Tokyo☆アブナイ☆week
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最終日、午前11時45分。
宣伝が功を奏し、正午が近付くにつれて、ハイブランド・フロアには、『ブラン・ノワール』の新作目当てのお客さんが、続々と集まって来ていた。
いつもとは違い、ほとんどが、カジュアルな服を着た若い女性客だ。
『渋谷☆KAGURA』に買い物に来て、階下で宣伝を見聞きして、好奇心で、普段は寄り付かないハイブランド・フロアまで昇ってきてみた。
みんな、そんな感じのちょっぴり居心地の悪いような、けれど、気持ちはすごく高揚しているような、わくわくした表情をしている。
私は、店舗の前に立って室長の登場を待ちながら、特に視点を定めずに、大勢のお客さんで賑わうフロアを眺めていた。
ラファエルは本当に来るの?
それは、私の率直な感想だった。
こんな見通しのよい場所で、
大勢のお客さんがいるのに、
我が身の危険を冒してまで。
得る物は何も無いだろうに、
なんだか少し可哀想だな…。
けれど、それも一時の感情だった。
ちりちり、と首筋に電気が走るような感じがして、私はハッとした。
翼
「!」
視線の先に、ラファエルが居た。
そして、私が彼に抱きかけていた同情は、階段を昇ってきたラファエル本人の姿を遠目に捉えたこの瞬間、どこかに消えてしまった。
それは、彼の姿から漂う雰囲気が、既に、周りにいる普通のお客さんたちとはまるで違っていたからだ。
エスカレーターでもエレベーターでもなく、会場から最も遠く、ほとんど使う人もいない階段を昇ってきたラファエルは、無表情にこちらの会場を窺った後、ゆっくりと、時計回りにフロアを歩き出した。
本当に……来た。
ちりり、と首筋が熱くなる。
翼
「……西階段付近にラファエルが現れました」
ラファエルの長身を視界に捉えながら、そして、直接目を合わせないように気を付けながら、私はインカムのマイクに呟いた。
かなり遠い場所にいるのに、姿を見ているだけなのに。
背中がぞくりとするような感覚が消えない。
翼
「服装は黒のサマージャケット、白のカットソー、グレーのパンツ、グレーの革靴。細身の長身で髪はシルバー」
小松原の声
『了解、目視にて捕捉した。定点警護はそのまま固定、通過を私に報告するように。明智、距離を保って追跡開始』
明智の声
『了解』
小笠原の声
『モニターカメラ、確認。特設ステージのあるブロックに近付いたら連絡する』
私の報告から間髪を入れず、たちまち動き出した小松原係長と明智さん、小笠原さんからの応答があって、私はホッとした。
これで、少なくともラファエルを見失う事はない。後は、小松原係長や皆が監視してくれる。
けれど、自分のいる場所から見えなくなってしまった事で、私の脳裏には、さっき見たままのラファエルの姿が焼き付いてしまった。
元モデルだというだけあって、背が高くハンサムで、身綺麗にしていて。
一見、普通の人だった。
何を考えているのか分からない虚ろな目と、その颯爽とした外見に不似合いな、ぼんやりとふらつくような歩き方を除けば。
寒気が襲ってきて、私は身震いをした。
姿の無い、けれど、確実に存在する相手の存在が、不気味な圧力となって私を脅かす。
……フローラさんも、こんな恐怖を味わわされていたのだろうか。
その時。
ぽん、と、私の肩を温かい手が包んだ。
……黒いレースの手袋。
そこからすらりと伸びた腕と、その先にある美しい横顔を見上げて、私は息を呑んだ。
室長の金色の髪を飾るのは、黒百合の花冠に、黒く長い薄絹のベール。
黒いチョーカー、私に触れた黒いレースの手袋。
そう。
それは、黒一色のウェディング・ドレスだった。
