娘の選んだ男
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~櫻井判事vision~
どこかで見た顔だ、と思っていた。
だが、調書を見ても、名前を読み上げても、判決を言い渡した後も、とうとう、わたしはその男について、何も思い出さなかった。
数日後、朝、穂積を見かけた。
お互い同じ霞ヶ関に職場がある以上、こちらがどれほど会いたくないと思っていても、たまにはこうして出会ってしまう事もある。
穂積の容姿は目立つ。
見たくなくても目に入る。
反射的に顔をしかめてしまうのが自分でも分かる。
だが、わたしが嫌そうな顔をした瞬間に、穂積は軽く頭を下げ、そして、静かに離れてゆく。
それが常で、今もそうやって、穂積は去って行った。
嫌われている自覚はあるらしい。
翼と付き合い始めてからは、家にも顔を出すようになった。
そういう時には遠慮なくものを言うが、人目のある普段は決して、警視庁の警視が東京地裁の判事に対して取るべき態度を崩しはしない。
礼儀正しい男ではある、のだ。
翼と婚約も済ませ、結婚式の日取りも決まったとなれば、わたしがどう足掻こうと、穂積はまもなくわたしの義理の息子になる。なってしまう。
それが、悔しい。
翼と仲睦まじくしているのも、悔しい。
ふとした時に、翼がひとり幸せそうな顔をしているのを見るのも、悔しい。
あんな、
「邪魔して悪いけど、アンタたち。それで女の子を口説いているつもり?」
あんな…………オカマ。
穂積の事を考えていたから、空耳だろうか。
今、通り過ぎたばかりの通路の奥から、穂積の声が聞こえたような……。
気になって、細い通路を覗き込んでみる。
すると、驚く事に、通路だと思ったのは、建物と建物の間のわずかな隙間だった。
室外機などが点々と置かれた半間ほどの細い行き止まりで、奥の方はやや広いが、昼間なのに薄暗い。
その薄暗い中に、どうやら高校生ぐらいだろうか、若い、いかにも素行の悪そうな少年たちが数人、たむろしていた。
こちらから見えているのは、穂積と、部下の、明智とかいう捜査員の背中だ。
そして今、穂積の手が高校生たちの方から明るい方へ、つまり、穂積と明智が造る壁のこちら側へ、やはり高校生ぐらいの少女を引っ張り出した。
不良たちから救い出された少女は、穂積の背中にしがみつくようにして、震えている。
「そいつから誘ってきたんだぜー?」
「初めて会った子だしね」
「おまわりさん、俺ら、まだ何にもしてませーん」
明智
「こんな場所で、女性ひとりを囲んで何かする前で良かったな」
「何かって何ー?」
明智
「ふざけるな!女の子が震えて泣いているじゃないか!」
明智が怒鳴るが、不良たちはにやにや笑うだけだ。
「ごめんねー」
「こ・れ・か・ら、仲良くなろうと思ってたんだよ」
穂積の背中に隠れて真っ青になっている女の子の様子を見れば、とてもそんな雰囲気とは思えない。
けしからん連中だ。
離れて見ているわたしの方まで腹が立ってきた。
だが、穂積と明智に数で勝る不良たちの態度は、さらにつけ上がるばかりだ。
「嫌よ嫌よも好きのうち、って言うでしょ、おまわりさーん」
誰かが言い、全員が、どっと笑った。
その時。
穂積
「確かにそういう、俗な言葉はあるわよね」
なんと、穂積まで薄く笑って、そいつの戯言に頷いたではないか。
警察官のくせに。
こちらから、そう叱りつけてやろうかと思った、矢先。
穂積
「でもね、ここは江戸時代の遊郭じゃないのよ。嫌がる女にしつこくしたら犯罪になる、現代の東京なの」
不良たちの顔から、笑いが消えていく。
穂積
「相手の『嫌よ』が本気か演技か分からない、そんなボーヤたちに、ナンパは百年早いわね」
「馬鹿にすんなよ。そのぐらい分かる……!」
手前にいた不良が思わず反論しかけ、ハッ、とした様子で慌てて口を噤んだ。
穂積の表情は見えないが、おそらくニヤリと笑った事だろう。
穂積
「あら、このボーヤは馬鹿じゃないようね」
明智、と穂積に名前を呼ばれただけで、明智が、手帳と万年筆を取り出して構えた。
穂積
「全員、住所と名前を聞かせてもらおうかしら。本気で嫌がってる女にしつこくしたら犯罪になる、って、ワタシ最初に言ったわよね」
おい、やべえよ、と不良たちが囁きを交わしあっているが、穂積と明智の背中からは、逃がさない、というオーラが出ている。
穂積
「大丈夫、記録として残るだけだから。ただし、アンタたちがもしも万が一、今後何か事件を起こした場合は、今日のこの思い出の1ページが調書に一行書き加えられて、罪状がひとつ重くなるかもしれないけど」
穂積がにこやかに説明する間に、明智は事務的に名前を聞き取ってゆく。
全員の住所と名前を書き取ったところで、明智が身体を開いて、不良たちに逃げ道を作った。
明智
「二度と、するなよ」
穂積が手を振る。
穂積
「アンタたちの顔、覚えたわよ。またどこかで会ったら、声をかけるからよろしくねー」
「ふざけんなよオカマ警官!」
「もうぜってー会わねえよ!」
不良たちが、次々と路地を飛び出して来る。
ぶつかりそうになって、避けるついでに、わたしもその場を後にした。