お父さんの憂鬱
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~穂積vision~
夕方からの会議が終わり、俺は、ひとり遅れて、いつもの居酒屋へ向かった。
駐車場に車を停め、店まで数分の距離を歩き出す。
暗闇に浮かび上がる見慣れた看板が見えてきた辺りで、俺は、ふと、視線の先に、気になるものを捉えた。
目を凝らせば、店の前に置かれた休憩用のベンチに、小柄な人影がひとつ、腰掛けているのが見える。
看板の横にある赤提灯の淡い光を受けながら、じっと俯いているその姿には、見覚えがあった。
それもそのはず。
そこにいたのは、一時間ほど前に捜査室の同僚たちと共に警視庁を出て、一足先に宴会を始めているはずの、俺の部下。
穂積
(……櫻井……?)
櫻井はぼんやりと自分の靴の先を見つめて、何か物思いに耽っているらしい。
それにしても、暗い路地とはいえ、近付いてゆく俺の存在に全く反応しないのは、無防備すぎるだろう。
捜査室を出る時は、普通だった。
ここまでの間に、何かあったのだろうか。
内心首を傾げながらも、なんとなく胸騒ぎを覚えた俺は、そこから一気に歩く速度を早めて、櫻井の座るベンチに大股で歩み寄った。
すぐ傍らに立ち止まっても気付かないようなので、声を掛けるより先に、いきなり、隣に腰を下ろしてやる。
どすん、という物理的な衝撃で跳ねた櫻井が、反射的にこちらを向いた。
翼
「あ」
櫻井はベンチに座ったのが俺だと分かると、夢から覚めた時のように、ぱちぱちと瞬きをした。
だから無防備すぎるだろう。
刑事になったくせに注意力散漫だ、と怒鳴りつけたいのを堪え、まずは職場でのオカマモードでオブラートに包んで、やんわりと理由を尋ねてみる。
穂積
「一人で外にいるなんて、どうしたの?」
俺にじっと見つめられて、視線を逸らさずにいられる相手は多くない。
けれど、櫻井は、おずおずと俺を見つめ返してきた。
翼
「……室長……」
穂積
「ん?」
大きくて円らな目に、俺が映る。
翼
「……ぅっ」
次の瞬間、その、大きな瞳が潤んで、櫻井の目から、ぶわっ、と涙が溢れた。
穂積
「うわ」
翼
「うっ、うぇえええん!」
さすがの俺もぎょっとする。
翼
「しつ、……室長、うっ、すみません。わたし、私のせいで、みっ、皆さんが、っ……」
ぼろぼろと大粒の涙を溢して、よく分からない事を謝りながら泣き出す櫻井。
こいつ酔ってるのか?
なんだこれヤバイ。
穂積
「……」
どうするべきか迷ったが、とりあえず、俺自身の為に、ひとつ深呼吸。
それから、震える肩を引き寄せて、あやすように、よしよしと頭を撫でてやる。
俺は、努めて、優しい声を出した。
穂積
「もう、どうしたの。ワタシでよければ、話してごらんなさい。力になるわよ?」
そうして初めて腕に抱いた、櫻井の身体。
……こんなに華奢で、小さかったのか。
櫻井はとっくに社会人だとはいえ、交通課で過ごしたのは数ヵ月、捜査室に移ってからも、まだ半年と経たない。
身長は日本人女性の平均値ですよ、などと言っていたのを聞いた事がある気がするが、それでも、俺と比べたら肩までしかない。
その身体で、櫻井は、俺を含めて男ばかりの捜査室の中で懸命に努力してきた、いや、今なお努力している。
頑張った甲斐あって、最初冷たかった明智や藤守、小笠原も、この頃では櫻井に対する態度が和らいできた、俺はそう思っていた。
新人だからとか、女の子だからとか言わなくなってきたのも、捜査員としての櫻井の能力を認めたからだと思っていた。
櫻井を核として、寄せ集めでバラバラだった捜査室の中に、ひとつの連帯感が生まれてきた。
櫻井もまた、新しい職場に受け入れられた事を喜び、ようやく、自分の居場所と、するべき仕事を見出だしつつあった。
そう、思っていた。
それなのに、今のこの状況はどういう事なのか。
櫻井は今、「私のせいで皆さんが」と言わなかったか。
まさか。
考えたくない。
考えたくない、が、しかし。
穂積
「……あいつらに、何か言われたの?」
櫻井が、ふるふると首を横に振った。
弾みで涙の粒が散る。
翼
「……言われ、ませ、でも」
背中が、肩が、声が、震えている。
懸命に嗚咽を堪えようとしているのがいじらしくて、胸が痛んだ。
何があったか知らないが、こんないたいけな後輩を泣かすとか、あいつら一体どういうつもりだ。
翼
