イザナの土産

1
「困ったな…。」
乾は目の前にそびえたつピカピカのビルを見上げてため息をついた。そのビルはTK&KOグループの自社ビルで、おそらく九井はこの上階のオフィスにいるはずだった。
「でも、アポもねえし入れてもらえねえよなあ…」
そうつぶやきつつ手に持った九井のスマホを見る。今朝、乾がベッドで目覚めると隣にもう九井はおらず出勤した後だったが、乾はバイク屋に出勤するまでにもうひと眠りできそうだったから二度寝しようと寝返りをうったら手にかたいものが触れた。なんだろうと確認するとそれは九井のスマホで、これがないと困るんではと案じた乾は二度寝をあきらめこうしてたいそう立派な恋人の職場まで来たのだった。どこの恋人や夫婦もそうだと思うのだが、お互いの職場に用もないのに行ったり電話したりということはまずしないことで、よほどのことがないかぎり相手の職場になんか行かないんじゃないだろうか?乾は九井の職場に初めてやって来た。付き合いはとても長いのにもかかわらず。そして、あまりに立派なんでちょっともう帰りたくなっている。九井は良い。乾の職場が真一郎君が経営している個人商店だからって気軽にやって来る。もちろん小さい店だからアポイントメントなんてのもいらないし。好きに差し入れだって持って来る。なんだか不公平だなと乾は少しむくれた。
「でも、スマホないと困るしな!追い出されたら帰ろう!」
ごちゃごちゃ考えるのが嫌いな乾は、アポもねえがその大層な受付に突撃することにした。
「すみません。会長の九井さんに会いたいんですけど。」
見事な笑顔を浮かべている受付の女が一瞬戸惑う。
「会長…ですか…失礼ですがアポイントメントはございますか?」
「いいえ。ありません。」
「そうしましたら、お客様のお名前をいただけますか?上に確認して参ります。」
「乾青宗が、九井…ココのスマホ届に来たって伝えてください。」
そこで、受付の女の動きが止まる。
「乾…青宗様ですか…?会長のお連れ様の乾様でしょうか…?」
女はガクガク震えだす。
「会長の…あの…イヌピーのかわいい顔勝手に見たらぶっ殺すとののしられ、イヌピーに触ったら10万なと脅されると有名なイヌピー様…大変失礼いたしました。すぐに会長室にご案内いたします。」
「いや。ココは職場でいったい何をやっているんだ。なんか申し訳ない。」
「いえ…いえ…イヌピー様に謝られたら私会長に呪われますから…」
「お、おう…」
子鹿みたいに震える女に案内され、乾はビル最上階の会長室へやって来た。受付の女は風のように去ってしまったので、ノックを3回する。
「…誰だ?入れ。」
眠る前まで聞いていた九井の声なのに、もうなつかしく聞こえて嬉しくてたまらない乾も乾でたいがいである。
乾が扉を開けて入ると、九井の切れ長の目が見開かれポカンとした。
「ふふ。ココのそんな顔めずらしい。」
「イヌピー!?どうしたの!!」
「これ、ベッドにスマホ忘れてたから。」
「あ〜!!ベッドにあった?どこにもなくて…正直イライラしてて…ありがとうイヌピー助かった。」
九井は乾を軽くハグして、乾の形の良い鼻先にキスをした。
「あのさあ…俺…いるんだよなあ…」
「稀咲。いたのか。邪魔したなすぐ帰る。」
「え。え。イヌピーもう帰るのコーヒーくらい飲んでけば?」
「いや。もう行かねえと店遅れるから。」
「そうか。そんな時間か。ありがとなほんとに。送らせようか?」
「いや。バイクで来たから大丈夫だ。…ところで…受付の女が、俺の顔見たらココにぶっ殺されるっておびえてたが大丈夫か?ココもうヤンキーじゃねんだから。パワハラとか訴えられねえ?」
ブッと稀咲が笑う。
「いや。イヌピーこれのせいだよ。」
九井が差し出したのは、この前真一郎君の店が載ったタウン誌だった。主に真一郎君と店内の様子が載っているが、タウン誌のカメラマンがどうしても乾の写真も載せたいと2枚ほど整備をしている乾もそのタウン誌に載ってしまったのだ。両親も姉もものすごく喜んで珍しく親孝行できて良かったなくらいに乾は思っていたのだが、町のバイク屋にものすごいイケメンがいると話題になり、タウン誌の増刷が追いつかない事態になってしまったのがひと月前の出来事だ。そして、噂が噂を呼び、このイケメンこそが九井会長が目に入れても痛くないほどに可愛がっているあの伝説のパートナーイヌピー様であると社内でもちきりになってしまったのが現在である。
「あんまり乾のことばかり聞かれるから九井がキレて昨日の社内朝会で、パートナーの話は禁止だし、乾の詮索するんじゃねえってクドクドネチネチ演説して社員を恐怖におとしいれたんだよ。な!」
「ココ…何やってんだ…確かに店にもバイク関係ねえやつが来たりしてちょっと困ってはいるんだけど…」
「え?何?警備員派遣しようか?」
「いや。しばらくベンケイ君を店先に置いといたらおさまってきた。」
「さすが、レジェンド〜」
「まあ。俺は大丈夫だから。ココ。あんま社員さんいじめんなよ。忙しそうだから見送りとかいいから。稀咲もなんか悪いな面倒かけて。」
そう言って乾は帰って行った。




