モブ社員の苦悩


九井さんが酔っぱらった。
ふだんクールで酒を飲んでも前後不覚になったところなんて見たことないのに。どうも連日寝不足だったところに入った避けようのない接待飲み会だったらしく、テキメンに酒が効いてしまったものらしい。稀咲さんに住所を教えてもらって、なるべく揺らさないよう注意深く運転して九井さんを運んでいる。

教えられた住所は、普通に住みやすそうな15階建のファミリータイプのマンションで、てっきり九井さんは大金持ちの会長だしタワマンとかに住んでるんだと思い込んでいたから意外だった。同居人さんがいると聞いていたのでオートロックを開けてもらおうと部屋番号を押すと、男性の声が聞こえてこれもまた意外だった。同居人ということは彼女さんだと思うじゃん。九井さんがワイワイ友達と住むようなタイプには見えないし、弟さんとかかなと思いながら15階の角部屋まで九井さんを運ぶ。しかし重いな。細身の男性なのに意外とずっしりしている。時間がある時はジムのプールでしっかり泳ぐらしいから細身に見えて筋肉質なんだろう。俺は年々ゆるんでくる己の腹まわりを思い出して、気を引き締めねばと思う。

「ココ!」
インターフォンを押すより早く同居人さんが出てきた。
「ココ大丈夫か?気持ち悪い?出しちゃうか?」
心配そうに俺から九井さんをそっと受け取り、背中をさすりながら話しかけるその人物から俺は目が離せない。キラキラ光る長めの金髪。白く滑らかな肌に嘘みたいに整った目鼻がついた顔。大きな瞳はエメラルドみたいな緑だった。なんのへんてつもないグレーのスウェット上下を着ているのに、そこだけ発光しているかのようにキラキラした男だった。稀咲さんからひどく酔っている旨の連絡を受けていたらしく、ビニール袋とウェットティッシュを持っている。
「ココ出しちゃおう。しんどいから。な?」
わずかばかり意識があるのか玄関に座りこんでしまってイヤイヤと嫌がりながらも我慢できず九井さんは男が持っていたビニール袋に戻してしまった。
「ココよく我慢したな。えらいぞ。ちょっと楽になった?」
男は言いながらウェットティッシュで九井さんの口をぬぐってやっている。
「イヌピー。ごめん。マジかっこ悪い。」
戻してしまってだいぶ顔色がマシになった九井さんが申し訳なさそうに言う。
「ココがかっこ悪い時なんてないから。」
イヌピーさんはまっすぐ九井さんを見つめて言った。俺もそんなこと言われてみてえな。
「歩けるか?部屋で休もう。」
イヌピーさんが言うので、俺は我に返って
「あ!手伝います!」
と言った。
イヌピーさんは儚げな美少年フェイスなのにすげえ馬鹿力だった。なんでも彼はバイク屋さんで力仕事はお手のものらしい。俺手伝った意味ねえな!!とりあえず九井さんをリビングのソファーに寝かせたので、そろそろ帰ろう。それにしても、九井さんってオフィスもミニマリストみたいな感じでシンプルでスタイリッシュなのに自宅は意外と生活感あるんだな。リビングには観葉植物がいくつか置いてあり、ソファーにも犬のぬいぐるみがポロポロ置いてある。つけっぱなしのテレビからはニュースとかでなく馬鹿馬鹿しいバラエティが流れているし、ソファーの前のテーブルには食いかけのポテチとコーラ、読みかけのプレジデントとかでなく週刊少年ジャンプが転がっている。テレビの前にはスイッチまである。何のゲームすんだろ。正直とても居心地が良さそうである。
「え〜と、ココの会社の人、重いのにありがとな。」
急にイヌピーさんに話しかけられてビビりまくる俺。顔面が強すぎるよぉ。
「いえ!こちらこそ会長にいつもご無理をさせてしまいまして!わたくしサナダと申します!」
「ほんとだよな〜!ココをこんなこき使いやがって!今度稀咲シメてやろ。な!サナダ!」
「ええ…」
「サナダもポテチ食ってくか?てか腹減ってんなら握り飯くらいならあるぞ。」
「や!や!めっそうもない!おいとましますんで!」
ほんとのところイヌピーさんの握り飯に興味がありまくりだが、ソファーで休んで元気を取り戻しつつある九井さんが邪魔だなテメェみたいな顔でにらんでくるので俺はそうそうにおいとませねばならんのだ。俺九井さん送ったのにすごいひどい扱い!
「ほんとありがとな!またいつでも来いよ!」
ニコニコとかわいい顔で礼を述べるイヌピーさんに見送られ俺は九井宅をあとにした。
「無事送り届けました!同居人さんが美人過ぎてビックリしました!」
と稀咲さんに報告のLINEをすると
「ありがとう。世話かけたな。乾に近づくな。殺されるぞ九井に。」
とすぐに返信があり、何それこわすぎ!と俺はおそれおののいた。





