相合傘
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~翼vision~
通勤電車を降り、桜田門駅の改札口を出た所で、空を見上げた私の足は止まってしまった。
翼
「……うわ……」
雨が降っていた。
それも、かなり本格的な雨になりつつある。
今朝、女子寮を出て、最寄り駅から乗り込む時には薄曇りで、雲の間から青空さえ見えていたのに……。
同じ電車に乗ってきた人たちが、私の前後で次々に傘を開いては雨の中に歩き出してゆく。
どうしよう。
私はいつもなら、小さな折り畳み傘を通勤用のバッグに入れて持ち歩いている。
それなのに、昨日たまたまバッグを買い換え、中身を入れ換えた時に、新しいバッグに傘を入れるのを忘れてしまったみたい。
翼
「どうしよう……」
思わず口に出してしまった。
でも、駅から警視庁までは、大した距離じゃない。
走れば走り切れない事はないだろう。
捜査室まで行けば、ロッカーに着替えは一式入っているし。
翼
「はぁ……」
諦めて濡れる覚悟をし、髪をヘアゴムでまとめたり、袖を捲ったりしていると。
ぽん、と背後から肩に乗せられた手がある。
温かい、大きな手。
振り返って、思わず頬が緩んだ。
翼
「明智さん」
明智
「おはよう、櫻井」
困っている時に、知り合いが現れるほど心強い事はない。
しかも、その知り合いが、職場のお母さんのような存在の相手だったら、なおさら。
翼
「おはようございます。今朝は電車だったんですね」
明智
「車検でな。傘を忘れたのか?」
翼
「バッグを取り換えた時に、入れ忘れてしまって……」
明智さんは微笑んで、「だったら」と、手にしていた、長くて黒い傘を差し出してくれた。
明智
「これを使え」
私はびっくりした。
翼
「えっ?明智さんは?」
もしかして二本持っているのかしら。
けれど、明智さんは笑っただけだった。
明智
「俺は走る。お前は後からゆっくり来い」
そう言われて傘を押し付けられて、私は二度びっくり。
今にも走り出しそうに身構えた明智さんの上着の裾を、私は慌てて掴んで引き止めた。
翼
「まっ、待ってください!」
明智
「どうした?」
きょとんとした顔で明智さんが私を見下ろすけど、どうしたも何も!
翼
「それじゃ明智さんが濡れちゃいます!」
明智
「お前が濡れる方が大変だろう。髪とか服とか化粧とか。俺なら全然構わない」
ああ、何ていい人なの。
こんないい人、ますます雨の中を走らせるわけにはいかない。
でも、せっかく差し出してくれた傘をいらないと返す事も出来ないし、返したところで明智さんが気を悪くするだけだ。
翼
「じゃあ、明智さんの差す傘に、一緒に入れてください。ねっ」
すると、さっきまで平然としていた明智さんが、突然、うろたえ始めた。
明智
「え……相合い傘か?いや!いやいやそれはまずいだろう!」
私は首を傾げる。
翼
「どうしてですか?」
明智
「どうしてって、室長に殺……」
明智さんはそこまで言って口を押さえ、咳払いをした。
明智
「あ、いや……ここは警視庁に近いし、お前は室長の婚約者だ。こんな事で万が一、噂にでもなったらだな」
翼
「ほんの数分ですもん、誰も気にしませんよ」
私は傘を明智さんに渡した。
翼
「お願いします」
頭を下げてから寄り添って立つと、明智さんはまだ「俺が怖いのは世間じゃなくて」とか「お前と一つの傘に入ったなんて知られたら絶対」とか何とかごにょごにょ呟いていたけど、やがて、腕時計を確かめて、観念したように溜め息をついた。
明智
「……分かった。ここでいつまでも揉めてたら、揃って遅刻するしな」
翼
「はい」
明智
「行くぞ」
明智さんはそう言って、大きな傘を開いた。
翼
「はい」
私は明智さんに歩調を合わせて、歩き出した。
長身の明智さんの広げた傘の下を歩いていると、まるで、枝の繁った大きな木の下にいるみたいで安心する。
しかも全然濡れない。
とは言え、相合い傘にしてはあまりにも濡れないので、歩きながら心配になって隣を覗き込むと、やっぱり。
翼
「明智さん!身体が半分、傘から出てるじゃないですか!そんな差し方じゃ、明智さんがずぶ濡れになっちゃいますよ!」
明智
「平気だ。どうせ濡れるつもりだったんだから……お、おい、大丈夫だから!こら、くっついて来るな!」
翼
「くっつかないと濡れちゃいます」
明智
「そ、それはそうだが……!」
真っ赤な顔で抵抗し、抗議を続ける明智さんと押し合い圧し合いしながら、およそ十分後、私たちは、警視庁に到着した。