2
ぶははっ!と真一郎君が笑う。
「社内朝会で恫喝するとか九井っぽい。」
朝の九井の会社での出来事を、昼休み毎日色んな人からいただく差し入れをつまみながら真一郎君に話すとめちゃくちゃ爆笑している。
「ほんで、今度みんなで夜のツーリングに行く話だけどさあ、そんなんじゃ九井夜泣きすんじゃない。アイツバイク乗らねえから留守番じゃん。絶対夜泣きするよ?青宗行けるの?」
毎度サボりのワカが差し入れのひとつの骨せんべいを食べながら言う。
「行く!行く!絶対行く!ココはどうにか寝かしつける。だって、真一郎君とワカクンのライテク見れるとか…ありえない…すごい…」
初代黒龍強火担の乾はうっとりする。
「一時帰国するイザナも来るけど大丈夫か?あいつなんか青宗にアタリ強いから…」
「嫉妬だなあ〜やっぱ職場が同じだから青宗がいちばん真ちゃんといる時間長いもんなあ〜」
「最初青宗のこと気に入ってたのになあ。」
「いや。今も気に入ってると思うよ。嫉妬が激しいだけで。だって、イザナ青宗のお土産だけ豪華だもんな。」
「そっか。なんだかんだ仲が良いんならいいんだけど。え。土産豪華って青宗何もらったんだ?俺いっつも免税のタバコだからなあ。」
「この前は…アフリカ少数部族に伝わる謎の呪具で…その前は乗り継ぎのシャルルドゴール?で買ったエルメスのせっけん…えっと…その前はガンジス川で拾った石。それから、ジョー?マロー?の香水。」
「イザナの情緒大丈夫か。」
「なんか…俺のこと、かわいくてなでくりまわしたいときと、つねってぶちのめしたいときとが日替わりでくるらしい…。」
「イザナの情緒大丈夫か。」




3
「え???ツーリング???夜に???危ない!!却下!!」
数年前まで自分も乾のケツに乗って夜中のツーリングにいそしんでいたくせに九井はギャアギャアわめく。
「これだけは…これだけはゆずれねえ。だって真一郎君とワカクンだぞ…!!盆と正月が一緒に来たんだぞ!!」
「ええ…まあその2人ならまあ…でも黒川イザナも来るって…あの人のイヌピーへの土産情緒がおかしいもん…危ないって…呪具贈ったり高級な香水贈ったりおかしすぎる…!!」
「イザナの土産はおかしいけど!!俺は!!絶対行く!!」
「ふうん…じゃあ交換条件あんだけど。」




4
都内一等地に建つTK&KOグループの自社ビルに新しい屋外看板が設置された。以前まではシンプルなロゴのみの瀟洒なものだったのに新しいものは、長めの金髪をなびかせた大きな緑色の瞳の美しい男性が小首をかしげてこちらを見ている看板だ。男性はシンプルなTシャツにスリムなジーンズをはいているだけなのに、Tシャツが少しめくれて綺麗に割れた腹筋がのぞき、あしもとは紫色のかかとの高いミュールが妙な色気を放っている。この美しい男はいったい誰なのだとSNSですさまじい勢いで拡散され、ひとつのタウン誌にいきつく。この麗人は町のバイク屋のお兄さんであるらしいと。

「いやあ〜青宗やってくれたなあ〜こりゃベンケイ店先に置いてもどうにもなんないな。」
「真一郎君ごめんね。真一郎君たちとツーリング行くなら会社の宣伝用のモデルになれって言われて。あんなのがこんな話題になると思わなかったから。」
「いやあ。青宗。あれは話題になるよ…きれいだったよ。」
「真一郎君…!!うれしい!!」
「お前らサボらず働け〜!!」
乾がTK&KOグループの看板に登場してからというもの、この町のバイク屋には長蛇の列ができてしまっている。バイクの修理や購入ではなく、まったくバイクと縁がない人々が乾を見たいがためにサビ止めやらウエスやらを買いに来るのだ。真一郎と乾は通常通り整備の仕事もあるからレジ対応ができず安定期とはいえ申し訳ないことに妊娠中のエマちゃんにパートに入ってもらってなんとかまわしている状態なのである。
「しかし、九井は独占欲すごいからこういうのはやらないと思ってたんだがなあ。」
「真兄!見たでしょ!昨日のニュース番組!九井はあの看板の美人は誰ですか〜って聞かれて、あれは私のパートナーですよって指輪チラチラさせてドヤりたいだけだよ!!」
「すまねえ…真一郎君もエマちゃんも…ドラケンにも詫びいれねえと…お腹大きいのに…」
「イヌピー気にしないで!悪いの九井だからね!でもスポンサーだからねえ…抗議できないのが辛いところ…旦那と兄貴を失業させるわけにいかないもんね。」
少し客足が途絶え、控え室で3人休憩しながら話をする。意外なことに、乾は赤音という美人だが何かとかまいたおしてくる姉に慣れているため、エマという美人だが何かと世話を焼いてくる真一郎君の妹とすぐ打ち解けた。赤音と九井のせいで世話を焼かれ慣れているとも言える。
「ところで青宗、この前のツーリングの時イザナに土産何もらったんだ?俺はあいかわらず免税のタバコだったな。」
「え〜それウチも気になる〜ウチは発展途上国の女の人が作ったかわいいベビーシューズだったよ〜」
「持ってる…今…」
そう言って乾は作業着のポケットから紐をとりだした。
「何これ…?」
「インドの僧侶が念をこめた紐。」
「イザナの情緒大丈夫か。」




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