フィカス・ウンベラータ
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~翼vision~
捜査室から見える窓の外は、台風一過の鮮やかな夕焼け。
明智
「室長、今日の報告書です」
プリンターから数枚の紙が排出される音の後、机の上でとんとんとその紙の端を揃える音、席から立ち上がる音に続いて、明智さんの声が聴こえてきた。
私は自分自身の書類整理を早く終わらせる為に、耳だけを働かせながらペンを動かしている。
書類を差し出した後、明智さんは室長席の前に直立して決裁を待ち、室長は報告書を捲って最後まで目を通してから、所定の位置に判を捺す。
普段見慣れている光景だけに、聴こえてくる音だけで二人の姿を想像するのは、難しい作業ではなくむしろ楽しかった。
うん、と、室長が頷いた声がする。
穂積
「いつもながらよく出来ているわね。はい、OKよ」
明智
「ありがとうございます。では、定時を過ぎましたので、これで失礼します」
藤守
「出た、お約束のセリフ」
如月
「早く帰って、お姉さんたちにご飯食べさせてあげてください」
小笠原
「……お疲れさま」
明智
「いや、今日は……」
他のメンバーから口々に労いの声を掛けられながら、帰り支度を済ませた明智さんの声と靴音が近付いて来る。
ドアノブにかかる手が見えたところで、私は顔を上げ、声を掛けた。
翼
「お疲れさまでした」
明智
「ああ。櫻井とは、また、後でな」
私はぎくりとした。
明智さんの一言で捜査室に溢れていた全ての音がぱたりと止んで、視線が私に突き刺さる。
パタン…
そのまま明智さんが去り、ドアが閉まった途端。
捜査室の中は一転、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
如月
「何?!なに今の?!」
小笠原
「…この後、櫻井さんが明智さんと待ち合わせの確率99.9%」
藤守
「ホンマか?櫻井、お兄ちゃん怒らんから説明してみい?」
翼
「いえ、あれは、その」
三人に囲まれて、私は狼狽えてしまった。
隙間から見える視線の先には、騒ぎをよそに、室長席で黙々と仕事を続けている私の恋人。
嫉妬深いはずの彼の静けさが、逆に恐くて正視できない。
如月
「翼ちゃん、これから明智さんとどこに行くの?」
翼
「言えません。ひ、ひ、秘密です」
藤守
「お前何で赤くなってんねん!シャレにならんぞ?」
如月さんが、スタンドライトを点けて私に向けた。
如月
「翼ちゃん、いつの間に、明智さんとそんな仲になったの?」
藤守
「吐け、吐いて楽になってしまえ」
翼
「そんな!」
まるで取り調べだ。
その時。
小笠原
「……分かった」
翼
「えっ?」
小笠原さんの呟きを受けて、私は思わず聞き直した。
同時に、如月さんと藤守さんの追及も止まる。
淡々とした小笠原さんの声が、静かな捜査室に響き始めた。
小笠原
「季節は食欲の秋。そして、明智さんと櫻井さんは、どちらも甘い物が好き」
翼
「うっ」
如月
「あっ」
藤守
「は?」
小笠原さんが眼鏡を押し上げた。
小笠原
「さらに帰宅時間や立地条件を計算に入れて推測すると、二人の行き先は『レストラン●◎●◎の《ベツバラスイーツバイキング》』、もしくは『◇◆◇◆デパート地下食品売り場のハロウィーン企画《輸入洋菓子大決算》』…」
小笠原さんの推論を聞きながら、私は、こくりと唾を飲み込んだ。
離れた席で、室長が静かに肩を揺らしているのが目に入る。
小笠原
「いずれにしても、二人は季節限定の甘味を求めて行動するとみた」
私は深々と溜め息をついて肩を落とし、小笠原さんに向かって頭を下げた。
翼
「…恐れ入りました…」
如月
「なーんだ!それじゃあ、ただのお母さんと娘とのお出掛けじゃん!」
藤守
「デパ地下に菓子買いに行くだけで、意味深な目配せすんなや!」
翼
「す、すみません…!」
小笠原
「まあ、謝るほどの事じゃないけどね」
藤守
「……そうやな。俺らの方こそ、引き止めて悪かったわ」
如月さんがスタンドの明かりを消して、藤守さんが頭を撫でてくれた。
如月
「じゃ、気をつけて行っておいでね」
藤守
「何か面白い菓子あったら買うてきてや」
翼
「はい、分かりました」
私は促されるままに席を立ち、急いでロッカーに向かった。
帰り支度を済ませて戻ると、いつの間にか、室長の姿が無い。
仕上げた報告書を室長の机の上に提出してから、私は藤守さんたちに頭を下げた。
翼
「では、お先に失礼します」
藤守
「おう、明智さんによろしくな」
如月
「お疲れさま」
小笠原
「また明日ね」
三人に挨拶を済ませて外に出ると、休憩所の先に、室長の姿が見えた。
廊下に置かれた観葉植物の陰で、室長は壁に背中を預けてこちらを見ている。
翼
(泪さん……)
私を待っているのだと察して小走りに駆け寄ると、室長は私に微笑んでから、ゆっくりと身体を起こした。
翼
「室長、すみません。お先に……」
穂積
「あの説明で、ワタシも納得しただろうと思った?」
