Tokyo☆アブナイ☆week
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三日目の『ブラン・ノワール』のショーは、黒い服から始まった。
昨日までは、白や明るいグレーからスタートして、徐々に黒い服へと色調を落としていったのに、今日は逆。
その演出の違いが、今日のショーの最後に待つ純白の衣装を思わせて、どうしても私の気持ちを重くする。
しかも、今日の『ブラン・ノワール』の登場順は15番目、つまり一番最後。
今までは、警護の都合で最初に登場していたのだけれど。
どうやら、一番人気の『ブラン・ノワール』のショーが終わると席を立ってしまうお客様がいるために、他のブランドからの強い要望もあって、主催者側が警護に相談し、順番を変更したらしい。
その甲斐あってか、今日の会場は終始満席。
ステージの上では、いつものようにノワールさんのデザインした素敵な服を着た魅力的なモデルさんたちが、笑顔でキャットウォークを闊歩している。
襟元に銀のフェイクファーのついた黒いベルベットのワンピースを着た如月さんも、裾に黒薔薇とドレープをあしらった、小野瀬さんのサテンのドレスもとても綺麗。
けれど、今日の私には、それらを楽しむ心の余裕が無い。
たとえ黒いスーツでも、ダークグレーのアンサンブルでも、室長と茉莉花さんの顔を見るのは辛い。
早く終わって欲しい。
私は出来るだけステージを見ないようにしながら、溜め息を押さえ込む。
明智さんと共に中二階でブランさんの警護についている間、私は、ざわめきのおさまらない胸の内で、呪文のように集中、集中と繰り返していた。
そうして心の中で自分に言い聞かせていないと、仕事への集中力が切れてしまいそうだったから。
中二階からは、会場全体が俯瞰で見渡せる。
出番が遅いので、いつもよりじっくりと時間をかけて、観客の様子を見ることが出来る。
私は殊更に意識を研ぎ澄まし、会場の隅々にまで目を凝らしていた。
明智
「櫻井、どうだ、会場に、何かおかしな動きはあるか」
明智さんに声を掛けられて、私は小さく頷いた。
翼
「あの空席が気になります」
明智
「空席?」
明智さんが、私の視線の先に目を向けた。
観客は皆『ブラン・ノワール』のショーに釘付けで、誰も、薄暗い会場の他人の席など気に留めてはいない。
けれど、キャンセル待ちもいるほど大人気のショーに、ぽつりと空いた席は目立つ。
明智さんも、すぐに眉をひそめた。
明智
「今日はずっと満席だったはずだが。……トイレじゃないのか?」
もちろんその可能性はある。
けれど、この時間まで会場に残っている人たちの目的は、『ブラン・ノワール』のショー以外に無いはずだ。
その観客が、わざわざ、二十分間ほどのショーの最中に席を立つだろうか。
それが気になる。
翼
「あの席にいたのは、三十代くらいの外国人女性です。『ブラン・ノワール』のショーが始まる前までは、確かにいました」
明智
「……お前、相変わらず凄い記憶力だな。それに、よく見ていた」
明智さんが褒めてくれた。
私の気持ちも、そのおかげで少しだけ解れる。
翼
「もう少ししても戻らなければ、私、女性用の化粧室を見て来ましょうか」
明智
「そうだな。だが先に、その女性客の姿が監視モニターに映っていないか、小笠原に確認しておこう」
明智さんはインカムで小笠原さんに指示を出す。
何だろう。
私の首の後ろを、チリチリとした感覚が苛み始めた。
間もなく、インカムから小笠原さんの声が聴こえてきた。
小笠原の声
『櫻井さんの言う女性の所在を確認したよ。カメラの記録によれば、会場を出た後、化粧室に寄って、現在は下の階の通路で男性と会って話をしている』
私と明智さんは、怪訝な顔を見合わせた。
まさか、このタイミングで帰宅するつもりなのだろうか。
翼
「小笠原さん、現在の映像を転送してもらえますか」
すぐに私の手にしたタブレット画面が輝き、監視カメラで斜め上から撮っているものと思われる映像が届いた。