わあっ、という驚嘆の響きを含んだ歓声が上がり、それが次の瞬間、目の眩むようなカメラのフラッシュの嵐に変わる。
私から手を離し、黒いベルベットの敷かれた花道を歩き出した室長の姿は、床に散りばめられたスワロフスキーのビーズを、壁一面に飾られた真っ白な薔薇を、ステージから溢れるほど沢山の純白のカサブランカを、全てを凌駕して、輝いていた。
ブラン
『……このドレスは、当ブランドの社名でもあり特徴でもある《ブラン(blanc=白)、そして、ノワール(noir=黒)》を象徴するドレスです』
壁面に取り付けられた大型モニターの画面の中で、ブランさんが語り始めた。
フランス語で話すブランさんの言葉を通訳した日本語の字幕つきの、あらかじめ録画されたVTRだ。
ブラン
『ウェディングドレスは純白であるべき、と私は考えます。今回の《Tokyo☆Week》でも、その考えに基づき、《白》のシリーズの作品を発表しました』
茉莉花さんが着たドレスの事だ、と私は思った。
それもとても評判が良かったと聞いている。
室長の着ているドレスは、光沢の美しい上質のベルベットを主体に、黒のサテンやオーガンジーをあしらって変化をつけた、上品なロングドレス。
茉莉花さんが、大人のデザインだ、と言っていた意味が、よく分かる。
ワイヤーを入れて膨らみを持たせ、可憐さを演出した茉莉花さんの白いドレスと違い、室長の長身を活かしたドレスは、床まですんなりと流れるようなラインをつくる。
ベルベット生地特有のしなやかさと優雅さで、足元にたゆたうほどの質感を保ちながらも、デザインに工夫が凝らされていて、黒一色の重さを感じさせない。
ブラン
『この《黒》のドレスは、その《白》と対を成す、花嫁のカラードレスとして、また、女性の個性を引き立たせる為のドレスとして提案します』
ブランさんが語り出すと、室長の傍らに黒いスーツを着た数人のブランドスタッフが静かに現れ、室長を椅子に座らせた。
ブラン
『とは言え、《黒衣の花嫁》に不吉なものを感じ、抵抗感のある方は、洋の東西を問わず存在するでしょう。実は、わたしもその一人です』
画面の中のブランさんの言葉に、会場の空気は少し波立つ。
確かに、と私も思った。
もしも、知り合いの結婚式や披露宴に招待された時、花嫁さんが突然真っ黒い衣装で登場したら、どうだろう。
それがどんなに素敵なドレスでも、ちょっと、考えてしまうかもしれない。
すると。
ノワール
『ノン、ノン、ブラン!頭が硬ーい!』
画面の中のブランさんの元に突然、ノワールさんがフレームインしてきた。
物思いに浸りかけていた会場の観客が、コメディのようなノワールさんの登場シーンに、思わず噴き出す。
ノワール
『神様の前で誓いを立てる時、それはもちろん、花嫁の衣装は純白でなくてはいけないわ。でもね』
ノワールさんは、ブランさんの座るソファーの隣に腰を下ろして、カメラの方に身体を向けた。
ノワール
『それ以外、たとえば披露宴でのドレス。たとえば身内だけで執り行う、人前結婚式でのドレス。まだまだあるわよ』
きっちりスーツを着たブランさんの隣で、キャップを被ったストリートダンサーみたいなノワールさんが指を振りながら熱弁を振るうだけでも面白いのに、ノワールさんはさらにヒートアップしてゆく。
ノワール
『たとえば、事情があって未婚を貫く事を決めた女性が、自分の為に着るドレス。たとえば、式を挙げないまま色黒のオバサンになっちゃって、「今さら白って言うのもねー」「だけど、一生に一度くらい、ドレス着て写真だけでも撮りたいわ。……黒ならいいかしら?」って時のドレス』
ノワールさんの弁舌に笑いながらも、何人もの観客が頷いたり、時には拍手したりする。
ノワール
『それから、ゲイのカップルとか!』
