嘘
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~翼vision~
桜咲く季節は誰もが忙しい。
試験、卒業、決算、転居。
進学、就職、人事異動。
それらにまつわる様々な準備や後始末、たくさんの手続きと、迫られる取捨選択。
何かに急かされるように忙しなく行き交う人たちに紛れて街を歩きながら、私もまた、足早に信号を渡っていた。
もう二週間以上、プライベートの泪さんと話をしていない。
現場の指揮を執る刑事であり、管理職でもある「室長」の忙しさは、私たち下っ端刑事の比ではない。
朝、誰よりも早く出勤し、早朝会議や研修に参加し、複数の事件を把握して私たちに指示を出し、関係部署と折衝し、現場に出向き、報告書を決裁し、また会議に呼ばれていく。
最近は残業続きどころか、帰宅しない事も珍しくないみたい。
だから、分かっているけど。
わがままだって思うけど。
でも、寂しくて。
私はとうとう、その日のお昼に、泪さんを呼び止めてしまった。
翼
「……あの、室長」
泪さんのパソコンでの報告書作成が一区切りついた頃合いを見計らって、私は、思い切って声を掛けた。
プリントアウトした資料を揃えて鞄に入れ、室長席から立ち上がりかけていた泪さんが、私の方に顔を向けてくれる。
穂積
「はい。どうしたの?」
翼
「……その、よろしければ、お昼をご一緒出来ないかな、と思いまして……」
実は今日は、泪さんの分までお弁当を作ってきた。
泪さんは食べ物に文句を言わない反面、忙しい時にはとにかく何でもいいから口に入れて空腹を紛らすという悪癖がある。
それこそスナック菓子でも生のカップ麺でもその辺の雑草でも構わないという悪食で、栄養なんて二の次、三の次だ。
だから、外食や出前を待つ時間も惜しいこんな時には、すぐに食べられる物を、と思って、おにぎりと、箸を使わず食べられるおかずを入れたお弁当を作ってきたのだけど……。
私が差し出した包みを見て、泪さんは一瞬驚いたような、でも、嬉しそうな顔をしてくれた。
だけど、それも、ほんの一瞬。
穂積
「ありがとう。でも、ごめんなさい。今日はこれから、お偉いさんと会食なの」
私に向かって拝むように両手を合わせた泪さんに、私は、胸の奥で膨らみかけた期待が、痛いくらい急激に萎んでゆくのを感じた。
でも、これで泪さんを恨むのは、筋違いだと分かっている。
泪さんの都合も聞かないで、私が勝手にした事だもの。
泪さんが本当は私のお弁当を食べたいと思ってくれた事も、表情を見れば分かる。
分かる、けど。
穂積
「それ、もらっていっていい?必ず、今日中に食べるから」
お弁当を指差す手に、私がそれを差し出そうとした時、室長席の電話が鳴って、泪さんが受話器を取り上げた。
穂積
「穂積です。……すみません、もう出られます。はい、お願いします」
通話の相手は、きっと、会食をするというお偉いさんの関係者だろう。
すぐそこにいるのに、泪さんが、ひどく遠い人のよう。
穂積
「本当にごめんね、櫻井」
電話を終えた泪さんが、私の手からお弁当を取りながら、繰り返し謝ってくれる。
泣いちゃいけない。
ここにはまだ、明智さんや藤守さんもいるんだから。
笑わなくちゃ。
大丈夫です、って。
翼
「いいえ、私こそ、自分の気持ちを押し付けちゃって」