白いスーツを着た外国人の女性の、やや後方からの横顔と、向かい合って立つ、小柄な日本人の男性が映っている。
女性の顔は分かるが、男性はキャップを目深に被っていて、なかなか顔が見えない。
映像を見たブランさんが、先に声を出した。
ブラン
『ベアトリーチェじゃないか』
明智
『ご存知の方ですか?』
ブラン
『彼女の夫は、わたしの同業者の一人だからね。夫妻とは十年来の知り合いだ』
明智さんに英語で尋ねられ、ブランさんは、神妙な面持ちで頷いた。
ブラン
『彼女も夫のブランドのモデルで、フローラとも懇意にしている。……だが、来日していたとは知らなかった』
画面の中のベアトリーチェさんが、男性に、化粧ポーチのような袋を手渡しているように見えた。
明智
『ブランさん、この男性は?』
ブラン
『いや、知らない』
明智
「小笠原、すぐに小松原係長に連絡し、五係を現場に向かわせて職務質問してもらってくれ」
小笠原の声
『了解』
明智さんは私を見た。
明智
「櫻井、この男が分かるか?」
同時に、画面の中の男性が顔を上げた。
私は画面を凝視していた。
私は、一度見た人の顔や名前は忘れない。
この男性には見覚えがあった。
翼
「……この人……!」
それが誰かを思い出した途端、私はもう立ち上がり、走り出していた。
明智
「櫻井、待て、落ち着け!」
中二階からの階段を降りかけたところで、私は明智さんに手を掴まれた。
振り返り、ブランさんも追って来てくれているのを見て、私はハッとする。
翼
「す、すみません。単独行動をするところでした」
明智
「いいから説明しろ。どこへ行く気だ?」
狼狽する私の腕を掴んだまま、明智さんはもう一方の手で、自分のインカムを指差した。
明智
「緊急事態なら、インカムの回線を解放しろ。捜査室の全員と小野瀬さん、小松原係長に、今後の会話が全部聞こえるようにするんだ」
明智さんの手から伝わる体温が、声が、私に冷静さを取り戻させてくれる。
ああそうだ。
その為に、私たちは極小のイヤホンとマイクを装着していたのに。
緊急事態の時のインカムの使い方は、事前に打ち合わせしてあったのに。
それすら忘れてしまっていたなんて。
落ち着いて、落ち着いて私。
私ひとりでは何も出来ない。
私は明智さんに促されて二、三度深呼吸をし、それから、インカムを解放に切り替えて、マイクを意識しながら説明を始めた。
翼
「《Tokyo☆Week》初日の前夜、会場の設営や調整をしていた業者さんたちの中にいた男性が、フローラさんの友人でもある観客の一人と接触しています」
これで、私の言葉が全員のインカムに伝わる。
後はそれぞれがインカムを解放すれば、互いに会話が可能になる。
私は改めて、二人を伴って小走りに走り出した。
翼
「その男性は、私が見た時には、キャットウォークの飾り付けをしていました。だから、もしかして、ステージに何か細工をしてあるんじゃないかと思って」
走り続けながら話す私に、明智さんは納得した様子で頷いてくれる。
明智
「確かに、キャットウォークの中は空洞になっている。だが、配線も通っているし、賊が隠れるにはもってこいだから、毎日、五係が点検しているはずだぞ」
間もなく舞台の裏手、特設ステージの下からキャットウォークの中に入れるという場所に到着した所で、明智さんと私の元に、小松原係長が走ってきた。
小松原
「明智の言う通りだ。だが、櫻井の記憶が確かなら、キャットウォークを調べてみる必要があるな」
小松原係長が、私の言葉を頭から否定せずに受け入れてくれた事が嬉しかった。
そこへ、小笠原さんの声が割り込んだ。
小笠原の声
『たとえば板が二重になっていて、そこに爆弾を仕掛けてあったとしたら?』
私たちは、小笠原さんの言葉に愕然とした。
小笠原の声
『ベアトリーチェのいる階に向かった五係が、たった今、二人の身柄を拘束した。そこからの報告だよ』
爆弾。
私と明智さん、小松原係長は顔を見合わせた。
