ep.05 2人は、初恋の人が今もヒトリでいることを願ってる
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手首を引っ張った後、黒尾はわざわざ指を絡めるように手を握り直した。
長身で脚も長い黒尾が大股でずんずんと歩くから、名前は、状況もよくわからないまま、必死についていく。
全く振り返らないし、声をかけてくることもない黒尾が、何を考えているのかも分からない。
転校したはずの名前が、なぜか休日に音駒高校にいることに怒っているのだろうか。黒尾の態度からは、久しぶりの再会を喜んでいるとは、どうしても思えなかった。
見慣れた懐かしい中庭に出た後、ようやく手が離れ、黒尾が振り返った。
「時間、ある?」
「え…、あー…、うん、少し、だけなら。」
多分、もう母親は靴箱の前で待っているだろう。
分かっていて、名前は、嘘をついた。
もう吹っ切れた、なんて言いながら、結局は黒尾は今でも好きな人で、一緒にいられる時間は、母親に叱られても構わないくらいに大切だったのだ。
「じゃあ、ここで少し話すか。」
黒尾はそう言うと、近くのベンチに腰を降ろした。
そして、自分の隣を軽くトントンと叩いて、名前も座るように促す。
とりあえずは、怒ってはいないことが分かって安心しつつ、名前は、ほんの少しだけ黒尾から距離を置いてベンチに腰を降ろした。
ベンチの縁を両手で握って、なんでもないフリをして、来客用スリッパの先に意味もなく視線を向ける。
「まずは、ひとつ、聞いていい?」
「うん。何?」
名前は、平然を装って訊ねる。
けれど、黒尾の方を向く勇気はなくて、飽きもせずに来客用スリッパの先をじっと見つめる。
何を聞かれるのだろうかーーーーーーどうして音駒高校に来ているのか。どうして月島と一緒にいたのか。左半身に熱を感じながら、名前はいろんな質問を考えた。
けれど、いつまで経っても、黒尾からは何も訊ねられなかった。
不思議に思い、名前は黒尾の方を向く。
「何?聞きたいことがあるんじゃないの?」
「あー…、忘れた。」
首を傾げる名前から視線を逸らしたのは、今度は黒尾の方だった。
忘れた、なんて嘘だと分かるくらいには、長い付き合いだ。
ほんの数ヶ月前までなら、『気になるじゃん、ちゃんと言ってよ!』なんて口を尖らせて、黒尾の腕を握り締めることも出来た。
でも今はもう、隣にいる黒尾が世界中の誰よりも遠くて、手を伸ばすのも怖い。
「…そっか。」
名前は、困ったように笑って、また視線を来客用スリッパの先に戻す。
すると、今度こそ、やっと黒尾が口を開いた。
「思い出した。名前の転校先って、烏野?」
やっぱりそれかーーーそう思いながら、名前は肯定の返事をする。
「だから、音駒に来てんの?」
「ううん、それは違うよ。
あの…裁判が終わったから、その報告と…お母さんが、今後の話をしに来た。
それで偶々、月島くん見つけて、今日から合宿だって知ったの。」
「あ〜…。そういうことか。
研磨から聞いた。執行猶予ついたって。」
「うん。示談で終わらなかったから良い方なんだって。
今は私の住所も変わったし、裁判でも反省してたし、多分、もう大丈夫かな。」
「そっか。よかったな。」
視界の端で、黒尾の大きな右手が動いたのが見えた。
多分、頭を撫でようとしたのだろう。
落ち込んでいる時、不安なくせに『大丈夫だ』と強がっている時、いつもそうやって、黒尾は慰めてくれた。
でも、上がりかけた手は、一瞬だけ動きを止めて、そのままゆっくりとベンチの上に落ちていった。
それが、変わってしまった自分たちの関係を表しているようで、ズキンと胸が痛んだ。
