Tokyo☆アブナイ☆week
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シャワーと着替えを終えた私は、小野瀬さんに連れられて、ファッションショーが行われている最上階に戻ってきた。
驚いた事に、さっき私が催涙スプレーを浴びた部屋の扉は開け放たれていて、けれど、周辺のフロアにもどこにも、全くガスの痕跡が感じられない。
処理を終えたのか鑑識の人たちの姿もすでに無いし、私は、何だか狐につままれているような思いがした。
もちろん、あれが現実だったという事は、触るとまだひりひりする、熱を持ったままの自分の肌が教えてくれる。
それでも、この様子なら、ショーが終わってお客さんたちが出てきてもきっと大丈夫だ。
私はその事にホッとした。
さらに歩いていくと、舞台の裏手、スタッフ用の通路に置かれた大きなモニターに、会場内の様子が映し出されていた。
私たちがいない間に、ステージでは、もう、次のブランドのショーが始まっている。
モノトーンの服を華やかな演出で魅せた『ブラン・ノワール』とは違って、今度はクラシック音楽が流れ、いわゆるゴスロリのファッションを身に付けたモデルさんたちが、静かに舞台を往き来している。
フランス人形のように可愛らしいモデルさんたちと、凝ったデザインのドレスの数々を横目に見ながら、小野瀬さんと私は通路を抜けて、『ブラン・ノワール』の控え室が並ぶブロックに到着した。
ブロックの入り口で立ち番をしていた明智さんが私たちに気付いて、こちらに数歩踏み出した。
明智
「櫻井、無事だったか!」
言葉と共に、明智さんが両手を広げる。
その中に飛び込んでしまいたくなったけれど、明智さんはハッとした様子で、すぐに、伸ばした腕を引っ込めてしまった。
明智
「……大変だったな。室長はブランさんの部屋にいるから、報告してくるといい」
いつものように頭をぽんぽんとしてもくれなかったけど、明智さんの眼差しはとても優しい。
安全な場所に戻ってきた、そんな気持ちにしてくれる。
翼
「はい」
私は笑顔で頷いた。
明智
「小野瀬さん、櫻井の手当てをありがとうございました」
明智さんは小野瀬さんにも声を掛けて、頭を下げた。
小野瀬
「どういたしまして。……これで、帳消しにしてもらえるかな?」
明智
「何の事を、でしょうか?」
明智さんはいつものようにぶっきらぼうに応えた後、唇の端だけで、にやりと笑った。
それを見て、小野瀬さんも同じように微笑みを返す。
小野瀬
「……いや、何でもない」
意地っ張りな二人のやり取りが可笑しくて、私は噴き出しそうになってしまった。
明智
「どうぞ」
明智さんが、パイロンに掛けたバーを外して、道を開けてくれる。
小野瀬
「さ、行こうか。名残惜しいけど、姫を穂積に返さないとね」
小野瀬さんはそう言って、私に手を差し出してくれた。
明智さんに教えてもらったブランさんの控え室をノックすると、中から、室長の誰何の声がした。
小野瀬
「俺だよ」
一度、ドアチェーンを掛けたままドアが開き、小野瀬さんを確認してから、改めて、室長が内側からドアを開けてくれた。
穂積
「櫻井は?!」
開口一番、私の名前を呼んでくれた事に嬉しくなる。
室長の姿を見た途端、視界が滲んだ。
小野瀬
「はい、どうぞ」
小野瀬さんが半身になって、背後にいた私を室長の前に出してくれた。
ところが。
穂積
「……」
室長は私の姿を見た途端、顔を強張らせた。
そのまま立ち尽くしている室長を見かねて、小野瀬さんが声を掛ける。
小野瀬
「どうした、穂積?」
穂積
「……いや……ありがとう、小野瀬。色々と、世話になったな」
小野瀬
「何だよ。しおらしくて気持ち悪いぞ」
小野瀬さんが顔をしかめた。
ブラン
『ルイ』
すると、室内から、ブランさんが出てきた。
ブラン
『私は、モデルたちの控え室に行ってくるよ』
穂積
『でしたら私も一緒に』
室長が言うと、ブランさんは室長から見えないところで、私と小野瀬さんにウインクをした。
ブラン
『いや、オノセに一緒に行ってもらうから大丈夫だ。いいだろう?』
小野瀬
『いいよな、穂積。俺も着替えなきゃならないし』
小野瀬さんは笑いながら、スカートの裾を指先でつまんで持ち上げて見せた。
ブラン
『ルイはここで、櫻井からの報告を受けてくれ。終わったら、私の後から来てくれればいい』
