Tokyo☆アブナイ☆week
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不意に、照明が暗くなった。
静まり返った会場に、うってかわって明朗な司会者の男性の声が響き渡る。
『Ladies and gentlemen,』
始まった!
『Welcome to the opening event of the "Shibuya☆Kagura"!』
わああっ、という歓声が、司会者の呼び掛けに応えるように沸き上がる。
それを合図に天井のミラーボールが回転を始め、カクテルライトの光がきらきらと乱反射し、8ビートの軽快な曲が流れ始めた。
聞き覚えのある曲だ。
日本の女性3人組テクノポップユニットのヒット曲に、客席から自然と手拍子が起こった。
さらにステージの奥からは、出番を待つ出場者たちが奏でるのだろう、足踏みによるステップ音も響いてくる。
『ブラン(blanc)・ノワール(noir)!』
高らかに読み上げられたブランドネームに続いて、目の眩むような光とともに、ステージを覆っていた幕が開いた。
大きな拍手と歓声を浴びて登場したのは、なんと、ベッキーと茉莉花さん。
手を繋いだ二人は笑顔で一礼した後、軽やかなステップを披露しながら、花道を歩き出した。
翼
「……ベッキー、凄い……」
度胸がいいのは知っていたけど、それでもまさか、オープニングを飾るだなんて。
それに、茉莉花さんも凄い。
狙われていると分かっていながら、そんな不安など微塵も感じさせない明るさで、堂々とキャットウォークを進んでゆく。
二人が客席に手を振りながら細長い花道の中間まで差し掛かると、ステージの奥からは新たなモデルさんが現れ、髪をなびかせて颯爽と歩き出した。
さらにそれを追いかけるようにして登場した他のモデルさんたちも、ノワールさんがデザインした素敵な服を着て、次々とキャットウォークに出て来る。
音楽と手拍子、行進する美女たちの笑顔と華麗な衣装の競演に、会場は一気に華やかになった。
ブラン
『素晴らしい』
ブランさんの声に振り返った私は、その時、満足そうにステージを見下ろしている彼の向こうで、明智さんが、会場に鋭い眼差しを向けている事に気付いた。
明智さんの表情は、怖いほど真剣。
その右手には、拳銃が握られていた。
消音器の付いた、射程距離の長い拳銃は、初めて見るファッションショーの熱気に舞い上がりかけていた私の気持ちを、一気に冷たい現実に引き戻すのに充分だった。
いつの間に、と思うのと同時に、私は、ずっと感じていた違和感が、それによって氷解してゆくのを感じた。
今日、会場に入ってからの明智さんの様子は、それまでとは明らかに違っていた。
私は、明智さんが不機嫌になった理由を、如月さんや私が浮かれ過ぎていたからだとか、小野瀬さんと仲が悪いからだとか、そんな風にしか考えていなかった。
でも違う。
あの時、小野瀬さんは、藤守さんと組んで、ノワールさんの警護に当たっていなければいけなかった。
明智さんが小野瀬さんに対して、失礼な事を言うほど苛立っていたのは、小野瀬さんが単独行動をした上、彼の持ち場を離れたからだ。
小野瀬さん自身も、すぐにそれに気付いたからこそ、あの時、明智さんに反論しなかったのではないだろうか。
そして、小野瀬さん以上に明智さんをナーバスにさせた原因が、今、手にしているあの拳銃だという事は、おそらく間違いないだろう。
だって、明智さんは銃を撃つ事が……。
その時、インカムから声がした。
如月の声
『明智さん、ステージ上から見てキャットウォーク先端右列三番目、黒髪痩せ型の男、分かりますか』
声の主はなんと、たった今ウォーキングを終え、舞台袖に引っ込んだばかりの如月さん。
ステージ裏で着替えながらなのか、後ろの声が混ざり、如月さん自身も少し息が乱れているようだ。
明智さんが目を凝らす。
明智
「ほぼ正面に右肩から上が横向きで見える」
囁くように答えながら、明智さんが中腰になって動いた。
中二階の壁に身を隠すようにして片膝をつき、手摺りの隙間から銃を構える。
ブランさんが腰を浮かせかけたので、私は慌てて抑えた。
如月の声
『小笠原さんから連絡のあったフランス国籍の人物の一人ですが、何となく挙動不審に見えました。次は室長が出ますので、確認してもらいます。そちらからも注意をお願いします』
明智
「了解」
二人のやり取りは、私のイヤホンにも聴こえている。
私は、明智さんの集中を妨げないようにしながら、自分がするべき事を考えた。
そして、隣にいるブランさんを警護するのはもちろん、指定された人物の他にも怪しい人がいないか、意識して会場全体を見るようにした。
舞台の上では、引き続き一定の間隔をおいて舞台奥から次々と美しいモデルさんが現れ、長いキャットウォークを優雅に彩っている。
そして先端まで行き着き、一瞬だけ立ち止まってポーズを決めると、今度は踵をかえして、反対側の客席に衣装を見せながら舞台奥へと戻って袖に消えてゆくのだ。
最初は手拍子を打っていた観客も、十人のモデルさんが一通り登場するこの頃にはすっかり舞台に魅了され、手を打つ事など忘れてしまったようだ。
