ホワイトデーの夜に
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~翼vision~
3月13日。
出勤した私は、珍しい光景を目にした。
業者用の通用口の脇に堆く積まれた、有名菓子店のロゴの入った大きな段ボール箱。
……あんな箱初めて見た。
気になって行ってみると、傍らでスーツ姿の男性が一人、作業をしている。
ひときわ目立つ長身と金髪。
顔を確かめるまでもなく、その箱を無造作に開いて次々に中身を取り出していたのは、……泪さんだった。
私は、忙しそうに働く泪さんにそっと近付いて、声を掛けてみた。
翼
「室長、おはようございます」
私の声に、泪さんが手を止めて振り返る。目が合うと、微笑んでくれた。
穂積
「あら、おはよう。もうそんな時間?」
顔を上げた泪さんは、ついでに身体を伸ばし、着ていたジャケットを脱いだ。
私は急いで、広い背中側からそれを手伝う。
穂積
「ありがとう」
翼
「いいえ。……どうしたんですか、これ?」
私は、まるで菓子店の倉庫のような段ボールの山を指差した。
穂積
「明日の準備よ」
泪さんは荷物を見て渋い顔をしてから、ハンカチを出して額の汗を押さえた。
明日…………。
……3月14日……。
翼
「えっ!……これ、もしかして全部、バレンタインのお返しですか?」
私は仰天した。
泪さんは、そう、と言ってから、作業を再開する。
穂積
「お互いに義理でも、まあ社会人の礼儀として返さないとね」
泪さんは、バレンタインもホワイトデーも、100%義理のつもりみたい。
……女の子の方は、結構本気だと思いますよ?
もちろん、私の口からはそんな事、言わないけど。
それにしても、大仕事だ。
いつもなら早朝会議を終え、捜査室でのんびり新聞を読んでいる時間なのに。
手伝おうとバッグを置き、泪さんが段ボールから出している中身を手にしてみる。
それは包装紙に包まれた、大きめのギフトサイズの菓子箱。
箱に貼られたシールで、1箱には個包装のクッキーが50枚入っている事が分かる。
有名なお菓子なので、私はそのクッキーが、1枚100円以上する事も知っている。
50枚詰め合わせのクッキーの箱が、一つの段ボールに2ダースずつ。
その段ボールが、壁一面を隠すほど積まれているのだ。
呆気にとられていると、泪さんが笑った。
穂積
「先に行ってていいわよ。アンタに手伝わせるつもりは無いから」
翼
「えっ?何故ですか?お手伝いします。10箱ずつ、この手提げ袋に入れてるんですよね?」
穂積
「そうだけど」
泪さんは再び手を休め、私に向かって身を屈めた。そのまま、耳元に唇を寄せる。
穂積
「……俺が、恋人のお前に、他の女に渡すプレゼントの手伝いをさせるわけがないだろ?」
不意に低い声と男性の口調に戻って囁かれたので、身体がぞくりと反応してしまった。
泪さんは私の髪をくしゃくしゃと撫でると、笑いながら、あっという間に離れた。
そうして、元の作業とオカマキャラに戻る。
穂積
「大丈夫よ。仕分けが済み次第、全部の部署に配って、それでおしまいだから」
私は、職場で「恋人」と言われた事で熱くなってしまった頬を押さえてから、所在なく、泪さんがさっき投げたジャケットを拾った。
毎年こうしているのか、泪さんは慣れた様子で作業している。
……かえって邪魔になるかも。
翼
「……じゃあ、お言葉に甘えて、先に行ってますね。お茶の支度をしておきますから、頑張って下さい」
穂積
「ありがとう。お願いね」
私は泪さんにお辞儀をして、職員出入り口へと向かった。
この日、泪さんは終日、通常の業務と例のお返しの分配とで、捜査室を出たり入ったりしていた。
如月
「いやー、それにしても、大変ですねえ」
終業後、何回目かもう分からない泪さんの外出を見送って、如月さんが溜め息をついた。
如月
「毎年の事ですけど、ホント、人気者には俺たちの分からない苦労があるんですね。ねっ、藤守さん」
藤守
「せやな。警視庁の、全部の部署にバレンタインのお返しをせなならんて、どんだけモテモテやねん。……て、オイ!」