このまま黒尾の隣にいたら、好きが膨れる。そして、泣きたくなんてないのに、涙が迫り上がって来そうだった。
苦しい。逃げたい。そんな気持ちが神様に伝わったのか、バッグの中でスマホがバイブを鳴らした。散らかるバッグの中を探ってスマホを取り出すと、母親からのメッセージが届いていた。
どこにいるのか、というメッセージに、今すぐ行く、と短いメッセージを送る。
「ごめん、もう行かなくちゃ。
校長先生との話も終わって、お母さんが靴箱で待ってるみたい。」
名前は早口で立ち上がる。
1秒でも早く立ち去りたくて、パフォーマンスの申し訳ないフリは雑だった。
これでもう終わりだ。今度こそ、終わりにしよう。
心の中で、必死に自分に言い聞かせていた。
だって、黒尾にはもう可愛い彼女がいるのだからーーーー。
「待って。」
あ、と思った時にはもう黒尾に腕を掴まれ、引っ張られていた。
振り返る暇もなかった。相変わらず伏せていた顔を少し上げただけだ。
唇に触れた柔らかい感触に、名前は驚いて目を見開く。
睫毛さえ触れてしまいそうな至近距離に、黒尾が閉じてしまった瞼があった。
少しだけ乱暴に名前を自分に引き寄せた後、黒尾は顔を覗き込む格好で、勝手なキスをしたのだと、この時やっと状況を飲み込んだ。
けれど、その理由が、分からないまま、唇がそっと離れていく。
長身の黒尾は、まっすぐに背筋を伸ばして立つだけで、遠くなってしまう。
それなのに、腕を掴んだ手にはギュッと握りしめられていた。
じっと見つめてくる切長の瞳は、今日も飄々としていて、何を考えているか本当に分からない。
戸惑う名前に、黒尾が言う。
「怒った?」
「…怒って、ない。」
「なら、…ダメだった?」
黒尾が訊ねる。
いつもそうだ。黒尾は、名前に判断を任せようとする。ずるい男なのだ。
でも、これからはもう違う。もう2人は、今までの関係ではないのだ。彼女を作ったのは、黒尾だ。
名前はスッと目を逸らしてから口を開く。
「ダメなのは、鉄朗の方でしょ。
可愛い彼女に、怒られちゃうよ。」
「いない彼女には、怒られねぇから大丈夫。」
「…いないの?」
女子生徒達の話と違うーーーーーー少しの期待と不安を込めて、名前はもう一度、黒尾を見上げた。
黒尾が僅かに目を細める。
いないよ、と言って欲しいのに、黒尾はすぐに答えてはくれなかった。
「ーーーーーー名前に彼氏が出来たら、俺にも出来るかもな。」
「…何それ。じゃあ、一生出来ないよ。」
相変わらず狡い言い方だ。名前は苦笑する。
そんな名前をまっすぐに見つめて、黒尾はやけに真剣な表情で答える。
「なら、それでいい。」
「…バカじゃないの。モテるくせに、勿体無い。」
「好きな子にモテないと意味ないだろ。」
当然だろうーーーとばかりに言って、黒尾が漸く、腕を掴んでいた手を放した。
なんと答えたらいいのだろう。
『好きな子』は、今、誰なのだろう。今も変わらないと期待してもいいのだろうか。
答えを知りたくて、じっと黒尾を見つめてみたけれど、返事はなかった。
その代わりーーー。
「新しい連絡先、教えてくれる?」
「…うん、いいよ。」
少しだけ、本当に少しだけ、ちゃんと悩んだのだ。
音駒高校の生徒とはもう連絡を取らない方がいいし、名前の父親は特に黒尾に不信感を抱いている。
すぐそばにいても叶わなかった恋だ。遠距離になった途端にうまくいくとは考えられないし、むしろ、触れられない距離に歯痒い思いをしては、苦しむことになるに決まっている。
断った方がいい理由はたくさんあった。
でも、たった一つの「好き」という理由が、その全てに勝ってしまう。