間もなく、小松原係長が手配した係官たちが、手に手に釘抜きやバール、ハンマーなど、大工道具のような物を携えて走って来た。
小松原
「爆発物処理班は、初日から常に待機している。だが、ショーを中断せずに、舞台を分解するのは不可能だ」
爆発物への備えはあった。
別の発火装置を所持した男を逮捕して以来、さらに対策は強化されてきた。
それなのに、犯人はさらに早い時期から仕掛けてきていたなんて。
明智
「正確な場所は分かったのですか?」
小松原
「ここまでの自供によれば、キャットウォークの先端部、客席に向かって右側の壁だ。時限式で、爆破時刻はショーの終了間際にセットしてあるらしい」
それは。
ショーの最大の見せ場。
室長と茉莉花さんがタキシードとウェディングドレスで登場し、続いて全てのモデルさんが次々に加わり、さらに、ブランさんやノワールさんまで総出演しての舞台挨拶が行われる。
私は身震いした。
怖くて時計が見られない。
直接作業に当たる係官たちが、準備完了を告げ、小松原係長に指示をあおいできた。
小松原
「時間が無い」
小松原係長が腕時計を見て舌打ちした。
小松原
「1,500人の観客に説明して避難させていたら間に合わない。このまま爆弾を取り外すしかない」
明智
「しかし、キャットウォークの内側はベニヤ板が釘打ちされていて、外すにはどうしても音が出ます。観客に気付かせないようにするなんて」
小松原係長が唸った。
小松原
「…………穂積!」
穂積の声
『聞いています』
絞り出すような小松原係長の声に、今、まさにステージ上にいるはずの室長の声が応えた。
穂積の声
『あと15秒で、わたしと茉莉花が舞台袖に戻ります。同時に如月が最後のターンに出ますから、そこから作業に取り掛かって下さい』
すぐそこにいるはずなのに、室長の声は現実よりもどこか遠くから聞こえてくるよう。
けれど、爆弾に最も近い場所にいる室長の、その落ち着いた声が、私たちを冷静にした。
小松原
「しかし、どうやって……いや、分かった。お前に任せる」
爆弾の撤去作業の指揮を執る為に、小松原係長が舞台の下に向かう。
残された私たちも、ブランさんとともに出番に備えなければならない。
私は、思い切って裏から会場の隅に回り込み、ステージを見上げた。
グレーのロングコートの室長と、ライトグレーのショートコートの茉莉花さんが戻ってくる。
二人が舞台の袖に消えると、ステージの上は無人になった。
けれどそれも一瞬。
突き上げるような重低音が響いたかと思うと、スピーカーからは、低音の2ビートが流れ出した。
昨日までには無かった演出だ。
アイボリーのツーピースに着替えた如月ベッキーが、それに合わせて舞台中央に登場する。
スポットライトを浴びた如月さんがタン、タン、と靴音を鳴らすと、幕の裏から、他のモデルやスタッフたちが、揃ってダン、ダン、と同じリズムを返す。
タン、タン、タン。
ダン、ダン、ダン。
タンタンタンタン。
ダンダンダンダン。
これは……初日のオープニングでも披露した、靴音のパフォーマンスだ。
続いて登場したモデルさん、そして如月さんが、靴音のパフォーマンスを続けながらキャットウォークを歩き出し、両手を挙げて手を叩き始めた。
観客が、それに応えて、手拍子を打つ。
たちまち、会場は拍手と歓声に包まれた。
それは、インカムから発せられた小松原係長の『行け!』という声も、掻き消されてしまうほど。
さらにモデルが増え、身振り手振りで観客にも起立を促す。
如月さんに、小野瀬さんに、会場の雰囲気に誘われて、総立ちした観客が足踏みを始めた。
1,500人の足音と手拍子で、もう、隣に来た明智さんの声も聞こえない。
明智
「櫻井、爆弾の取り外しが成功した!ブランさんと楽屋に向かうぞ!」
翼
「はい!」
明智さんと共に裏手に戻ると、作業を終えた係官たちと爆発物処理班を見送っている小松原係長が、私たちに敬礼してくれた。
表舞台での拍手と足踏みは、まだ鳴り止まない。
良かった。
本当に良かった!