鹿児島にて
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~穂積vision~
……泪。
誰かが呼んでいる。
泪。
よく知っている、温かく耳に心地好い声。
「泪」
穂積
「……」
「起こしてごめんね。でも、そろそろ時間でしょ?」
穂積
「うん、っ」
畳の上、枕元に揃えられた膝頭を見ながら頷き、伸びをして上半身を起こす。
ああ。
久し振りに、本当に久し振りに熟睡した。
穂積
「ありがとう」
母さん。
礼を言うと、母親は、皺の増えた顔で微笑んだ。
母
「こちらこそ、ありがとう。忙しいのに帰って来てくれて、嬉しかったわ」
穂積
「法事の時ぐらい、墓前で手を合わせてやらなきゃな。ジジイが化けて出たら困る」
母
「そんな事を言って」
母親が可笑しそうに笑う。
母
「おじいちゃん子だったくせに」
懐かしそうに言う笑顔から、俺はわざと目を逸らした。
昨夜脱いだ服がもう洗濯されて、開いたままだった俺のスーツケースの横に、畳んで置かれている。
母
「身の回りの世話をしてくれる人が出来たみたいね、小野瀬さん以外に」
一言余計だ。
せっかくの休みだというのに、鹿児島まで来て、ジジイはともかく小野瀬の顔まで思い出す羽目になるなんて。
けれど母親の次の一言で、俺の脳裏には別の顔が浮かんだ。
母
「……どんな女の人なのかしら」
穂積
「結婚するつもりだよ」
即答すると、母親は、驚いたように目を円くした。
俺がそんな事を言ったのは、初めてだからだ。
母
「スーツケースの中身を準備してくれた人?」
穂積
「うん」
母
「旅行安全祈願のお守りを忍ばせてくれてあったわね。築土明神様の」
え、そうなのか。
穂積
「知らなかった」
じわりと胸が暖かくなる。
母
「優しい娘さんなのね」
穂積
「ああ。俺にはもったいない」
母
「あら」
優しい、と言うより、思いやりがある、と言った方がいいかもしれない。
自分の気持ちよりも先に、俺の幸せを願ってくれる。
俺の傍にいる事の困難を、幸せだと言ってくれる。
母
「嬉しい。泪に、そんな人が出来たなんて」
穂積
「泣くか笑うかどっちかにしろよ」
背中を撫でると、そうね、と言って母親は目尻を拭った。
母
「でも、うちに連れて来る女の子といえばカブトムシやトカゲしかいなかった泪が」
失礼だな、と言えば、母親は、ごめんね、と笑う。
一粒、涙が零れた。
母
「……強くなったのね」
穂積
「……」
母
「自分だけじゃなく、誰かを守れるぐらいに」
穂積
「これでも警察官なんだ」
そうだったわね、母親はまた泣き笑いする。
ごめんね、涙脆くなっちゃって、と。
背中を撫でていた手に力を込めて、俺は、母親の身体を引き寄せた。
咄嗟に茶化してしまったが、母親が何を思い出していたのか、俺にはよく分かる。
金髪をハサミで乱暴に切り散らかされ、歯が折れるほど殴られた顔を腫らして、理不尽な苛めに切れた唇を噛み締めて、怒りで目をギラつかせていた幼い我が子を、どんな思いで見守ってきたのだろうか。
どれほど、自分自身を責め続けたのだろうか。
黒髪に白いものが混じり始めている、俺と色の違う髪。
穂積
「母さん」
抱き締めて呼び掛ければ、すん、と鼻を鳴らして目を擦ってから、顔を上げた。
穂積
「次は連れて来るよ」
母
「楽しみにしてるわ」
台所から、味噌汁の香りに乗って、昨日のプロ野球の話をする父親と弟の声が聞こえてくる。
どちらの声も、
母
「やっぱり親子ね。泪の声によく似てる」
俺が思った事を、母親が代わりに続けた。
穂積
「俺たちが父さんの声に似てきたんだよ」
母親を促して立ち上がりながら、俺は笑った。
穂積
「やっぱり親子なんだな」
母親が笑顔を返す。
仏壇からジジイも笑っている。
なんだか面映ゆい。
俺は照れ隠しに「ああ腹が減ったな」とか何とか言いながら、朝飯と、家族の待つ場所に向かって、足早に歩き出した。
~END~