Tokyo☆アブナイ☆week
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小野瀬さんは15分ほどで来てくれた。
同じフロアの廊下、反対側の端の方にいる室長と少し立ち話をしてから、私の方に歩いて来る。
小野瀬さんの穏やかな笑顔を見ると、涙が出そうだった。
小野瀬
「櫻井さん、おいで。少し話をしよう?」
言葉が見つからないうちに、私は小野瀬さんに後ろから肩を抱かれ、階下に促された。
階段の踊り場で、小野瀬さんは白いハンカチを敷いた段差に私を座らせ、自分も、その隣に腰掛ける。
改めて肩を抱かれ、軽く引き寄せられた。
翼
「……小野瀬さん……」
小野瀬さんが微笑む。
小野瀬
「穂積の許可は取ってあるからね。俺の胸で泣いてもいいし、言いたい事を言ってもいいよ」
そう言って、横から私の顔を覗き込んだ小野瀬さんが、頭を撫でてくれた。
小野瀬
「きみは頑張って、たくさん我慢してきたんだから」
翼
「……!……」
ぼろぼろと涙がこぼれた。
後から後からあふれてきて、止まらない。
涙を拭う手指が濡れて、私は顔を覆った。
小野瀬さんが、背中を撫でてくれる。
翼
「ぅ、……っ、ふ、ぇ、えっ……!」
私は、引き寄せられるまま、小野瀬さんの胸に縋って泣いた。
翼
「……っ、おっ、小野瀬、さん、わっ、わたし、私っ……」
小野瀬
「うん」
翼
「……、頭、では、わかって、てっ、でも、でも、茉莉花、さんがっ」
小野瀬
「うん」
翼
「茉莉花さんがっ……」
さっきの事が思い出されて、また、新しい熱い涙が湧いた。
嗚咽の止まらない私を、小野瀬さんは背中を撫でながら、辛抱強く慰めてくれる。
こんなにも、涙って溢れてくるものだろうか。
小野瀬
「茉莉花さんが、何か言ったんだね」
声の出ない私は、ただ頷いた。
小野瀬
「……もしかして、……穂積の事?」
囁くように問われて、私はまた頷いた。
翼
「…………ルイ、って」
小野瀬
「うん?」
翼
「わたし……っ、茉莉花さん、が、……室長を、ルイ、って呼ぶの、……ずっと、嫌だった」
そう。
室長がつきっきりで茉莉花さんを守る事よりも。
華やかな舞台を二人で歩かれる事よりも。
茉莉花さんが、室長の名前を呼び捨てにする事が。
嫌だった。
特別な名前なんだ。
室長が、一度だけ、教えてくれた事がある。
俺がジジイと同じ見た目で生まれた時、両親がつけてくれた名前。
泪、Louis。フランス語でルイ、英語ならルイス。
俺が日本を選んでも、外国を選んでも、暮らして行けるように。
小野瀬
「……」
翼
「私、その時、訊きました。……室長は……、外国を選ぼうと思った事、あるんですか?……って」
小野瀬さんの手が止まった。
小野瀬
「……穂積は、何て?」
私は、首を横に振った。
翼
「無い、って」
小野瀬
「……そう」
小野瀬さんの手が、再び、動き始めた。
ぽん、ぽん、と、ゆっくりとしたリズムで背中を叩いてくれる手が心地好い。
翼
「……でも……」
一生、一緒に生きてくれる相手を見つけたら、その時に、名前を決めようと思ってた。
室長はそう言った。
それから、私に言ったの。
泪と呼べ、翼。
この国で、その名前で、俺はお前と生きるから。
室長はそう言ってくれた。
翼
「……特別な、大切な名前なの……」
室長と、この国と、私とを結んでいる絆。
室長が、私だけに、許してくれた、名前。
翼
「だから、っ、……茉莉花、さんがっ、ルイって、呼ぶの、聞くたび、わたし……っ、」
小野瀬
「うん、分かるよ」
小野瀬さんが、抱き締めてくれた。
小野瀬
「……よく分かった。きみが、誰かと喧嘩するなんて、変だと思ったんだ。……名前の事がきっかけになって、抑えてきたものが全部、溢れて止まらなくなっちゃったんだね」
小野瀬さんは頷いてから、私の頬を両手で包んで、温めてくれた。
小野瀬
「今まで、よく我慢したね。……茉莉花さんの事は、俺に任せて?悪いようにはしないから」
いいね?と尋ねられて、私は手で涙を拭いながら、頷いた。
小野瀬
「はい、これ」
小野瀬さんが差し出してくれたのは、青いラインで縁取られた、水色のハンカチ。
見覚えのあるデザインを見つめていると、小野瀬さんが微笑んだ。
小野瀬
「穂積から伝言だよ。『遠慮なく使っていい』って。『どうせ、お前に洗ってもらうんだから』だって」
……室長ったら。
翼
「……」
ハンカチを頬に当てると、微かに、室長の甘い香りがした。
室長に抱かれているような気持ちがして、少しずつ、胸の中の波がおさまってゆくのが分かる。
小野瀬
「……やっぱり、穂積には敵わないかな」
翼
「小野瀬さん……」
小野瀬
「うん、なあに?」
私は、私の髪を撫でてくれている、小野瀬さんの顔を見上げた。
翼
「……茉莉花さんが、室長を好きになってしまったんです」
小野瀬
「えっ?!」
コツコツ、と、小野瀬さんが茉莉花さんの部屋の扉をノックする。
小野瀬
『茉莉花さん、アオイだよ。開けてくれる?』
少しの間があって、ほんの数cmだけ、扉が開いた。
室内からの淡い明かりが、暗い廊下に差し込む。
茉莉花
『アオイ……』
小野瀬
『今晩は。櫻井さんの代わりに、眠り姫の番をさせて頂きます』
芝居がかった小野瀬さんの言葉に、茉莉花さんが、少しだけ微笑むのが、柱の陰からの私にも見えた。
茉莉花
『……翼は?』
小野瀬
『今夜は帰らせたよ。彼女、ちょっとナーバスになっていたようだからね』
茉莉花
『……そう……』
茉莉花さんが私を気にかけていてくれた事で、私はちょっとだけホッとする。
小野瀬
『入れてくれる?』
茉莉花
『……いいわ』
小野瀬さん、すごい。
部屋に入る直前、小野瀬さんは私を振り返って、そっとウインクした。
私は、深々と頭を下げた。