九井さんが忘れ物をしたらしい。それというのも大事な書類とかで。このご時世、デジタルでなく書類ってよっぽど重要じゃんねそんなの。そんなわけで、九井さんの住所を知っている俺に至急とってこいとの命令。
勝手知ったる九井宅の部屋番号を押す。イヌピーさんの応答があってオートロックが開く。
「ちわ〜!サナダで〜す!」
玄関先で挨拶するがなかなかイヌピーさんが出て来ない。3分くらい待って大丈夫か?倒れてる?と心配になり始めたとき玄関がようやく開いた。
「ごめ。あんま調子良くなくて。」
出てきたイヌピーさんはヤバかった。
エメラルドみたいな瞳はうるんで、声はカスカスにかれている。動きがなんだかぎこちなく熱なのかなと思ったけど、イヌピーさんのスウェットからのぞく白い首筋のおびただしいキスマークがそれを否定している。
「や。や。大丈夫っス。」
俺はわけのわからない返答しかできないもはや。
「書類だっけか?ちょっと俺じゃ区別つかなくて。3つ封筒あって。」
封筒を差し出してきた白い手首には縄の跡がある。ねえ。なんで?九井さん。なんで?何プレイなのいったい?イヌピーさんにいったい何を???
「あ。あ。間違ったらアレなんで3つとももらいます!」
「そうか。いつもありがとな。ココによろしく。」
これ以上九井さんに何をよろしくするってんだ⁈イヌピーさんよお!!俺はひたすら色気のある…もういいや。正直とってもエロいイヌピーさんに見送られ九井宅をあとにした。

「お〜悪い助かった。書類ありがとな。」
九井さんはさわやかに受け取る。
「イヌピー、元気だった?」
「九井さん…今日のイヌピーさんはダメですよ…」
「そうだろそうだろ。今日おまえが見たイヌピー記憶から消そうな?な?ほんとは俺が書類取りに帰りたかったのに!!忙しいばっかりに!!おまえにあんなイヌピー見せたくないっ!!」
「九井さんが恋人物理的にも縛るタイプだなんて…殴られても忘れられないっス…」
「おまえ…いい度胸してんな…」

そう。九井はソフトSMにハマっていた。やめて外してって半泣きになるイヌピーが可愛くって可愛くって…ってそれはどうでもいいのだが。ただ、サナダがイヌピーにハマりだしたら社会的に殺さないとなと割と本気で考えている。

イヌピーは赤音さんの弟だけあってものすごい魔性なのだ。今まで何人の部下がイヌピーにハマり散らかしてきたことか。イヌピーにはまったくその気がなく、うぬぼれでなく俺のことだけ好きなのだから困ったものだ。最初は佐野真一郎のバイク屋でイヌピーが働くのも嫌だったのだが、イヌピーとはまた違った意味で魔性である佐野真一郎にはイヌピーの魔性は相殺されるのか効かないみたいで今となっては最高に心配のいらない職場で安心している。バイク屋の客がイヌピーに懸想することもままあるのだが、やさしいけど踏み込みすぎるとおそろしい佐野真一郎や見た目の怖いベンケイ氏や小姑のワカクンが店に常に出入りしているのでそんなに心配していない。問題は俺の部下だよな。どうもイヌピーは俺の会社に入って来るようなちょっとばかし学歴のあるちょっとばかしイキったやつらに異様にささるらしいのだ。なんかわかるのがシャクだけどな。ひねくれた業界で生きてると、イヌピーのまっすぐな綺麗さって得難いからな。好きになっちゃうんだよ。





