ep.01 2人はもう離れ離れ
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「おーい、行くぞー。」
帰りのHRを終えた黒尾は、同じクラスの夜久衛輔に声をかけた。
少しくらい待て、と文句を言いながらも、すぐに駆け寄ってきた夜久と一緒に教室を出る。
練習着とサポーター、バレー用のシューズ、その他諸々が入ったスポーツバッグの大きさも気にならないくらいに、小学生の頃から比べれば黒尾の身長も伸びて、肩幅も広くなった。
大きくも小さくも感じないスポーツバッグを肩にかけて向かうのは、放課後はバレー部専用になる体育館だ。
小学生の頃から続けているバレーは、黒尾が高校三年生になり、今年の春高バレーでついに引退になる。
大好きなバレーをただがむしゃらに頑張ってきた。努力してきた。好きな子すら蔑ろにして、傷つけて、失って、それでも続けてきた。
その成果となる春高バレーに、必ず行きたい。
いや、違う。絶対に行くーーーーそう、決めている。
出来れば、今までお世話になった猫又監督の因縁のある烏野高校との『ゴミ捨て場の決戦』も叶えたい。
あっという間に着いた部室の扉を開けると、山本猛虎の意味なく大きな挨拶が耳をつんざいた。
「お疲れ様ッス!!!」
山本のどでかい挨拶にビクッとした新入部員の1年生達も、つられるように大きな挨拶をしてくる。
長身な上にロシア人と日本人のハーフでキャラクターも濃いおかげで、一番圧の強い1年の灰羽リエーフだけはまだ来ていないようだが、それ以外の部員は全員揃っていた。
「お疲れ〜い。」
適当に返事をする黒尾の隣で、夜久は煩わしいとでも思ったのか、能面みたいな顔をして自分のロッカーへ向かっていく。
黒尾も自分のロッカーを開けると、隣で同学年の海信行が柔和な笑みを浮かべて話しかけてきた。
「お疲れ。今日は、5組のHRは時間かかってたけど、何かあったの?」
「掃除をサボって、非常階段で遊んでたやつが見つかったせいで、
お説教タイム。」
「おー、それは御愁傷様。」
柔和な笑みを浮かべたままの海が、黒尾と夜久の災難を労う。
着替えも終わった頃、今度は話しかけてきたのは、研磨だった。
「クロ。はい、これ。」
そう言って、研磨が渡してきたのは、チケットだった。
ペア用のそのチケットには、毎年、地元で開催される大規模なフェスのイベント名が派手に記載されていた。
(もうそんな季節か。)
夏前のギリギリ涼しさも残る頃にやってくるイベントで、毎年、研磨の父親が会社からチケットを貰ってくる。
当初は、息子のためにもらってきていたはずのこのチケットは、いつの間にか、黒尾のためのものになっていた。
遠慮していたのは最初だけで、どうせタダでもらえるものだからという研磨の父親の優しさに甘えて、毎年有難く頂き、遊びに行かせてもらっている。
研磨も一緒に行かないかと誘うのだけれど、出不精の彼は『クリアしたいゲームがあるから。』『買ったばかりのゲームがあるから。』『暑いから。』『面倒くさい。』となんだかんだ理由をつけて、断ってくる。
「おー、サンキュ。明日、名前に言っておくわ。」
毎年楽しみにしていたから、きっと喜ぶなーーーーそこまで考えて、明日どころか、これからもしかすると永遠に名前には会えないのだということを思い出す。
今の黒尾の日常に、『明日も会える名前』はもういないのだ。
そもそも、今頃、彼女がどこにいるのかすら分からない。
あの日、歩道橋から転落した名前は、なんとか手術は成功したものの3日も昏睡状態が続くほどの重傷を負っていた。頭を強く打っていたことで後遺症が心配されたが、幸い特に問題もなく1ヶ月ほどで退院することも出来た。
でもあれから、名前が学校に来ることはほとんどなかった。
ただの転落事故ではなくストーカー事件だと分かった彼女の親は、あっという間に引越しを決めてしまったのだ。
そして、退院がちょうど3月だったからなのか、名前はそのまま転校してしまった。