如月
「何ですか?」
藤守
「『何ですか』ちゃうわ!『俺たち』って何や!さりげなく俺を『モテへん組』に分類すんなや!」
その時、扉が開いて、爽やかな柑橘系の香りがふわりと鼻をくすぐった。
小野瀬
「こんばんは。穂積はまだ配ってるの?頼まれてた資料持ってきたんだけど」
入って来た小野瀬さんは、このところずっと、いつにも増してお疲れのご様子。
如月
「藤守さん、ほら。『モテる組』の筆頭が来ましたよ」
小野瀬
「何の話?」
振り向く小野瀬さんに、如月さんを慌てて小突きながら、藤守さんが返事をした。
藤守
「いえ何でも!櫻井、小野瀬さんにコーヒー淹れたってくれや」
翼
「はい」
小野瀬
「ありがと」
藤守さんに資料を手渡してから、小野瀬さんは、ソファーに深々と身体を沈めた。
小野瀬
「……きみたち、まだ帰らないの?」
藤守
「室長がまだ帰る気配が無いんで、俺と如月は居残りで報告書仕上げてます。櫻井は俺らに付き合ってくれてるんですよ」
如月さんも頷くのを見て、小野瀬さんは苦笑いした。
小野瀬
「そっか。穂積はたぶん今夜じゅうにお返しを配り終えるつもりだからね、遅くなるよ。溜まった報告書を提出するチャンスではあるね」
はい、と応えて、二人は書類作成に戻る。けれどまたすぐ、如月さんが顔を上げた。
如月
「小野瀬さん、チョコの数では室長よりも多かったじゃないですか。そのわりに落ち着いてますね?明日がホワイトデーなのに」
小野瀬
「俺は穂積と違って、個別に手渡す派だからね。バレンタイン直後からコツコツ返して、今月いっぱいかけて終わらせる予定だよ」
如月
「返すのに1ヶ月半ですか?スゴいなあ」
本当に凄い。でも、だからお疲れなんだ。
通常の業務だけでも、泪さんと小野瀬さんは人の何倍も働く。
それに加えてのこのイベントは、彼らにとっては拷問のようなものだろう。
バレンタインの時、泪さんはベッドで、「好きでもなんでもない相手から、欲しくもないプレゼントを押し付けられて。来月にはそれを3倍にして返さなければならないなんて、理不尽だ」と溜め息をついていた。
今朝からの忙しそうな様子を見ていると、あの時、泪さんが嘆いていた意味がよく分かる。
費用だって馬鹿にならないだろうし、仕事優先で無駄を嫌う泪さんの性格からしたら、さぞかし無意味な行事だと思っているのに違いない。
翼
「小野瀬さん、コーヒー入りました」
ソファーまでコーヒーカップを運んで差し出すと、小野瀬さんはにっこり笑ってくれた。
小野瀬
「ありがとう。……きみには、明日、特別なのを用意してあるからね」
言いながら、小野瀬さんは優しく、私の手を上下から自分の両手で挟んだ。
するとその小野瀬さんの手の上に、さらに、男性の手が重ねられた。
穂積
「どうして小野瀬が、うちの娘に特別なプレゼントを用意してあるのかしらぁ」
翼
「室長!」
振り返るとそこには、悪魔の笑顔を浮かべた泪さんが立っていた。
小野瀬
「……げ、お父さんが来ちゃった」
同時に私の手は引き抜かれ、残った小野瀬さんの手は、泪さんにぎっちりと握り締められた。
穂積
「俺の留守に何をしている!」
小野瀬
「痛い痛いやめて!どうせ締めつけられるなら、櫻井さんの方がいい!」
穂積
「下も握り潰されたいのかてめえは、ああ?!」
藤守さんが、私の耳を塞いだ。
藤守
「し、室長!報告書出来ました!」
ちっ、と舌打ちをして、泪さんが小野瀬さんを解放する。
穂積
「藤守に感謝しろよ」
小野瀬
「ありがとー、藤守くん」
絶対反省していない。
室長席に戻る泪さんと、それを追って報告書を提出する藤守さん、如月さん。
穂積
「……はい、藤守合格。如月はここと、ここと、ここに誤字」
如月
「あっ?本当だ」
如月さんは駆け足で自分の席に戻り、すぐに打ち直して再び室長に見せた。
穂積
「……はい、よろしい。二人とも、お疲れ様」
如月
「やったー」
藤守
「ほな、お先に失礼します!」
如月
「翼ちゃんも付き合ってくれてありがとね!お疲れ様でした!」
賑やかな二人が帰ってしまうと、捜査室には私と泪さん、小野瀬さんの三人が残った。