでたく部屋に入れられた。良かった!昨夜隣人と思われる男にめちゃくちゃ不審がられながら置いたかいがあったというものだ。不審者だと思われたのか…まあ広義では不審者だが…隣人は九井を見るやヒッと言って急いで部屋に入ってガチャガチャ戸締まりする音が聞こえた。そんな不審者対応されると少し傷つく。まあ不審者なんだけど。
そして、今夜もタカシ◯ヤでサラダやプリンを購入しイヌピーのアパート前に立っている。今日も置いて帰ろう。そう思ったらドアに小さなメモがセロテープで貼ってあった。
「イセタ◯の人 だれだか知らねえがありがとう。うまかった。こんなオシャレなもの三ツ谷かと電話したが、ちがうと言う。だれだ?名を名のれ」
最初はお礼。最後は命令で終わる実にイヌピーらしい名文である。あいかわらず汚ねえ字だなと思いながら九井はその乾が貼ったメモをそっと持って帰った。

だいたいインフルエンザは1週間ほどで治るはずだ。今日は4日目。イヌピーは丈夫だからそろそろ楽になっているかもしれないと、今日はデパートで買った食料品の他に今週発売のジャンプも入れておいた。これでイヌピーは退屈せずにすむはず。イヌピー宅の前にMITSUKO◯HIの紙袋を置こうとしたらガチャリと扉があいた。
「やっぱり。やっぱりココだったんだ。俺のダチにこんなOLみてえな差し入れするヤツいねえもん。絶対捕まえてやるって足音聞き逃さないように玄関でゲームやってた。」
そう言ってこちらをまっすぐ見つめてくる。さすが丈夫なイヌピーのことで、もう熱はなさそうに見える。久しぶりに生の彼を見るとあらためてその美しさに驚く。火傷跡となめらかな白い肌のコントラスト。キラキラした大きな瞳。繊細に作られたフランス人形のような口から飛びだすヤンキー口調。どうしてこんなにもかわいい生き物と離れられたのかわからなかった。
「ココうつるうつる。」
思わずイヌピーを抱きしめていたらしい。無意識だった。あまりにもかわいすぎて。
「インフル予防接種してるからいい。」
「反社も予防接種すんのか!」
「イヌピーキスしたい。」
「久しぶりに会ってそれかよ。いいけど。でもインフルうつるって確実に。」
「いい。インフルなって仕事休みたい。」
「反社もインフルは休まねえとなのか!」
イヌピーが反社豆知識を得ている間、俺はひたすらイヌピーを撫でまわしていた。本当にどうしてこんな愛しい生き物と離れたのか自分が理解できない。バカなのか?バカなんだろう。なんせ若かった。
「イヌピー結婚しよう。好き。」
「ええ…それは日本では無理では…?でもココすげえ素直になったんだな。それは…ちょっと…うれしい。」
そう言ってはにかむイヌピーに理性を失った俺は大変申し訳ないことだが、病み上がりのイヌピーを玄関で押し倒して10数年ぶりに抱くという暴挙に出る。イヌピーがかわいいのが悪いんだからね!!そしてその罰なのか俺も数日後インフルエンザになった。




4
最近イヌイさんの部屋からなんだかみだらな声が聞こえて少し困惑している。大家さんのパーさんは代々の資産家らしく不動産屋さんをやっていて、仲介もするが紹介するのは彼の一族の所有する物件が多い。自分が住むこのアパートもそうで、高級なアパートではないのだがパーさんのおうちは建材をケチるような財政状況ではないのでこの家賃のアパートにしてはきちんとしたつくりで音漏れが少ない。のだが。アッ…とかヤダァとか悩ましいイヌイさんの声が最近頻繁に聞こえる。彼女でもできたかと思ったが、それなら女性のそういった声が聞こえるはずで、聞こえるのはイヌイさんの喘ぎ声ばかりなのである。どういうことだろう。だが、俺のこの疑問はすぐに解消する。ある夜繁忙期のため白目をむきながら帰宅すると、イヌイさんの部屋に見知らぬ男が勝手知ったるといった風情で鍵を開けて入っていったのだ。その男は間違いなく、イヌイさんがインフルエンザになった時にもここで見た反社みたいな男だ。あんな長い白銀の髪の毛の男が都内に何人も存在したら困る。そして、俺がカップラーメンをかっこみシャワーを浴びて明日も繁忙期であるため寝ようとしていると、例のイヌイさんの大変みだらな声が聞こえてきたのである。あの、さわやかで綺麗でちょっとばかしヤンチャなイヌイさんが反社のヤバい男に抱かれてヒンヒン言わされている。大変…大変申し訳ないが、俺はそのAVか?みたいなシチュエーションに大興奮してしまった。私事で恐縮だが、俺は長年の社畜生活の疲労から深刻なインポテンツに悩まされていた。特に使う予定もないとは言え、勃たないというのは男の自尊心をいたく傷つける。それが!!見よ!!イヌイさんの喘ぎ声によって俺のインポテンツ治ってる!!ありがとうありがとうイヌイ神。どんなサプリよりもどんな泌尿器科よりも効くイヌイ神の喘ぎ声。俺は不謹慎ながらイヌイさんと反社の男に大感謝した。

その後も時々聞こえるイヌイさんのあられもない声のおかげで、俺はメンタルも下半身も元気よく過ごしていた。急に出張へ行けと言われても笑顔で応じることができるくらいには元気だった。3日間の出張を終えて愛する我が家に帰ると、イヌイさんちの前に大家さんがいた。
「大家さんこんにちは。イヌイさんまたインフルエンザですか?」
「いや…それが…恋人だかと暮らすって出てったからな。原状回復の見積もりにな。」
「え…イヌイさん…そんな…。」
「急な話でな。アイツ…遠いとこ行っちまった…。」
大家さんはそう言って外廊下からかすかに見える東京タワーのほうを見つめた。そうか。イヌイさんは、あの反社みたいな男と逃亡したのだな。だってあんなにくんずほぐれつしてたんだから。愛し合ってたんだろうな。行き先は海外かな?俺はイヌイさんに幸あれと願った。





5
「イヌピーどうよ新居は。」
「なんか。入り口に知らねえオッサンがいて親切。」
「それ。知らねえオッサンじゃなくてコンシェルジュとかいうのじゃねえの。」
「あと。ちょっと店まで遠い。豊洲だから。」
「そうだな。パーも豊洲は遠い遠いっつってた。まあ。パーの場合渋谷区から1歩でも出たらもはや遠い判定なんだけどな。」
乾が恋人と暮らすから引越すと言い出したのは1ヶ月前のことだった。林田が新しいアパート2人用のを紹介しようか?と言うと、恋人が豊洲のタワマンを持ってるから大丈夫と言う。この時点でみんなの頭には眉毛のつりあがった苗字に数字の入ったある男の顔がぼんやり思い浮かんだ。そして、数日後アメ玉かな?みたいなダイヤの指輪を乾がしているのを見て、みんなの頭には口を開けば金金言う、姓にも名にも数字が入ったある男の顔がクッキリハッキリ思い浮かんだ。
「イヌピーの恋人ってさあ…こ」
「それは禁則事項なんで。」
乾は涼宮ハルヒの登場人物みたいなことを言ってはぐらかした。まあ。業務にさしつかえなく、イヌピーが幸せならそれでいっかと龍宮寺は思った。
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