久しぶりに何にもない休日、車を出して郊外の大型ショッピングモールに来た。大きなものの買い出しをしたかったからだ。ブランケットとかはネットとかでなく肌触りとか見て買いたいんだよな。降りる前車で煙草を1本吸っていると、向かい側にカイエンがとまった。カイエンってだいたい黒か白が多いのに、それはメタリックブルーで珍しいなと見ていると九井さんとイヌピーさんが降りてきた。ああ。はいはい。青宗だから青のカイエンね。ああはいはい。しかし、ふたり並んでるとめちゃくちゃカッコいいな。てか普通にキスするじゃん。ここぉ!!埼玉のショッピングモールゥ!!!!もういいや。俺はモコモコしたブランケットが欲しいんだからな。会長バカップルは放っておこう。

俺は目的のモコモコのブランケットを無事手に入れ、喉が渇いたのでフードコートへ行くことにした。タピオカが入ったミルキーな飲み物をすすっていると、視界に派手な2人組が目に入る。ファッションも派手なんだけど、もう顔面が派手だから。目下ラブラブ休日満喫中の九井さんとイヌピーさんは、仲良くランチをしているみたいだ。2人ともまるでフードコートっていういでたちではないんだけど、たこ焼きやドーナツやいろんなものを並べて楽しそう。っていうか九井さんめちゃくちゃ食うな。ふだん会社の飲み会とかではそうでもないんだけど。神経質なのか大皿料理だと食べないことすらある。でも当たり前だけど、イヌピーさんが残したものとかは平気で食べれるんだな。まあそうか。そうだよな普通。

「あれ?サナダ?」
どうしよう〜イヌピーさん俺に気づいたじゃん。
「げ!サナダ!」
「げ!て会長ヒデェっス!」
「サナダ!ドーナツたくさんあるから食えよ!」
イヌピーさんが輝く笑顔で言うので、飲みかけのミルキーなタピオカドリンクを持って仕方なく彼らのテーブルに移動する。
「サナダほら、あ〜ん。」
「非常に魅力的なお申し出なんですが、会社クビになりたくないんで、自分で食べます!」
イヌピーさんが何を思ったかあ〜んしてきたドーナツをありがたくいただく。そして自分で食べる。なぜなら九井さんにものすごくにらまれているから。
「サナダこんなとこまで買い物か?」
「あ。はい。ブランケットとかクッションとかは見て買いたいんで。車で来ました。」
「へ〜ココもそうなんだよ。コダワリあるから。だから俺らも越谷まではるばる来たってわけ。なんか前から思ってたけど、ココとサナダって似てるんだよな。」
「そりゃあ!!俺九井さんに憧れて入社したんで!!マネできるとこはしてます!!」
「ふふ。ココのこと好きなやつは俺も好きだ。」
そう言って微笑んだイヌピーさんが本当に綺麗で、俺はついうっとり眺めてしまった。やべ!イヌピーさん眺めすぎると九井さんに叱られる!と九井さんを見たら、九井さんもうっとりイヌピーさんを眺めていた。ダメだねこれは。





イヌピーさんが風邪を引いたらしい。それで九井さんがイヌピー風邪休をとるとか言い出した。何その育休みたいなの。まあなんでもいいんだけどさ。はた迷惑であるはずの2人がなんだか微笑ましくなってきたのだから、なかなか俺も末期だ。

珍しく俺が風邪をひいてしまい、ココが謎のイヌピー風邪休をとってくれて手厚く看病してくれたのだが案の定ココにうつしてしまった。俺は丈夫だから看病とかいいのにって言ったんだけど。
ココは熱が8度ちょっとあってしんどそうに寝ている。大人んなると8度以上はキツいよな。いつもは完璧にセットしている髪がヘタンとなっていてかわいい。さすがに丸一日寝ているから何か飲ませるか食べさせるかしないと!と起こしておかゆを口に入れてやると、白くてまろい頬が子どもみたいにモゴモゴしていとおしくてたまらなかった。ココはかっこつけだから、俺にこういう姿を見せるのを嫌がるが俺はむしろ好き。許されるなら、老眼鏡をかけたココも杖をついたココもずっとずっと見ていたい。
1/1ページ
    スキ