明るいグレーで始まった『ブラン・ノワール』の衣装は、ステージが進むにつれて、少しずつその色の濃淡を濃くしていく。
それと比例して、ステージを照らす明かりは、少しずつ照度を上げる。
次にその光の中に現れたのは、ミディアム丈のふんわりとしたチュチュスカートを身に付けた、茉莉花さん。
透け感のあるオーガンジーを重ねて、ブラックパールを散りばめたチュチュは、甘くなりそうなのを広めのフレアーとグレーの色味が抑えて、下向きの薔薇の花を思わせる大人っぽさ。
けれども、それ以上に私を、いや、会場の視線を惹き付けたのは、茉莉花さんをエスコートして現れた、室長の方だった。
恐らく、ノワールさんがデザインしたというメンズスーツの一着だろう。
あくまでも女性を引き立てる存在でありながら、単独でも充分に存在感を主張できる個性を持ったグレーのスーツ。
そして、そのスーツと見事に調和している、銀色のウィッグの室長。
髪の色が普段とほんの少し違うだけなのに、私は完全にステージ上の室長に見蕩れてしまった。
襲撃者が潜んでいるという情報が無ければ、そして、明智さんが微かに銃身を動かさなければ、そのまま最後までうっとりと目で追っていたかもしれない。
キャットウォークの先端に近付く間にも、室長は微妙に位置を変えながら、茉莉花さんを守るように歩いていた。
そしてその室長を守るように、明智さんもまた、少しずつ照準を合わせる位置を変えているのが分かる。
集中しなくちゃ。
室長を、茉莉花さんを、明智さんを、ブランさんを、守らなくちゃ。
ともすれば室長に傾きそうになる私の意識の針を引き戻したのは、耳に響いてきた、ほかならぬ室長の静かな声だった。
穂積の声(英語)
『ベッキーの恋人は左胸にプレゼントを忍ばせている』
私たちが見つめる舞台の上で、室長は、今、まさにその相手と対峙しようとしていた。
お願い、何も起こらないで。
着実に襲撃者に向かう二人の足取りを、私は、祈るような思いで見つめていた。
室長と茉莉花さんはほぼ横並びで、僅かに半歩ほど室長が右前、つまり客席側を歩く。
その歩みは音楽と調和してリズミカルで、表情は微笑みを湛えて悠然としている。
相手が武器を所持していると分かっていて、どうしてあんなに平然と近付いて行けるんだろう。
中二階から見ている私の方が、緊張に耐えられず叫んでしまいそうなのに。
穂積の声(英語)
『……落ち着いて』
私の耳に囁くように聴こえてくる室長の言葉が英語なのは、きっと、傍らを歩く茉莉花さんに聞かせるため。
穂積の声(英語)
『足を止めないで、背筋を伸ばして。笑って、そう、綺麗だよ。そのまま行くんだ』
室長が声をかけるたび、返事の代わりに茉莉花さんが微笑んで頷く。
ついに二人がキャットウォークの最先端に辿り着き、反転する直前、数秒間ポーズを決めて停止した。
いや、違う。反転したのは茉莉花さんだけで、室長はゆっくりと動いていた。
華やかなライトを浴びて踵を返し、逆向きになった茉莉花さんの横で、室長は流れるような動きでジャケットを脱いだ。
ジャケットの下から現れたのは、均整のとれた身体と、肩から装着された拳銃のホルスター。
会場がざわめくよりも速くジャケットが翻り、襲撃者から茉莉花さんを数秒、隠した。
室長はさらに、そのジャケットを後ろから茉莉花さんの肩に羽織らせ、そっと背中を押した。
茉莉花さんも動じることなく、逆方向に歩き出す。
全てが始まったのは、次の瞬間だった。
室長が遮った事でタイミングを逃したと知ったのか、襲撃者が奇声を発して、おもむろに立ち上がったのだ。
明智さんが、引き金に指をかける。
立ち上がった襲撃者は、けれど、銃を手にした右手を、服の中から抜く事が出来なかった。
室長の眼光が、そして、室長の右手に握られた拳銃の銃口が、ぴたりと襲撃者に向けられていたからだ。
その間にも、茉莉花さんは襲撃者から離れてゆく。
遠ざかる背中に目的を思い出した襲撃者が、ついに銃を引き抜いた。
穂積の声
『明智』
声と同時に、明智さんは迷わず引き金を引いた。
パァン、と軽やかな音がして、咄嗟に上空に向けられた室長の銃から、金銀に煌めく紙吹雪が発射された。
ステージを照らすライトを受けて、輝きながらきらきらと降り注ぐ光の粒に、観客から歓声が上がる。
私だけが、明智さんの銃に次の弾が装填される音を聴いた。
それと同時に眼下では襲撃者が弾かれたようによろめき、床にしゃがみ込む。
すかさず、忍び寄るように待機していた警護五係が数人、襲撃者を抑え込み、抱えるようにして会場の外へ連れ去っていった。
茉莉花さんが反転してから、ほんの十秒ほど。
あっという間の逮捕劇だった。
ステージ上で、襲撃犯が連行されるのを見送った室長が、不敵に微笑む。
芝居がかった様子で銃口をフッと吹き、歩き出しながら銃をホルスターにしまえば、すっかり演出だと思い込んだ観客から、盛大な拍手喝采が贈られた。
一足先にステージに到着した茉莉花さんが振り返って、追いついた室長に笑顔で抱きつく。
拍手に包まれながら舞台裏に消えてゆく二人と、目の前で再び会場に鋭い視線を向ける明智さんとを見ながら、私は、身体中から力が抜けていきそうになるのを必死で堪えていた。