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阪神淡路大震災

2015/01/17 15:21
##IMGU62##藤守

みんな、おはようさん。

1995年の今日、午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生した。

阪神・淡路大震災やな。


地震は防げん。


その前にどれだけ備えるか、

その時に何が出来るか、

その後に何をするべきか、

改めて考えてみる日やな。


被害者の出た自然災害は、阪神淡路以外にも数えきれないぐらいあるやんか。

その人たちが、身を以てたくさんの事を教えてくれてはるやんか。

こういう節目が来るたびに、俺らは亡くなった人たちの冥福を祈るだけやなく、不幸を嘆くだけやなく、現実に起きた事を振り返って、自分に置き換えて真剣に想像して、真面目に考えてみなあかん。

そうやないと、その人たちが報われん。

堅い話になってごめんな。


けど、俺はそう思うねん。
 
追記
名前:桐子
本文:
藤守さん、おはようございます。

私の友人も被災して亡くなりました。

毎年この日は胸が痛くなります。

結婚して、子供が産まれてからずっと、この日の話しを教えて、我が家の防災について考える日にしてます。

備えあれば憂いなし、と言いますが、実際どこまで備えれば良いかわかりませんね。

あ、私も固い話しになっちゃいました~

名前:ジュン
本文:賢史くん。ヒシッ←抱きついた

20年前は私は京都府に住んでいて、棚の上の物が全部落ちてきたのを覚えてる。

私も今日は家族で震災について話すよ。

でも、本当にどこまで備えてたらいいのかってわからないよね。

どうか災害が起こらないように祈ってしまう。

賢史くんも備えはちゃんとしててね。

名前:藤守賢史
本文:
桐子は意識が高くて立派やな。

普段から災害を意識して、家族で話し合う、それが一番大切やと思うで。

一週間分の水と保存食の準備、それぞれの避難場所の確認、避難先での生活方法、防寒対策……

考え出したらキリがないし、準備する前からうんざりするような作業だわな。

せやから、常に家族全員で心掛けて、コツコツ準備しておくのはええ事や。

東日本大震災で被災した東北の人たちにも会うたけど、避難所や仮設住宅に入った以外の、自宅で暮らしを続ける人たちの数の方が遥かに多くて、それなのに、その人たちには援助が届かないいう話も聞いたで。

阪神淡路より後に起きた東日本の震災でさえそれや。

行政をあてにする前に、自分の身は自分で守らなあかんいう覚悟が必要やと俺も思うわ。

名前:藤守賢史
本文:
ジュン!ギュッ(←抱き締めた)

俺の心配までしてくれて、ありがとうな。

最近は「真面目」って事がなんや馬鹿にされるような雰囲気があるし、責任を人任せにするような傾向があるけど、おかしいよなあ。

未曾有の大災害の時やんか。

誰も責められないような状況やんか。

決死の救出劇や殉職は、そりゃ美談や。

けど、実際は、大半の被災者は無言で耐えてんねん。

それが正しいかどうかはわからへん。

困った時に人の世話になることは恥やない。

相手が困った時には自分が助けてやったらええねんから。

けど、少なくとも俺は、俺の家族は、自分たちより大変な人たちがいるなら、自分たちは耐える心身の強さを持ちたいねん。

そのための、備えや。

小春にもいつもそう言うてるんやけどな。

アイツなんか、生まれる前から東海地震が来る言われてる場所に住んでんのに、まー、のんきなもんや。

ジュンからも叱ったって。

名前:とも
本文:賢史くん、おはよー( ´ ▽ ` )ノ

20年前の私はまだ学生で、ちょうど風邪をひいて高熱を出してうなってた時で大きな揺れの地震にビックリやわしんどいわで大変やったなぁ。

今日はウチでも次来るかもしれない東南海地震に備えて避難場所の確認や、実際に災害が起きた時にどうすればいいかなんかを子どもと話してるよ。

名前:藤守賢史
本文:
早朝やったから、ともみたいに寝てて驚いた人が多かったんちゃうか。

病気の時に被災なんて、不安で怖かったやろな。

そして、とものところも家族会議か。

やっぱり、子供と話すのは重要やんな。

もちろん、実際に一緒に避難訓練してみるのが一番やけどな。 

名前:エミ
本文:
藤守さん、こんばんは。

20年前の今日、テレビ画面に映し出された光景に衝撃を受けたのを今でも覚えています。

日本は地震を含め災害が多い国だということを忘れてはいけませんね。

名前:冬子
本文:
こんばんは

今年は災害のない年であってほしいです

世界中でそうあってほしいです

どこの国の人も皆んな幸せがいいな

最近特にそう思います

名前:藤守賢史
本文:
こんばんは、エミ。

映像には力があるよな。

例えば3・11も9・11もそうやけど、テレビの画面から受けた衝撃を何年経っても思い出すやんか。

まして、現実に体験した人の、実際に目にした光景から受けた衝撃なんか計り知れへん。

けど、その記憶も、年が経つにつれて、段々と薄れていくねん。徐々に記憶の奥底に沈んでいくねん。

辛い記憶は特にそうや。それは、そうしないと生きていられなくなってしまうからやろ。

けど、絶対に忘れないし、忘れたらあかんよな。

名前:藤守賢史
本文:
冬子の言うてる通りやな。

静かな年になって欲しいな。

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件は同じ年の1月と3月に起きてるんやで。

地震は防げない。

けど、事件は、もしかしたら防げるかもしれへん。

室長もいつもそう言うてはるやろ。

震災の時、子供やった俺は、たくさんの人たちに支えられて大人になった。

大人になって警察官になった、今度は俺がみんなを支える力のひとつになりたい。

今日からまた、俺頑張るで!

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