ブラン
『きみが、ゲイの結婚式まで考えてデザインしていたとは知らなかったよ』
ブランさんのツッコミに、観客がどっと笑った。
穂積の声
『櫻井、観客が動くわよ。注意して』
その時、会場が盛り上がるのを待っていたようにインカムから聴こえた室長の声に、思わず身体が硬くなった。
いつの間にか、私もすっかりトークの字幕を読むのに熱中してしまっていた。
小笠原さんから連絡が入らないから、ラファエルはまだこのブロックにはいないと、安心しきってしまっていたのかもしれない。
穂積の声
『いいのよ、今は観客と一緒に笑っていなさい。もうじきVTRが終わるわ』
ノワール
『……純白のウェディングドレスは、一度しか着られない。だからこそ素晴らしいのよ。だけど』
私の耳に、また、ノワールさんの声が聞こえてきた。
ノワール
『黒のドレスなら、一生着る事が出来る。イブニングに、フォーマルに、パーティーに。そうして愛して着続けて、人生最期の時にこれを着て棺に入ってくれる人がいたら、ワタシ泣いて喜ぶわよ』
ブラン
『《揺りかごから墓場まで》か?きみには敵わないな』
ノワール
『あら、ベビー服までは考えてなかったわ。ブランこそ、さすが経営者ね』
一度しんみりした観客から、また、くすくす笑いが聞こえ始める。
二人の掛け合いは、とても、世界的に有名なハイブランドのオーナー同士のものとは思えない。
これを見た人たちは、ますます『ブラン・ノワール』のファンになっちゃうんじゃないかしら。
ブラン
『もうひとつ、念のために言っておくけど、ノワール。きみのこの素晴らしい黒のドレス、素材がベルベットだから。秋冬しか着られないからね』
ノワール
『そういうの、アジアでは《釈迦に説法》と言うのよ、ブラン』
ブラン
『これは失礼。では、春と夏に黒を着たい人はどうするのかな?』
「それはね」、というように、ノワールさんは、カメラに向かって身を乗り出した。
ノワール
『次回の《Tokyo☆Week、春夏コレクション》で発表するわ!』
アップになったノワールさんが茶目っ気たっぷりにウインクし、観客から笑いと拍手が起きたところで画面が止まり、明るい音楽が流れ始めた。
その音楽を合図に、まるで映画を見るように画面に集中していた観客が、笑顔とともに、一斉に動き出す。
モニターは暗転した後、再び冒頭のブランさん一人の画面に戻ったけれど、今度は字幕だけで、音声は出ていない。
おそらく、今のVTRが、展示中はエンドレスで流されるのだろう。
ステージを見ると、先ほどのスーツのスタッフたちが、室長に、長い金髪のウイッグを被せ、黒百合の花冠を、白百合の花冠に代えていた。
ブーケもカサブランカに代わると、同じドレスなのに、がらりと雰囲気が変わる。
『ブラン・ノワール』の店内から、今度は本物のブランさんとノワールさんが、通訳を伴って歩いてくるのが見えた。
小笠原の声
『間もなく、ラファエルが特設会場に入るよ』
小笠原さんの言葉通り、視界の彼方に、ラファエルを尾行しているはずの明智さんの姿も見えてきた。
お客さんたちには気付かれない場所で、じわりと警護が動いていく。
私は急激に高まる緊張と不安で、動悸が速くなるのを抑えきれない。
……室長。
思わず、縋るような思いで室長を見てしまった。
ブーケを手にした室長は、優雅な仕草でゆっくりと立ち上がると、ステージに見惚れる大勢のお客さんの頭越しに、私に微笑んでみせてくれた。
黒一色のウェディングドレスも素敵だったけれど、カサブランカの冠とブーケで飾られた室長は、まるで絵画の女神のよう。
けれど、長い金髪のウイッグも、その華やかな装いも、全ては、自らを狙う相手を誘うための美しい罠。
そして、今まさに、その相手は、すぐそこにまで迫っている。