穂積
「そんな風には思ってない」
泪さんが眉をひそめる。
ああ、これじゃダメだ。
翼
「少しでも食べてもらえたら、嬉しいです」
穂積
「全部食べるわ。会食の後は夕方から会議だから、その間に」
泪さんに笑顔が戻る。
ああ、笑顔を見るのも久し振りかも。
穂積
「じゃあ、悪いけど行くわ。明智、後は頼むわね」
明智
「はい」
お弁当を鞄に入れて、足早に泪さんが出て行く。
翼
「行ってらっしゃい」
振りかけた手は、閉まった扉に遮られて、彼の背中には届かない。
私は捜査室の中で、明智さんたちに気付かれないように、そっと溜め息をついた。
私たちが外回りを終え、報告書を作りながら定時を迎えても、泪さんは捜査室に戻って来なかった。
帰宅する前に、せめて顔を見たかったのに……。
藤守
「櫻井、この後、ちょこっとだけ、どうや?」
ようやく報告書の完成した藤守さんが、指先で、お猪口を傾ける仕草をして見せた。
きっと、私が落ち込んでいる事に気付いてて、心配してくれているんだろう。
藤守さんの肩越しに、如月さんや小笠原さんもこちらを見ている。
明智さんが、後ろから私の肩に両手を置いて、ニッコリ笑ってくれた。
翼
「ありがとう、ございます……」
みんなの気持ちが有り難くて、目頭が熱くなる。
でも、今日は、飲んではしゃぐ気持ちにはなれない。
きっとつまらない愚痴を言って、雰囲気を台無しにしてしまうに決まっている。
翼
「……でも、すみません。……お気持ちは、嬉しいんですけど」
藤守
「ええよ、ええよ」
藤守さんが頭を撫でてくれる。
藤守
「しっかし、この頃、ルイルイはホンマ忙しいな。櫻井も、寂しいやろ」
私は、込み上げて来そうになるものを、ぐっ、と飲み込んだ。
小笠原
「あの人、キャリアだから、この時期は講義や研修も多いしね」
如月
「ですよねー。片っ端からバリバリこなしちゃうんで気付きにくいけど、絶対、他の部署の管理職より仕事量ありますよね!」
明智
「そうだな。……まあ、繁忙期が過ぎるまで、あと少しだ」
明智さんも、頭を撫でてくれる。
明智
「あと少し、辛抱してやれ。室長も、お前と同じように、寂しい思いをしているはずだよ」
翼
「……そうでしょうか……?」
明智さんの優しい口調に、つい、ぽろりと本音が零れてしまった。
勤務中に忙しいのは仕方ない。
泪さんは、仕事とプライベートを厳密に分けたいタイプの人だし、私だって、決して、職場でまで恋人扱いして欲しいわけじゃない。
でも、明智さんが言うように泪さんも寂しいなら、せめて、勤務時間外に少しでいい、会いたいと思うのが普通じゃないだろうか。
私がそう漏らすと、明智さんたちは顔を見合わせて、黙り込んでしまった。
明智
「……それは、まあ、そうかもしれないが……」
如月
「今、電話してみれば?」
突然、如月さんが大きな声を出したので、私はびっくりした。
翼
「えっ?ダメです会議中ですよ!」
如月
「じゃあさ、メールでいいよ。それにどんな返事をくれるかくれないかで、室長の気持ちが分かるじゃん」
泪さんの気持ち、と言われて、心が揺れる。
翼
「……でも、どんなメールを打てばいいんですか……?」
如月
「携帯貸して」
すっかりその気になってしまったのか、如月さんが、取り出した私の携帯でどんどん文字を打ってゆく。
如月