ブランさんはそう言ってから小野瀬さんを促し、さっさと歩き出してしまう。
室長は、もちろん、そんなブランさんの気遣いに気付かないような人ではない。
穂積
『……分かりました。小野瀬、頼むぞ』
小野瀬
『任せて。これでも剣道の心得がある』
素振りの真似をしてみせる小野瀬さんに、振り返ったブランさんが、興味津々に話を合わせてきた。
ブラン
『ケンドー?オノセはサムライなのか』
小野瀬
『ケンドーと言うのはですね……』
小野瀬さんが、ブランさんに追い付いて話し出す。
肩を並べて去って行く二人の背中に向かって、室長は静かに頭を下げた。
翼
「……以上、報告終わりです」
室内で二人きりになっても、室長は何も言わなかった。
沈黙に耐えかねた私が、K列13の女の席に向かったところから勝手に話を始め、取り調べの様子から催涙ガスを浴びた状況、その後、小松原係長に助けられた事を話しても、室長は私の前に立ったまま、黙って話を聞いているだけ。
駆け付けた小野瀬さんが手当てをしてくれ、服を買ってくれ、シャワーを浴びてから着替え、ここへ着くまでの説明を終えたところで、室長はようやく顔を上げて、私を見つめた。
穂積
「ご苦労だった」
それは仕事の顔。仕事の声。
ああ、私は今、報告を終えたんだ。
ホッとひとつ息を吐いて、私は敬礼をした。
次の瞬間。
穂積
「……っ」
室長が、両手で自分の顔を覆った。
翼
「えっ?」
私は驚いて、思わずその手の甲に触れた。
翼
「室長……?」
穂積
「すまない」
顔を覆ったまま、室長が私に、……私に、謝っている。
穂積
「俺が、巻き込んでおいて」
……私に、催涙ガスを持った女を取り調べるように命令を出した事を、悔やんでいるんだろうか。
それとも、交通課から捜査室に異動させた事を?私を刑事にした事を?
私を恋人にした事を?
……今、涙を堪えている事を?
指先に触れていた細く柔らかい髪を、私はそっと梳いてみた。
翼
「室長、抱き締めて下さい」
穂積
「……そんな公私混同な願いはきけない」
私はくすりと笑った。
翼
「じゃあ……泪さん、抱き締めて下さい」
穂積
「……お前、まだ身体中が痛いだろう」
私はさっき、明智さんが、私に伸ばしかけた手を止めた事を思い出した。
警備出身の室長や明智さんは、催涙スプレーを体験した事があるのかもしれない。
その痛みを身をもって知っているから、だからこそ、私に触れないのかもしれない。
翼
「……触れてくれない方が、痛いです」
顔から手を離した室長が、その腕を私の身体にまわした。
抱き締めるのではなく、私の腰の後ろで両手を組む、包み込むような抱擁。
私は自分から、身体を寄せた。
紺色のスーツ。触れた時にだけ分かる、温もりと優しい香り。
髪に触れる唇と広い胸の安心感に、私の目にも涙が滲んだ。
穂積
「……顔を見せてくれ」
翼
「いやです。お化粧してないし、恥ずかしい」
私は余計に、室長の胸に顔を押し付けた。
穂積
「お前のすっぴんなんか、100回見てる」
翼
「でも、室長は今日、超キレイなモデルさんたちをいっぱい見てるじゃないですか!」
くくっ、と室長が笑ったのが分かった。
穂積
「なんだ妬いてるのか?」
翼
「……黙秘します」
穂積
「お前の方が100倍キレイだ」
どきん、と胸が鳴った。
穂積
「すっぴんでも、普段着でも、ガスで顔が腫れてても、半泣きでブッチャイクでも」
私が顔を上げると、室長の深い眼差しに捉えられた。
穂積
「俺が見ていたいのはお前だけ、抱き締めたいのもお前だけだ」
翼
「……抱き締めてくれないじゃないですか」
穂積
「おねだりが上手くなったな」
室長の柔らかい唇が、額にそっと触れた。
それだけで、そこに火がついたような熱さと痛みを感じる。
翼
「……!」
穂積
「心配しなくても、《Tokyo☆Week》が終わったら、嫌、って言われても抱いてやる」
額を押さえた私に、室長は艶っぽい微笑みを見せて囁いた。
穂積
「覚悟しておけよ」
翼
「……はい」
ぷ、と室長が噴き出した。
穂積
「お前、本当に、上手くなったな」
室長は笑いをおさめて、腕時計を見た。
穂積
「さあ、そろそろ、スタッフの後片付けも終わる頃ね。警護しながらホテルに戻るわよ」
オカマ口調に戻った室長が、先に立って扉を開ける。
穂積
「ワタシについてらっしゃい、櫻井」
翼
「はい!」
私は室長の背中を追い掛けて、部屋を飛び出した。