ストーカー絡みだったこともあって、名前は友人の誰にも引っ越し先を告げなかった。連絡先も変えたようで、今ではもう彼女と繋がっている友人は1人もいない。たぶん、彼女のスマホから、音駒高校関連の連絡先は全て消えているのだろう。
あんな事件が起きてしまったのだ。悲しいけれど、仕方がないと納得は出来ている。
一応、名前の父親と交流のある研磨の父親は、引っ越し先を知っていて、最近の彼女の様子を聞いてはいるらしい。
けれど、研磨にも何も教えてはくれないようだ。
「あー…俺と2人でいく?」
黒尾が誤魔化すように、ぎこちなく笑う。
もう二度と名前には会えない。助けを求めてきたのに、軽く考えて適当にあしらった。その結果、守りきれなかった自分に、彼女の隣に並ぶ資格はない。
自分のせいだと分かっていても、そんな現実が、どうしてもまだ心にも身体にも馴染まない。
無駄にスピードを上げる車が通り過ぎた時や満員電車の中で、今でもまだ左隣にいる名前を守るような仕草をしてしまう。そして、そこにはもう誰もいないことに気づいて、朝から気分が落ち込むのだ。
今日もまた、下手くそに笑って頬を引き攣らせる黒尾を見上げて、研磨が切なそうな表情を浮かべていた。
「絶対に嫌だから、もう二度と貰ってこないでって、父さんに言っとく。」
研磨はそう言って黒尾からチケットを奪い返すと、自分のロッカーに戻っていく。
そして、ロッカーの扉を開け、通学カバンの中にチケットを押し込んだ。
きっともう二度と、自分があのイベントに参加することはないのだろう。名前のことを思い出して、苦しくなるだけだ。会えないと分かっていて、会いたくなって、辛い思いをするだけだ。
「行けばいいだろ。」
夜久が、ボソッと呟くように言った。
その割には、隣を見ると、小柄な夜久は、じっと見据えるような力強い目で黒尾を見上げていた。
「おー、やっくん、行きたかった?
なら、今なら研磨に言えば、チケットを譲ってもらえんじゃーーー。」
「名前に会いたいんだろって言ったんだよ。」
図星をつかれて、何も言い返せない。
そんな黒尾を見上げる夜久は、呆れたような、困ったような笑みを浮かべて、小さく息を吐いた。
「いるわけもねぇ仙台の体育館で、名前がいたとか言い出しちまうくらい会いたいなら
いるかもしれねぇフェスに行く方がまだマシだと思ったんだよ。」
確かにそうだ。会いたい。最後に会ったあの日から、名前が背を向けたあの瞬間からずっと、会いたいと願っている。
隣にいる資格が自分にはないと分かっていながら、それでも、本当は会いたい。
そんな気持ちを誤魔化すように、黒尾は引き攣る自分の顔に笑いを貼り付けた。
「ま…、まさか〜。引っ越し先は東京じゃないって話だし、来れないでしょ。
わざわざ引越しまでさせた名前の父ちゃんが、地元に戻ってくることを許してくれるとも思えねぇし。」
「それでも、黒尾のためなら、どんな手を使っても会いにくる。
ーーーそれが、名前だろ?」
「…っ。」
「少なくとも、俺が知ってる名前はそうだから、そう思っただけ。
まぁ、決めるのは黒尾だし、好きにすればいいけど。」
夜久は言いたいだけ言うと、タオルを持って部室を出ていく。
ーーーー黒尾のためなら、どんな手を使っても会いにくる。
夜久の言葉が、黒尾の頭の中に残る。
黒尾の知っている名前もそうだった。
自惚れでもなんでもなく、名前の好意は、まっすぐに自分に向かっていることを知っていた。
知っていたからこそ、名前の想いの上に胡座をかいて、本当の意味で大切にするということが出来なかったくらいには、彼女の『好きな人』は自分だという自信があった。
でも、今はどうなのだろう。
今もまだ、今の名前もまだ、そうだろうか。
守りきることも出来なかった挙句、離れたくないと泣きそうになっていた名前の気持ちに気づいていたのに、寄り沿う覚悟も持てなかった。
今度こそ俺が守るから行くな、なんて無責任な言葉さえ言えなかった。
我儘な子供にもなれず、だからといって、名前の未来に責任を持てる大人でもない。
そんな中途半端で情けない男のことなんて、呆れて、もう嫌いになってしまっただろうか。
「研磨!」
黒尾に名前を呼ばれた研磨は、ビクッと肩を跳ねさせた。