「ハイ」
全員で覗き込むとそこには、『今日、会えなければ別れます』という文面。
藤守
「お前、これはアカンやろ!」
叫んだ藤守さんに、如月さんが、ちちち、と指を振る。
如月
「大丈夫ですよ。だって、今日、4月1日じゃないですか」
翼
「あ」
……エイプリルフール……
小笠原
「如月、エイプリルフールの嘘が許されるのは、午前中だけだよ」
眼鏡を直しながら、小笠原さんが溜め息をついた。
明智
「俺もそれは聞いた事がある。もう日が暮れたし、それよりも、上司に嘘はまずいだろう」
藤守
「あの人、意外とこの手の冗談が通じないタイプやで」
三人の先輩からツッコまれて、如月さんが腕を振り回す。
如月
「あーもう!じゃあ、翼ちゃんはどうなるんですか?ずっとモヤモヤしたままで、可哀想じゃないんですか?」
三人は私の顔を見て、再び黙り込んでしまう。
けれど、その間に、私の気持ちは固まっていた。
確かに乱暴なやり方だけど、メール1本で、泪さんの気持ちを知る事が出来るのなら。
如月
「翼ちゃん、どうする?」
私は頷いた。
翼
「……私、やってみます」
ドキドキする胸を押さえながら、如月さんの手から携帯を受け取り、文面を確かめる。
『今日、会えなければ別れます』
もちろん別れる気なんて無い。
会いになんか来てくれなくていい。
ただ一瞬、メールを読むその一瞬だけでいい。
仕事に夢中な泪さんに、私の事を思い出して欲しいだけなの。
私は目をつぶって、指に力を入れた。
目を開けた時、画面には、『送信しました』の文字が表示されていた……。
次の瞬間。
捜査室の天井の遥か上で、雷が落ちたような震動と、物凄い大音声が轟いた。
捜査室の全員が凍りつく。
藤守
「……何や、今の」
天井を見上げる藤守さん。
明智
「この建物、揺れたぞ」
明智さんの顔は真っ青。
小笠原
「俺、帰る」
小笠原さんが、いち早く部屋を飛び出してゆく。
如月
「会議室の方角だ……」
如月さんが震えだす。
藤守
「櫻井、無事を祈るで!」
明智
「すまん、本当にすまん」
如月
「翼ちゃん、『エイプリルフール』で乗り切るんだよ!」
口々に私を励ましながら、全員があっという間に身を翻し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出して行った。
私はただ立ち尽くすだけしか出来ない。
無人になった捜査室で、聞こえるのは自分の鼓動と、秒針が時を刻む音だけ。
その音を掻き消すように走ってくる誰かの足音が廊下に響いた、と思った直後、爆発したような勢いで捜査室の扉が開いた。
穂積
「翼!!」
大声とともに飛び込んで来たのは、なんと泪さん。
いきなり名前で呼ばれ、驚いた私は咄嗟には声も出ない。
泪さんは、足がすくんで動けない私の元につかつか歩み寄って来て、長身から私を見下ろした。
穂積
「どういう事だ」
オカマ言葉が消えている。
穂積
「俺と別れるって、どういう事だ」
仮面のように冷たい表情は、本当に怒っている証。
気圧されて、私は、あっという間に壁際に追い詰められた。
穂積
「俺は、お前と別れる気はないぞ」
泪さんは、燃えるような目で私を見据えていた。
穂積
「だが、言い分は聞く。理由を言え、翼」
翼
「……泪さん……」
メール、見てくれたの?
それで、来てくれたの?