「わたしが、いると、場の雰囲気が、わるく、なるんです」
穂積
「……そんなはず……気のせいじゃないの?」
俺が言うと、櫻井はまた新しい涙を溢し、しゃくり上げながら、首を、横に振った。
翼
「気のせい、じゃない、です。だって、このごろ、わ……私の、近くに来ると、みんな、無言になって。いまだって、宴会、なのに、険悪っていうか、なっ、なんか、ぎすぎすしてて」
穂積
「……」
その事に耐えきれなくて、ここに逃げてきたわけか。
だが、想像が追い付かない。
あいつらが、そんな、陰湿ないじめをするはずがない。
櫻井が嘘をついているとも思えない……
翼
「……っ、室長、すみませんっ、せっかく、捜査室に、入れて、くださった、のに。う、ぇええっ」
穂積
「何を言うの!アンタをスカウトした判断は間違ってないわっ!」
翼
「でも」
ああ、泣くな。
そんな顔をしないでくれ。
こっちまで泣きたくなるじゃないか。
穂積
「櫻井、アンタは、ワタシの大事な、優秀な部下よ」
俺は櫻井を真っ直ぐに見つめてからそう言うと、しっかりと抱き締めた。
穂積
「誰が何と言おうと、どんな事が起きようと、櫻井。アンタはワタシが守る」
胸が熱い。
櫻井の涙のせいだ。
背中にまわされた櫻井の手が、俺のスーツを握り締める。
翼
「……室長……お父さんみたいです……」
俺に縋りつく櫻井が、いとおしい。
櫻井判事がこの愛娘を過保護なまでに大切にしている気持ちが、分かる。すごく分かる。
穂積
「いいわよ。職場ではワタシが、アンタのお父さんになってあげる」
翼
「……いいんですか?」
穂積
「もちろんよ」
俺を見上げる櫻井の、涙に濡れた顔が、綻んだ。
翼
「……お父さん…!」
穂積
「……櫻井!」
~小野瀬vision~
小野瀬
(……何だか面白い事になってるなあ……)
藤守
「あっ、小野瀬さん!櫻井、いてましたか?……って、あ、あれ?」
宴会の途中、お化粧を直してきますと言って座敷を出たきり戻らない櫻井さんを探しに外へ出てみたら、たまたま、到着した穂積と、彼女とのやり取りの一部始終を目撃してしまった。
俺の後から来た藤守くんを振り返って、しっ、と人差し指を立てる。
藤守くんが長身を屈め、ついでに声を低くした。
藤守
「うわ、ラブシーンですやんか」
如月
「ああっ、俺の翼ちゃんが!」
小笠原
「如月、いつから『俺の翼ちゃん』になったんだよ。まだ、『俺たちの翼ちゃん』だろ」
明智
「そうだぞ。抜け駆け禁止だ」
いつの間にかみんなが追い付いてきて、ベンチで抱き合う穂積と櫻井さんの様子を、物陰から、息を殺して見守る形になってしまった。
如月
「いいムードじゃないですか。ヤバいじゃないですかっ」
明智
「落ち着け如月。それより、櫻井が泣いている理由が俺たちのせいだとしたら、後で室長に何をされるか分からんぞ」
藤守
「小野瀬さん、俺らが牽制しあって睨み合ってた隙に、室長に櫻井をさらわれてしまったんですか?これ、見てたらアカンやつですか?」
小野瀬
「それがそうでもないみたい」
藤守
「へ?」
小野瀬
「うまい具合に穂積の方が、仕事モードというか保護者モードというか。とにかく、なぜか恋愛ムードじゃない」
俺の言葉を裏付けるように、二人は間もなく身体を離し、穂積はハンカチで彼女の涙を拭いたり、ティッシュを出して鼻をかんだりしてやり始めた。
全員
「……」
やがて、櫻井さんがベンチから立ち上がったのを合図に、彼女の背中をぽんぽんと撫でてから、穂積も立ち上がった。
その顔が、くるり、と俺たちの方を向く。
目が合うと、穂積は、にっこり、と世にも美しい笑顔を浮かべた。
穂積
「ア~ン~タ~た~ち~」
小野瀬
「ヤバい、逃げろっ!!」
……その後、大魔神と化した穂積の怒りの暴風雨にさらされた俺たちがどんな目に遭ったか、ここでは語らない。
けれどそれ以来、みんなから嫌われているわけではないのだと説明されて櫻井さんの笑顔が戻った事と、『愛娘』に対する穂積のガードが堅くなった事は、伝えておく。
それと、もうひとつ。
穂積
「なあ小野瀬、お前は知っているだろう?櫻井は気付いてないと思うけど、俺はあいつが好きなんだ。それなのにオカマな上司どころか職場のお父さんって、どうしてこうなった。距離が縮まったのか、むしろ離れたのか、さっぱり分からない」
穂積が俺とバーに行って飲んでは嘆く、その回数が増えた事もまた、付け足しておこう。
~END~