気づいた時にはもう、肯定の返事をしていた。
長身で脚も長い黒尾が大股でずんずんと歩くから、名前は、状況もよくわからないまま、必死についていく。
全く振り返らないし、声をかけてくることもない黒尾が、何を考えているのかも分からない。
転校したはずの名前が、なぜか休日に音駒高校にいることに怒っているのだろうか。黒尾の態度からは、久しぶりの再会を喜んでいるとは、どうしても思えなかった。
見慣れた懐かしい中庭に出た後、ようやく手が離れ、黒尾が振り返った。
「時間、ある?」
「え…、あー…、うん、少し、だけなら。」
多分、もう母親は靴箱の前で待っているだろう。
分かっていて、名前は、嘘をついた。
もう吹っ切れた、なんて言いながら、結局は黒尾は今でも好きな人で、一緒にいられる時間は、母親に叱られても構わないくらいに大切だったのだ。
「じゃあ、ここで少し話すか。」
黒尾はそう言うと、近くのベンチに腰を降ろした。
そして、自分の隣を軽くトントンと叩いて、名前も座るように促す。
とりあえずは、怒ってはいないことが分かって安心しつつ、名前は、ほんの少しだけ黒尾から距離を置いてベンチに腰を降ろした。
ベンチの縁を両手で握って、なんでもないフリをして、来客用スリッパの先に意味もなく視線を向ける。
「まずは、ひとつ、聞いていい?」
「うん。何?」
名前は、平然を装って訊ねる。
けれど、黒尾の方を向く勇気はなくて、飽きもせずに来客用スリッパの先をじっと見つめる。
何を聞かれるのだろうかーーーーーーどうして音駒高校に来ているのか。どうして月島と一緒にいたのか。左半身に熱を感じながら、名前はいろんな質問を考えた。
けれど、いつまで経っても、黒尾からは何も訊ねられなかった。
不思議に思い、名前は黒尾の方を向く。
「何?聞きたいことがあるんじゃないの?」
「あー…、忘れた。」
首を傾げる名前から視線を逸らしたのは、今度は黒尾の方だった。
忘れた、なんて嘘だと分かるくらいには、長い付き合いだ。
ほんの数ヶ月前までなら、『気になるじゃん、ちゃんと言ってよ!』なんて口を尖らせて、黒尾の腕を握り締めることも出来た。
でも今はもう、隣にいる黒尾が世界中の誰よりも遠くて、手を伸ばすのも怖い。
「…そっか。」
名前は、困ったように笑って、また視線を来客用スリッパの先に戻す。
すると、今度こそ、やっと黒尾が口を開いた。
「思い出した。名前の転校先って、烏野?」
やっぱりそれかーーーそう思いながら、名前は肯定の返事をする。
「だから、音駒に来てんの?」
「ううん、それは違うよ。
あの…裁判が終わったから、その報告と…お母さんが、今後の話をしに来た。
それで偶々、月島くん見つけて、今日から合宿だって知ったの。」
「あ〜…。そういうことか。
研磨から聞いた。執行猶予ついたって。」
「うん。示談で終わらなかったから良い方なんだって。
今は私の住所も変わったし、裁判でも反省してたし、多分、もう大丈夫かな。」
「そっか。よかったな。」
視界の端で、黒尾の大きな右手が動いたのが見えた。
多分、頭を撫でようとしたのだろう。
落ち込んでいる時、不安なくせに『大丈夫だ』と強がっている時、いつもそうやって、黒尾は慰めてくれた。
でも、上がりかけた手は、一瞬だけ動きを止めて、そのままゆっくりとベンチの上に落ちていった。
それが、変わってしまった自分たちの関係を表しているようで、ズキンと胸が痛んだ。
このまま黒尾の隣にいたら、好きが膨れる。そして、泣きたくなんてないのに、涙が迫り上がって来そうだった。