悪い予感がしたのか、黒尾を見た研磨の顔は、心底面倒くさそうな表情を浮かべていた。
帰りのHRを終えた黒尾は、同じクラスの夜久衛輔に声をかけた。
少しくらい待て、と文句を言いながらも、すぐに駆け寄ってきた夜久と一緒に教室を出る。
練習着とサポーター、バレー用のシューズ、その他諸々が入ったスポーツバッグの大きさも気にならないくらいに、小学生の頃から比べれば黒尾の身長も伸びて、肩幅も広くなった。
大きくも小さくも感じないスポーツバッグを肩にかけて向かうのは、放課後はバレー部専用になる体育館だ。
小学生の頃から続けているバレーは、黒尾が高校三年生になり、今年の春高バレーでついに引退になる。
大好きなバレーをただがむしゃらに頑張ってきた。努力してきた。好きな子すら蔑ろにして、傷つけて、失って、それでも続けてきた。
その成果となる春高バレーに、必ず行きたい。
いや、違う。絶対に行くーーーーそう、決めている。
出来れば、今までお世話になった猫又監督の因縁のある烏野高校との『ゴミ捨て場の決戦』も叶えたい。
あっという間に着いた部室の扉を開けると、山本猛虎の意味なく大きな挨拶が耳をつんざいた。
「お疲れ様ッス!!!」
山本のどでかい挨拶にビクッとした新入部員の1年生達も、つられるように大きな挨拶をしてくる。
長身な上にロシア人と日本人のハーフでキャラクターも濃いおかげで、一番圧の強い1年の灰羽リエーフだけはまだ来ていないようだが、それ以外の部員は全員揃っていた。
「お疲れ〜い。」
適当に返事をする黒尾の隣で、夜久は煩わしいとでも思ったのか、能面みたいな顔をして自分のロッカーへ向かっていく。
黒尾も自分のロッカーを開けると、隣で同学年の海信行が柔和な笑みを浮かべて話しかけてきた。
「お疲れ。今日は、5組のHRは時間かかってたけど、何かあったの?」
「掃除をサボって、非常階段で遊んでたやつが見つかったせいで、
お説教タイム。」
「おー、それは御愁傷様。」
柔和な笑みを浮かべたままの海が、黒尾と夜久の災難を労う。
着替えも終わった頃、今度は話しかけてきたのは、研磨だった。
「クロ。はい、これ。」
そう言って、研磨が渡してきたのは、チケットだった。
ペア用のそのチケットには、毎年、地元で開催される大規模なフェスのイベント名が派手に記載されていた。
(もうそんな季節か。)
夏前のギリギリ涼しさも残る頃にやってくるイベントで、毎年、研磨の父親が会社からチケットを貰ってくる。
当初は、息子のためにもらってきていたはずのこのチケットは、いつの間にか、黒尾のためのものになっていた。
遠慮していたのは最初だけで、どうせタダでもらえるものだからという研磨の父親の優しさに甘えて、毎年有難く頂き、遊びに行かせてもらっている。
研磨も一緒に行かないかと誘うのだけれど、出不精の彼は『クリアしたいゲームがあるから。』『買ったばかりのゲームがあるから。』『暑いから。』『面倒くさい。』となんだかんだ理由をつけて、断ってくる。
「おー、サンキュ。明日、名前に言っておくわ。」
毎年楽しみにしていたから、きっと喜ぶなーーーーそこまで考えて、明日どころか、これからもしかすると永遠に名前には会えないのだということを思い出す。
今の黒尾の日常に、『明日も会える名前』はもういないのだ。
そもそも、今頃、彼女がどこにいるのかすら分からない。
あの日、歩道橋から転落した名前は、なんとか手術は成功したものの3日も昏睡状態が続くほどの重傷を負っていた。頭を強く打っていたことで後遺症が心配されたが、幸い特に問題もなく1ヶ月ほどで退院することも出来た。
でもあれから、名前が学校に来ることはほとんどなかった。
ただの転落事故ではなくストーカー事件だと分かった彼女の親は、あっという間に引越しを決めてしまったのだ。
そして、退院がちょうど3月だったからなのか、名前はそのまま転校してしまった。
ストーカー絡みだったこともあって、名前は友人の誰にも引っ越し先を告げなかった。連絡先も変えたようで、今ではもう彼女と繋がっている友人は1人もいない。たぶん、彼女のスマホから、音駒高校関連の連絡先は全て消えているのだろう。