捜査室を出て安堵しかけていた私は、室長の言葉で一気に凍りついた。
美貌の恋人に笑顔で見つめられているというのに、私の背中を冷や汗が伝う。
翼
「あ、あ、明智さんと約束したのは本当です」
穂積
「正直でよろしい」
室長がさらに口角を上げる。
穂積
「でも、本当の目的は違うわね」
蛇に睨まれた蛙、という諺が頭を掠める。
室長は長身を屈めて私に顔を近付けると、しばらくじっと私を見つめてから、口を開いた。
穂積
「明智と約束したのは、スポーツジム」
翼
「え?!」
ずばりと言い当てられ、息が止まりそうになった。
穂積
「何故なら、アンタ最近、ちょっと太」
翼
「ひゃ」
思わず叫びそうになった私の口を、室長の掌が素早く塞いだ。
穂積
「アホの子。大きな声を出すんじゃないの」
低い声で叱られて、私も声を抑える。
翼
「……すみません。で、でも、どうしてそれを」
穂積
「愚問ね」
室長は呆れ顔で、ばっさりと切り捨てた。
穂積
「そんなの、触り心地で分かるわよ」
翼
「……っ」
思わず赤面してしまう。
我ながら、確かに愚問だった。
室長は、警察の合宿で交渉術の講師を務めるほど洞察力と誘導尋問に長けているけれど、そんなものを使うまでもなく、私の身体の変化は、素肌を合わせる彼が一番よく知っている。
穂積
「全然、気にするほどじゃないと思うけど」
そう言って笑うと、室長は踵を返して、捜査室の方に足を向けた。
穂積
「でもまあ、女心よね。ジムでもダムでも行ってらっしゃい」
翼
「……」
私自身は真剣に悩んでいる事なのに。
それに、室長に嫌われたくないが故の悩みなのに……一笑に付されてしまって、なんだか複雑。
翼
「……明智さんと行っても、いいんですか?」
ほとんど独り言のように呟いたのに、室長の足が止まり、驚いたような顔が私を見つめた。
翼
「……水着で一緒にプールに入る、って言っても、妬いて、くれないですか……?」
穂積
「……」
室長の足が、再び私の方に向いた。
正面に立った彼の指先が、私の顎を持ち上げる。
私は狼狽えた。
ここは、いつ誰が通るか分からない、刑事部の廊下なのに。
翼
「あの」
室長は真顔だ。
穂積
「お前は本当に、俺を挑発するのが上手いな」
声色が変わった。
穂積
「そんなに、俺に、嫉妬させたいか?」
しまった、と思った瞬間、腕を掴まれて、観葉植物の陰に連れ込まれた。
そのまま痛いほど壁に押さえ付けられ、抵抗する間も無く強引に唇を奪われる。
翼
「んぅ、っ」
衝撃と背徳感と快感とが一気に襲ってきて、私はたちまち室長に全てを支配されてしまった。
息も出来ないほど深くて荒々しいくちづけを、振り払う事も叶わずにただ受け入れるしかない。
すぐ隣にある階段を、複数の人たちが話しながら通り過ぎてゆくのが気配で分かって、血の気が引いた。
翼
「ん、んんっ」
穂積
「今、ここで、大声で叫んでやりたい」
僅かに唇を離し、感情を押し殺すような声で室長が呟いた。
翼
「…何、を…?」
懸命に息を整えながら尋ねると、もう一度唇を吸われた。
穂積
「お前は俺のものだってな」
どきん、と胸が音を立てた。
……そうだった。
室長は最初から、私との関係を誰に知られても構わない、と言ってくれた。
結婚するつもりなのだからと。
一人前になるまで、父に認めてもらえるまで、待ってくれと言ったのは私。
それなのに、私はそんな彼に甘えて……。
翼
「……無神経な事、言って、……ごめんなさい」
穂積
「……俺もだ」
室長の表情が徐々に和らいで、私の腕を掴んでいた手が緩んだ。
穂積
「乱暴にして悪かった」
翼
「ううん」
愛されていると感じる事が出来て、心が満たされてゆくのが分かる。
そっと彼の手を握ると、しっかりと握り返してくれた。
翼
「心配なら、一緒にジムに行きましょう?」
穂積
「……馬鹿ね。信じてるわよ」
鼻先が触れ合う距離で囁きあってから、私たちは離れた。
いつの間にか、室長の口調と声が、職場でのそれに戻っている。
翼
「実は、《ベツバラスイーツバイキング》にも行くんですけど」
穂積
「……明智と行きなさい」
甘い物が苦手な彼は、私の誘いを嫌そうに断ってから、苦笑いした。
穂積
「ただし、明智と過ごしていいのはジムとバイキングまで」
翼
「……その後は?」
少し甘えた声で首を傾げると、柔らかい微笑みを返してくれる。
穂積
「うちに来て、ワタシの空腹を満たしてちょうだい」
室長の声に含まれる甘やかな響きに気付き、さっきの激しいくちづけを思い出して、身体が熱くなった。
穂積
「ワタシはもう、アンタでないと満足出来ないの」
私も。
私ももう、きっと、室長でしか満足出来なくなっている。
穂積
「翼、愛してる」
ほら、やっぱり。
旬の味覚も豪華な料理も、どんな高価なスイーツも、恋人からの嫉妬と甘い囁きの魅力にはかなわない。
翼
「泪さん、私の事、好き過ぎ」
私も、泪さんの事、好き過ぎ。
くしゃくしゃと頭を撫でてくれた彼の手が、今度は優しく私を誘う。
私たちはフィカス・ウンベラータの葉の陰に隠れて、もう一度、長い長いキスをした。
~END~