priceless
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聞き取り調査を始めてから、二十分ほど経っただろうか。
離れた場所で、何か争うような声がした。
振り向いてみれば、課長ともう一人の男性捜査員が、ホテルから出てきたらしい男女と軽く揉めていた。
女の子が、明らかに幼い。
そうして、時刻は十一時を過ぎた。
おそらく、男女ともに、何らかの条例違反で署に連行される事になるだろう……。
私は再び、自分の仕事に戻ろうとした。
その時。
いきなり酒臭い息を背後に感じたかと思うと、背中から抱きつかれていた。
男
「あんた初めて見る子だね~」
翼
「ひっ?!」
ざわっ、と、全身に鳥肌が立った。
同時に、男の手が、私のコートのポケットに、何かを押し込んだのを感じた。
男
「3万入れたよ~。だからさあ、おじさんも入れさせてえ~」
私はびっくりして、ポケットに押し込まれた万札を取り出し、男性に突き返した。
翼
「受け取りませんっ」
男
「もう渡しちゃったもんね~」
男性はのらりくらりと逃げて、私が差し出すお金を受け取らない。
しかもそのまま、一人でホテルに入って行こうとする。
どうしよう。
ついて入るわけにはいかない。
けれど、男性がホテルに入ってしまったら、お金を返す事も出来ない。
課長たちはまだ揉めていて、私の状況に気付いているのかいないのか。
どうしよう。
どうしよう。
ホテルの入り口で途方に暮れていると。
男
「も~、早く来てよ~」
翼
「きゃあっ!」
先ほどの男性が、なんと、ブリーフ一枚の裸になって戻ってきた。
目のやり場に困ってしまう。
私はお金を返したいのに。
男
「可愛い声~」
翼
「こ、来ないでください!」
男
「でももうお金払ったもん!」
翼
「だから受け取ってません!返します!」
男
「返さなくていいの!やらせてくれればいいの!」
お札を投げ返したかったけど、あいにく風が強い。
飛ばして無くしてしまったら、それこそ大変だ。
私は泣きたくなった。
男
「よく見たら、すっごい可愛い~これなら、終わってからあと2万あげてもいいよ~」
翼
「嫌ですったらっ!」
男
「ねえ早く~おじさん風邪ひいちゃうから~」
男性がしゃがみこんだ。
それはそうだろう。
十ニ月半ばの夜十一時に、ブリーフ一枚で北風に吹かれているんだから……。
男
「隙ありっ!」
叫んだ男性が、タックルのように私の脚に飛び付いた。
翼
「きゃあっ!」
突然両足を封じられて、私は尻餅をついてしまった。
男性がすかさず、私のスカートの中に手を入れる。
男
「すべすべ~」
翼
「い」
私の中で、何かが切れた。
翼
「嫌あーっ!泪さん!助けてえっ!!」
私の大きな声が、男性の気に障ったようだった。
体重をかけてのしかかられて、気持ち悪さと息の酒臭さで吐きそうになる。
男
「何だよ~誰それ~?」
穂積
「ワタシよ」
突然、声がした。
パンツの男性が、私と同時に声の方を振り返る。
見上げた頭の上から、風に金髪を逆立てた泪さんが、冷たい碧の目で、私と男を見下ろしていた。
その背後には、明智さんの姿もある。
さらに、課長も駆けつけて来た。
男
「何だよ、誰だよ~?この子はボクのだよ~もうお金払ったんだからね~」
ぴくり、と泪さんの眉が跳ねた。
穂積
「金?」
泪さんは、私が握り締めていたお札を一瞥して、再び、男を睨みつけた。
穂積
「値段をつけたの?」
無表情で感情の無い声。
泪さんが本気で怒っている時の声。
私の方が震え上がった。
穂積
「……この女に、値段を」
泪さんの右手が、男性のたるんだ胸の肉を掴んだ。
男
「ひいぃっ?!」
パンツ一枚の身体を、ぐうっと持ち上げられ、掴んだ肉を捻り上げられて、男性が悲鳴を上げる。
泪さんが左の手の平を私に差し出したので、私は慌てて、そこに、男性から押しつけられた3万円を乗せた。
受け取った泪さんは、そのお金を、無言で男性のブリーフの中に押し込む。
男
「な、何だよ~今さら返したってダメなんだから~この子は、ボクが先に目をつけたんだからね~!」
ふと、大勢に囲まれている状況に気付いて我にかえったのか、男性が、急に開き直った。
男
「あっ、何これ?もしかして、警察?オトリ捜査ってやつ~?いっけないんだ~!日本じゃやっちゃいけないやつなんだ~!」
男性に騒がれて指差されて、保安課長が怯んだ。
だけど、泪さんは少しも慌てない。
一瞬、課長の顔を横目に見ただけで、逆に、口元に笑いを浮かべた。
穂積
「残念だけど、オトリ捜査じゃないわ。……なぜなら、この子はワタシの婚約者だから」
男
「へっ?」
穂積
「現在のアンタの状況は、この子にちょっかいを出して、婚約者のワタシに胸倉を掴まれているだけ」
泪さんは、空いた左手で、警察手帳の端を、ポケットからちらりと覗かせた。
穂積
「アンタが警察沙汰にしたいなら、今すぐ婦女暴行未遂の現行犯と、公然わいせつの罪で逮捕出来るのよ。ワタシにこれを出させると、公務執行妨害の罪も追加されるわ。四の五の言わずに、3万円返してもらって満足する方がよくない?」
泪さんに脅され……滔々と説明されて酔いが醒めたのか、男性は、真っ青になって震えだした。
穂積
「明智、この男性に、服を着せて差し上げなさい。拘置所の貸しジャージじゃないわよ。ご自身のお洋服の方よ」
明智
「はい」
すっかり大人しくなった男性は、明智さんに連れられて、ホテルの中に戻ってゆく。
その間に泪さんは私を助け起こして、土埃を払って立たせてくれた。
翼
「す、すみません、でした」
咄嗟の事とは言え、警視庁の人たちのいる前で、『泪さん』と呼んでしまった。
取り返しのつかない失言に、でも、泪さんは笑って、私の頭をぽんぽんと叩いてくれた。
穂積
「気にするな。誰も悪くない」
私は、泪さんの言葉にハッとした。
私のすぐ傍で、課長も息を飲んでいた。
泪さんは、私の失言も、不注意から危険な状況に陥った私の失敗も、他所の部署の捜査員である私をそんな状況に陥らせた保安課長の責任も、その、たった一言で、全部帳消しにしてしまった。
穂積
「それより、よく大声が出せたわ。ワタシの言葉を忘れなかったのね。上出来よ」
涙ぐむ私の髪をくしゃくしゃと撫でてから、泪さんは、改めて保安課長に向かい合った。
穂積
「うちの櫻井が、大変お世話になりました。勉強させていただきました。そろそろ日付も変わりますし、このまま連れて帰ってもよろしいでしょうか」
青ざめた顔を引き締めて頷く課長に、泪さんはそっと付け足した。
穂積
「ところで、婚約の件ですが、近々発表したいと思っていますので……それまで、ご内密にお願い出来ますでしょうか」
頭を下げた泪さんに少し遅れて、私も深々と頭を下げる。
やがて顔を上げると、課長も、保安課の人たちも、微笑んでいた。