娘の選んだ男
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用事を済ませ、来た時と同じ道を辿って帰る途中、わたしは、さっきの路地をもう一度、覗いてみた。
もちろん、もう、誰もいない。
代わりに、路地の入り口に、さっきまでは無かった、肩ほどの高さの、トレリスというのか、真新しい金属製の柵が設置されていた。
縦に桟が通っているだけだから、通路の中の様子はよく見える。だが、簡単には入れない。
なるほど、とりあえずこれなら、いきなり引っ張り込まれる事はないだろう。
……ふむ。
……まあ、仕事が出来る男なのは、知っている。
……それにしても、あいつは室長だろう。警視だろう。
……まさか、部下と組んで、所轄の警邏までしているのか?
……捜査にまつわる聞き込みの途中か何かで、たまたま、脅迫の現場に居合わせたのかもしれないが。
しかし……
穂積
「またそいつをイジメてんのか、てめえらっ!」
考え事をしながら歩いていたら、頭の上からいきなり穂積の怒声が聞こえてきて、わたしは不覚にも飛び上がってしまった。
すぐ横は、ブロックの石垣。
その上は緑のフェンス。
小学校の建物が見えている。
隠れるつもりは無かったが、わたしは、その場に足を止めていた。
「だって、こいつんち、母ちゃん黒いんだぜ」
穂積
「それがどうした。その事で、こいつや母ちゃんがお前に迷惑かけたか」
「ないけどさ」
「でもみんな言ってるもん。こいつもいつか黒くなるって」
穂積
「『みんな』って誰だ。『いつか』っていつだ。黒くなったらどうだって言うんだ」
「……」
穂積
「お前も簡単に泣くんじゃねえ!だから泣かされるんだ!」
……穂積、お前はどちらの味方だ。
穂積
「いいか、イジメにだってルールがある。『みんながイジメてるから』なんて理由はダメだ。大勢でひとりをイジメるのもダメだ。本人には責任の無い事、どうしようもない事で責めるのもダメだ」
「そんな事言ったら、こいつイジメられないじゃん」
穂積
「イジメるなって言ってんだよ!いいか、相手の身になって考えてみろ、なんて言ったって、分からないだろうから教えてやる。今のお前らがやってる事は、最低だ」
小学生相手にムキになって叱る穂積の声を聞きながら、わたしは、ある事を思い出していた。
……鹿児島。
わたしがその時思い出したのは、いつも思い出す、ホームランで植木鉢を割るたびに謝りに来た、憎たらしい小学6年生の穂積ではなかった。
わたしが思い浮かべた穂積は、それよりも、もっと小さく、幼かった。
わたしが鹿児島に赴任したばかりの頃。
夕暮れの公園。
まだ花冷えの季節だというのに、ランドセルを背負った小柄な子供が、公園の水道でじゃぶじゃぶと顔を洗っていた。
わたしはその子供を知っていた。
以前、登校する姿を見て、こんなところに金髪碧眼の、ずいぶん可愛い顔をした子がいるものだと驚いたものだ。
それが、穂積だった。
裸足になって、手足を洗い始めた穂積を見て、わたしはハッとした。
その日の穂積は、初めて見た時の、あの天使のような姿ではなかったからだ。
洗い終わって濡れたままの顔は赤黒く腫れ、唇の端が切れていた。
髪はくしゃくしゃで、白い手足は泥と血で、真っ黒に汚れていた。
穂積は、その汚れを洗い流していたのだ。
公園に来る前、十人ほどの子供たちの集団とすれ違った事を思い出した。
……
あの顔だ。
わたしは鹿児島の記憶から、現実に引き戻されていた。
調書を見ても、名前を読み上げても、判決を言い渡した後も、とうとう、何も思い出さなかった、あの男の顔。
あれは、鹿児島で、あの後も何度も穂積を傷つけていた、あの子供たちの中にいた顔だった。