苦しい。逃げたい。そんな気持ちが神様に伝わったのか、バッグの中でスマホがバイブを鳴らした。散らかるバッグの中を探ってスマホを取り出すと、母親からのメッセージが届いていた。
どこにいるのか、というメッセージに、今すぐ行く、と短いメッセージを送る。
「ごめん、もう行かなくちゃ。
校長先生との話も終わって、お母さんが靴箱で待ってるみたい。」
名前は早口で立ち上がる。
1秒でも早く立ち去りたくて、パフォーマンスの申し訳ないフリは雑だった。
これでもう終わりだ。今度こそ、終わりにしよう。
心の中で、必死に自分に言い聞かせていた。
だって、黒尾にはもう可愛い彼女がいるのだからーーーー。
「待って。」
あ、と思った時にはもう黒尾に腕を掴まれ、引っ張られていた。
振り返る暇もなかった。相変わらず伏せていた顔を少し上げただけだ。
唇に触れた柔らかい感触に、名前は驚いて目を見開く。
睫毛さえ触れてしまいそうな至近距離に、黒尾が閉じてしまった瞼があった。
少しだけ乱暴に名前を自分に引き寄せた後、黒尾は顔を覗き込む格好で、勝手なキスをしたのだと、この時やっと状況を飲み込んだ。
けれど、その理由が、分からないまま、唇がそっと離れていく。
長身の黒尾は、まっすぐに背筋を伸ばして立つだけで、遠くなってしまう。
それなのに、腕を掴んだ手にはギュッと握りしめられていた。
じっと見つめてくる切長の瞳は、今日も飄々としていて、何を考えているか本当に分からない。
戸惑う名前に、黒尾が言う。
「怒った?」
「…怒って、ない。」
「なら、…ダメだった?」
黒尾が訊ねる。
いつもそうだ。黒尾は、名前に判断を任せようとする。ずるい男なのだ。
でも、これからはもう違う。もう2人は、今までの関係ではないのだ。彼女を作ったのは、黒尾だ。
名前はスッと目を逸らしてから口を開く。
「ダメなのは、鉄朗の方でしょ。
可愛い彼女に、怒られちゃうよ。」
「いない彼女には、怒られねぇから大丈夫。」
「…いないの?」
女子生徒達の話と違うーーーーーー少しの期待と不安を込めて、名前はもう一度、黒尾を見上げた。
黒尾が僅かに目を細める。
いないよ、と言って欲しいのに、黒尾はすぐに答えてはくれなかった。
「ーーーーーー名前に彼氏が出来たら、俺にも出来るかもな。」
「…何それ。じゃあ、一生出来ないよ。」
相変わらず狡い言い方だ。名前は苦笑する。
そんな名前をまっすぐに見つめて、黒尾はやけに真剣な表情で答える。
「なら、それでいい。」
「…バカじゃないの。モテるくせに、勿体無い。」
「好きな子にモテないと意味ないだろ。」
当然だろうーーーとばかりに言って、黒尾が漸く、腕を掴んでいた手を放した。
なんと答えたらいいのだろう。
『好きな子』は、今、誰なのだろう。今も変わらないと期待してもいいのだろうか。
答えを知りたくて、じっと黒尾を見つめてみたけれど、返事はなかった。
その代わりーーー。
「新しい連絡先、教えてくれる?」
「…うん、いいよ。」
少しだけ、本当に少しだけ、ちゃんと悩んだのだ。
音駒高校の生徒とはもう連絡を取らない方がいいし、名前の父親は特に黒尾に不信感を抱いている。
すぐそばにいても叶わなかった恋だ。遠距離になった途端にうまくいくとは考えられないし、むしろ、触れられない距離に歯痒い思いをしては、苦しむことになるに決まっている。
断った方がいい理由はたくさんあった。
でも、たった一つの「好き」という理由が、その全てに勝ってしまう。
気づいた時にはもう、肯定の返事をしていた。
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