あんな事件が起きてしまったのだ。悲しいけれど、仕方がないと納得は出来ている。
一応、名前の父親と交流のある研磨の父親は、引っ越し先を知っていて、最近の彼女の様子を聞いてはいるらしい。
けれど、研磨にも何も教えてはくれないようだ。
「あー…俺と2人でいく?」
黒尾が誤魔化すように、ぎこちなく笑う。
もう二度と名前には会えない。助けを求めてきたのに、軽く考えて適当にあしらった。その結果、守りきれなかった自分に、彼女の隣に並ぶ資格はない。
自分のせいだと分かっていても、そんな現実が、どうしてもまだ心にも身体にも馴染まない。
無駄にスピードを上げる車が通り過ぎた時や満員電車の中で、今でもまだ左隣にいる名前を守るような仕草をしてしまう。そして、そこにはもう誰もいないことに気づいて、朝から気分が落ち込むのだ。
今日もまた、下手くそに笑って頬を引き攣らせる黒尾を見上げて、研磨が切なそうな表情を浮かべていた。
「絶対に嫌だから、もう二度と貰ってこないでって、父さんに言っとく。」
研磨はそう言って黒尾からチケットを奪い返すと、自分のロッカーに戻っていく。
そして、ロッカーの扉を開け、通学カバンの中にチケットを押し込んだ。
きっともう二度と、自分があのイベントに参加することはないのだろう。名前のことを思い出して、苦しくなるだけだ。会えないと分かっていて、会いたくなって、辛い思いをするだけだ。
「行けばいいだろ。」
夜久が、ボソッと呟くように言った。
その割には、隣を見ると、小柄な夜久は、じっと見据えるような力強い目で黒尾を見上げていた。
「おー、やっくん、行きたかった?
なら、今なら研磨に言えば、チケットを譲ってもらえんじゃーーー。」
「名前に会いたいんだろって言ったんだよ。」
図星をつかれて、何も言い返せない。
そんな黒尾を見上げる夜久は、呆れたような、困ったような笑みを浮かべて、小さく息を吐いた。
「いるわけもねぇ仙台の体育館で、名前がいたとか言い出しちまうくらい会いたいなら
いるかもしれねぇフェスに行く方がまだマシだと思ったんだよ。」
確かにそうだ。会いたい。最後に会ったあの日から、名前が背を向けたあの瞬間からずっと、会いたいと願っている。
隣にいる資格が自分にはないと分かっていながら、それでも、本当は会いたい。
そんな気持ちを誤魔化すように、黒尾は引き攣る自分の顔に笑いを貼り付けた。
「ま…、まさか〜。引っ越し先は東京じゃないって話だし、来れないでしょ。
わざわざ引越しまでさせた名前の父ちゃんが、地元に戻ってくることを許してくれるとも思えねぇし。」
「それでも、黒尾のためなら、どんな手を使っても会いにくる。
ーーーそれが、名前だろ?」
「…っ。」
「少なくとも、俺が知ってる名前はそうだから、そう思っただけ。
まぁ、決めるのは黒尾だし、好きにすればいいけど。」
夜久は言いたいだけ言うと、タオルを持って部室を出ていく。
ーーーー黒尾のためなら、どんな手を使っても会いにくる。
夜久の言葉が、黒尾の頭の中に残る。
黒尾の知っている名前もそうだった。
自惚れでもなんでもなく、名前の好意は、まっすぐに自分に向かっていることを知っていた。
知っていたからこそ、名前の想いの上に胡座をかいて、本当の意味で大切にするということが出来なかったくらいには、彼女の『好きな人』は自分だという自信があった。
でも、今はどうなのだろう。
今もまだ、今の名前もまだ、そうだろうか。
守りきることも出来なかった挙句、離れたくないと泣きそうになっていた名前の気持ちに気づいていたのに、寄り沿う覚悟も持てなかった。
今度こそ俺が守るから行くな、なんて無責任な言葉さえ言えなかった。
我儘な子供にもなれず、だからといって、名前の未来に責任を持てる大人でもない。
そんな中途半端で情けない男のことなんて、呆れて、もう嫌いになってしまっただろうか。
「研磨!」
黒尾に名前を呼ばれた研磨は、ビクッと肩を跳ねさせた。
悪い予感がしたのか、黒尾を見た研磨の顔は、心底面倒くさそうな表情を浮かべていた。