こんな時なのに、その事の方が嬉しくて、自然と涙が湧き上がってくる。
穂積
「……翼……?」
泪さんが私の涙に気付いて、怪訝な顔をした。
翼
「嘘です」
穂積
「は?」
翼
「ごめんなさい、嘘です」
私は正直に告白し、勢いよく頭を下げた。
下を向いたまま、叫ぶ。
翼
「嘘です!私だって、別れたくなんかないです!」
そのままの状態で、向かい合う事たっぷり数十秒。
何も言わない泪さんが気になってきた私は、そろそろと顔を上げ、様子を窺った。
泪さんは口を半開きにしたまま私を見つめていたけれど、目が合うと、ハッとしたように呟いた。
穂積
「……4月1日……」
それは、今日がエイプリルフールだということに、たった今気付いた表情。
翼
「ごめ」
改めて謝ろうと頭を下げかけた時、私の身体は、勢いよく壁に押し付けられた。
反動で、頭の後ろが壁に当たる。
翼
「痛っ……」
けれど、それよりも、泪さんの次の言葉が私の胸を抉った。
穂積
「お前、最低」
両方の肩を大きな手で掴まれ、背の高い泪さんに上から押さえられるような形で、身動きが取れなくなる。
急な事に狼狽えたまま見上げると、逆光になった泪さんの、真剣な表情と目が合った。
翼
「泪さ……」
穂積
「心臓が」
泪さんの声が、震えた。
穂積
「……心臓が、止まるかと思ったじゃねえか」
その声が、急に弱々しくなる。
穂積
「くだらない嘘、つくな」
叱られているのに、嬉しい。
抱き締められるより、嬉しい。
泪さんが、私の嘘に腹を立ててくれた事が。
今、泪さんが、私を見つめてくれている事が。
嬉しくて、たまらない。
翼
「ごめんなさい……」
瞬きとともに零れた涙が頬を伝った時、不意に、泪さんの力が緩んだ。
穂積
「行くぞ」
翼
「へ?」
泪さんは私の腕をぐいと引くと、帰り支度をさせるのもそこそこに廊下に押し出し、自分も、鞄を持ってすぐに出てきた。
捜査室の扉に施錠をし、また、急かすように私の腕を引く。
翼
「あの、泪さん、どこへ」
穂積
「『外回り中の部下から、指名手配中の犯人を見つけたかもしれないと連絡が入りました。大至急向かいます!』と言って会議を抜けて来たんだ」
私を引き摺るようにして先を歩きながら、泪さんは振り返りもしない。
足は駐車場に向かっている。
穂積
「だから俺は、大至急、署から出て、お前からの報告を聞く必要がある」
翼
「あ、ああ……」
そういう事か……。
私はもつれそうになる足を励ましながら、必死で泪さんについてゆく。
でも、どこへ?
穂積
「乗れ」
翼
「えっ?」
駐車場に着くと、泪さんは自分の車の助手席のドアを開けて、私を席に押し込んだ。
穂積
「話は俺の部屋で聞く」
翼
「えっ?!」
助手席のドアが閉まる。
穂積
「あの嘘は誰の入れ知恵だ?」
翼
「き、如月さんです」
つい、正直に言ってしまった。
穂積
「あいつ、明日逮捕してやる」
運転席に乗り込んだ泪さんは、私の視線に気付くとシートベルトに伸ばしかけた手を止め、覗き込むようにして、助手席の私に顔を寄せてきた。
穂積
「……分かってる。寂しかったんだろう?」
優しい声、優しい眼差し。
頬を包んでくれる、温かい掌。
……分かっててくれたんだ。
大きな、大好きな手に、私は自分の手を重ねて頬擦りした。
翼
「……うん。寂しかった」
穂積
「俺もだ」
泪さんの親指が、私の頬を撫でてくれる。
穂積
「そんな可愛い顔をするな、まだ駐車場だぞ。取り調べはベッドの上だ」
親指を添えたまま、泪さんの人差し指が私の顎を持ち上げる。
穂積
「……お前が、俺をいつから好きで、俺の何がどれほど好きで、どこをどうされると気持ちいいのか……」
唇をなぞる指先と、吐息のような甘い声にうっとりとなりかけていた私は、彼の言葉の後半に不穏なものを感じて、ハッと我にかえった。
穂積
「全部白状してもらうからな」
泪さんが、にんまりと笑う。
穂積
「俺に嘘をついて、ただで済むとは思ってないよな?」
その笑顔は妖艶で狡猾で、それなのに無邪気で意地悪で。
ああ。
この人にはかなわない。
翼
「うう……覚悟、してます」
穂積
「よく言った、お仕置きは許してやろう」
翼
「本当ですか?!」
穂積
「嘘だ」
泪さんは声を立てて笑った後、車のエンジンをかけて、アクセルを思い切り踏み込んだ。
エイプリルフール。
それはきっと、本当に大切な真実を確かめ合うための日。
~END~