Tokyo☆アブナイ☆week
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~小松原vision~
客席が見渡せるフロアの隅。
俺が五係への指示を出し終えて間もなく、櫻井がさりげなく、しかし早足で俺の元にやって来た。
こうして見ると普通の女の子なのだが、捜査室に配属されたのは、あの穂積が直々にスカウトしたからだと聞いている。
たとえ今は穂積の恋人だとしても、他のメンバーが精鋭揃いなのを見れば、穂積がただの好みでこの女の子を入れたのではないと思える。
あの穂積が見込んだ部下。
どれほどの才能があるのか、ぜひ知りたいものだ。
小松原
「穂積からの指示は?」
挨拶もそこそこに、俺は訊いてみた。
翼
「絶対に油断するな、と言われてきました」
小松原
「それは心構えだろう。内容だ」
……穂積はこんな緊急時でも、心構えから入るのか。
翼
「はい。K列13の女性を、まずは会場から別室に連れ出し、スプレーを預かります。催涙ガスかどうか不明であれば、小笠原さんに成分検査を依頼します。対象者には職務質問、同意を得て所持品検査と身体検査をします」
小松原
「結果がシロだったら?」
翼
「スプレーはショー全体の終了まで預かりますが、本人は『ブラン・ノワール』のショー終了を待って会場に戻します。希望があれば、後日のショーの入場券を渡すよう言われています」
小松原
「……いいだろう。私が補助に付く」
翼
「はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
櫻井が敬礼した。
この女の子に、穂積を惹き付けるほどの何があるのか、俺には分からなかった。
あの穂積なら、他にいくらでも綺麗な女を選べるだろうに。
俺は内心で首を傾げた後、先に立ってK列13に向かった櫻井と距離を保ちながら、会場に入った。
櫻井は会場に入ってから、一旦、来場者全員の顔を見渡すように歩いた。
どういう意味か分からないが、穂積の指示だろうし、すぐに俺を振り返って目で合図し、K列に向かったので、俺は黙って櫻井を見守る。
櫻井は華やかな舞台の邪魔にならないように身を屈め、ほとんど膝で歩くようにして静かに対象者に近付くと、笑顔で囁きかけた。
対象者は一瞬驚いたように身体を震わせたが、櫻井に誘われるまま、大人しく席を立ち、櫻井を従えるように前を歩いて、こちらに近付いて来た。
よし。
第一段階は成功だ。
俺は五係の部下二人に合図を送り、会場の扉を開けさせるとともに、対象者を、通路を挟んだ別室に案内した。
これも予定通り。
俺は胸を撫で下ろした。
少なくともこれで、会場への被害は最小限で済むはずだ。
翼
「せっかくご観覧を楽しんでいらしたところを、大変申し訳ありませんでした」
別室に用意したパイプ椅子に対象者の女が座ったところで、櫻井は深々と頭を下げた。
女
「何なんですか?」
女は少し苛立ったように言った。
両手は、神経質に黒いバッグの口を握り締めている。
翼
「私、警視庁の櫻井と申します」
櫻井は女に警察手帳を見せた。
女の肩に力がこもる。
女
「何も悪い事してませんけど」
櫻井は女に、その通りです、と頷いた。
翼
「ただ、お客様が、催涙スプレーをお持ちだと連絡が入りまして。もしも事実だとしますと、ショーの会場のような場所にはふさわしくないという理由で、こちらでお預かりしなくてはなりません」
物言いは柔らかだが、毅然としている。
女と櫻井は、しばらく見つめあった。
女の方が櫻井を睨み付けた、と言い換えてもいい。
室内は女と櫻井の他に、俺と、俺の部下の男性が二人。
女が暴れれば、取り押さえる自信はある。
翼
「恐れ入りますが、スプレーをご提出頂けますか。もしも拒まれますと、身体検査も含めて全てのお持ち物を見せて頂く事になりますが」
女
「護身用に持ってるだけなのよ」
翼
「お持ちになっているだけなら、もちろん罪にはなりません」
女は粘るが、櫻井は辛抱強い。
翼
「ここには男性もおりますし、出来れば身体検査までしたくはありません。ご自身で、バッグの中のものを、こちらのテーブルの上に出して頂けますか?」
女
「……」
渋々、本当に渋々という様子で、女はバッグをテーブルの上にどさりと置き、それから立ち上がって、バッグの中に手を入れた。
俺は出入口を塞ぐように立っていた。
俺の前には二人の部下の背中が見え、その先に女の背中、テーブルに置かれたバッグ、テーブルを挟んでこちらを向いている櫻井の真剣な顔が見える。
バッグに手を入れた女は、果たして、小さな赤いスプレー缶を持っていた。
蝶の絵柄がついていて、一見、催涙スプレーなどという物騒なものには見えない。
女の手で差し出されたそれを、櫻井は白い手袋を嵌めた両手で受け取り、女の手の届かない、こちらが準備しておいたトレイに載せた。
翼
「ご協力ありがとうございます」
素早く缶の表示を見た櫻井が、俺に軽く頷いてみせた。
翼
「では、恐れ入りますが他の荷物も……」
女は不機嫌そうに溜め息をついたが、観念したのか、次々にバッグの中身をテーブルの上に並べ始めた。
櫻井もホッとしたような表情を浮かべる。
携帯電話、ハンカチ、ポケットテイッシュ、口紅、ピルケース。
香水だというアトマイザーが出てきた時には一瞬、室内が緊張したが、女は淡々とそれをテーブルに並べただけだった。
女
「これだけよ」
最後に、赤いカバーのついたシステム手帳をテーブルに置いた女が、吐き捨てるように言った。
女
「何なら身体検査もする?」
女はあからさまに不愉快な声で言いながら、空になったバッグを持ち上げて底を掴み、上下を逆さまにして振ってみせた。
翼
「ご協力ありがとうございます。最後に、そのバッグを開いて、中を見せて頂けま」
その時。
俺は見た。
バッグの底を掴んでいた女の手が緩み、下を向いていたバッグの口から、赤いスプレー缶が転がり出たのを。
待ち受けていた女の手に、それがしっかりと握られたのを。
その缶に描かれた、黒い蝶を。
小松原
「捕まえろ!」
俺が叫んだのと。
女が、真っ直ぐに櫻井に向けたスプレーのボタンを押したのと。
二人の部下が女に飛びかかったのは。
同じ一瞬の出来事だった。