桜田門の悪魔
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~小野瀬vision~
それはとある秋の昼下がり。
二日間不眠不休で働いていた俺は、解析が終わった途端に昼食もとらずソファーに倒れ、午後三時に目覚めるというデタラメな仮眠をとってしまった。
おかげで意識が朦朧としている。
廊下にまで漂う芳しいコーヒーの香りに誘われて、俺は、ふらふらと緊急特命捜査室の前まで来てしまった。
いつものように扉に手を掛けようとして、ふと気付く。
今日、穂積は出張だった。
ICPO(インターポール)の会議を傍聴するように命じられるなんて、あいつ、次は警察庁の国際部にでも抜擢されるんじゃないだろうな。
確かに、ジョン・スミスを捕まえた件では、上から高く評価されたらしいけど。
あれは、穂積にとっては私情以外の何物でもないはずだ。
櫻井さんに手を出すまでは、穂積はむしろ、JSの捜査に乗り気じゃなかったんだから。
……それはともかく。
穂積の留守に、俺が捜査室で油を売るわけにはいかないよね……
そう考えて扉に背を向けた時、背後で、がちゃりと音がした。
翼
「やっぱり、小野瀬さん。こんにちは、仮眠明けですか?」
扉が開いてひときわ舞い立つコーヒーの香りと、彼女の可愛らしい声。
俺の理性は、数秒で溶けた。
小野瀬
「こんにちは、櫻井さん。俺にも、美味しいコーヒーもらえるかな?」
翼
「もちろんです。そのつもりで淹れましたから、どうぞ」
無邪気な笑顔を向けられて、俺は少し安堵する。
JSに操られている間、穂積との別れを覚悟していた間、彼女はいつも涙を浮かべ、物思いに沈んだ、張り詰めた表情をしていた。
けれど今、こうして微笑んでいる櫻井さんは、とてもリラックスしている。
穂積に愛されてるんだね。
きみも、穂積を信じてる。
きっと、もう大丈夫だね。
翼
「?」
俺が見つめていたので、櫻井さんは笑顔のまま、首を傾げた。
翼
「何か、嬉しい事があったみたいですね?」
小野瀬
「ふふ、内緒」
彼女について捜査室に入ると、全員が挨拶をしてくれた。
全員
「こんにちは!」
小野瀬
「こんにちは。午後のコーヒーを飲ませてね」
俺も挨拶を返し、彼女がコーヒーを淹れてくれるのを待つ。
すると、男性陣から、何やらひそひそ言うのが聞こえて来た。
如月
「……ねえねえ藤守さん。小野瀬さんなら知ってるんじゃないですか?」
藤守
「こら、如月。……余計な事言うなや」
如月
「だってえ。気になるじゃないですか」
俺の名前が出たので、俺は、そちらに顔を向けてみた。
小野瀬
「如月くん、何?」
如月
「あのですね。室長はいつ頃から、『桜田門の悪魔』なんて呼ばれるようになったんですか?」
如月くんは相変わらずの爽やかさで、さらりと恐ろしい事を訊いてくる。
その場が凍りつく中、当の如月くんだけがニコニコしていた。
藤守
「アホ、如月!うかつにその名を呼んだらアカン。悪魔を召喚してまうぞ!」
小笠原
「悪口なら1Km先からでも聴こえる地獄耳なんだから」
明智
「俺は、3Km先でも聴き取ると思うぞ。小野瀬さんを災難に巻き込むな」
明智くんまで。
明智
「昔、合宿の柔道で『鬼』と呼ばれていた教官を絞め落とした時にそう呼ばれた、と聞いた事がある」
小笠原
「非行防止教室で、イジメの現場に遭遇した時に、加害生徒を半殺しにした時じゃないの?」
如月
「交通安全教室でしょ?ふざけて模擬車道に飛び出した子供を、段ボールの車ではねて泣かせたって」
藤守
「微妙に大袈裟になってるのと違うか?俺は、警視総監が趣味で育てた菜園の野菜に、塩をかけて喰うたからや聞いたで」
小野瀬
「……今までの会話は、聞かなかった事にしてあげるよ」
くすくす笑いながら、櫻井さんが、俺の前にカップを置いてくれた。
翼
「どうぞ、小野瀬さん」
小野瀬
「ありがとう」
微笑んでから、俺はふと気になって、聞いてみた。
小野瀬
「櫻井さんも、気になる?」
すると、彼女は、ポッと頬を染めた。
翼
「……はい。少し」
ああ、俺としたことが。野暮な事を聞いてしまった。
彼女は、穂積の事なら何でも知りたいに決まってるのに。
気付けば、全員の視線が、俺に集まっている。
……これは、逃げられない。
小野瀬
「先に言っておくけど、諸説あるんだよ。……いくら腐れ縁でも、俺だって、全部知っているわけじゃないからね」
明智
「小野瀬さん、秋の新作マロングラッセをお出ししましょう」
如月
「ハイハーイ、こちらのお席にどうぞ!」
藤守
「肩をお揉みしますわ」
小笠原
「鑑識には連絡しておくから」
小野瀬
「あのねえ……」
思わず反論しようとした時、彼女の視線とぶつかった。
翼
「……駄目ですか……?」
小野瀬
「……」
俺は、浮かせかけていた腰を、再び沈める事になった。
……俺が覚えている限り、入庁して一年目の穂積はまだ、『悪魔』とは呼ばれていなかった。
もっとも、幹部候補生である穂積にとって、最初の年は警察大学に行ったり各種の研修を受ける為の年だったから、ほとんど、警視庁には居なかったけど。
二年目、俺は初めて、『桜田門の悪魔』の異名を聞いた。
明智
「室長が警備部に配属された頃ですか?」
小野瀬
「いや、それより前だね。俺も、まだ、会話した事がないような時分だよ」
最初に聞いた時、俺は、まさか、それが穂積の事だとは思わなかった。
今なら卓越したネーミングセンスだと思うけどね。
その頃、穂積は、櫻井さんくらいの年齢だよ。
当たり前だけど今より若くて、まだ身体の線も細くて、本当に、絵に描いたような美少年だった。
そのうえ、あの金髪碧眼だ。
だから、悪魔じゃなくて天使だと言われたら、すぐに穂積だと分かったんだけれど。
翼
「うわあ、見たかったです」
小野瀬
「入庁式の写真なら、今度見せてあげるよ」
ただし、見た目はともかく、警察庁の国家公務員として採用されたキャリアである穂積は、この時点でもう警部だ。
入庁の早いノンキャリアの先輩たちより、若いのに階級は上、っていう状態だね。
もっとも、後から周りに話を聞いた限りでは、穂積は、上司とも先輩たちとも、上手くやっていた。
きちんと挨拶し、先輩を立てて、謙虚に勉強し、誰よりも働いた。
穂積は可愛がられていたんだ。
小笠原
「あの人、ああ見えて根は真面目だからね」
藤守
「お前、それ本人の前で言うなや」
ここまでの話なら、穂積には、悪魔呼ばわりされる要素は無い。だろう?
最初に穂積を『悪魔』と呼び始めたのは、どうやら、女性職員たちらしいよ。
つまり、穂積と付き合いたくて告白して、あえなく断られた女性が、恨みを込めて、『悪魔』と呼んだわけ。
穂積は、今でもそうだけど、女性に期待を持たせない断り方をするからね。
そりゃもう、一刀両断。
明智
「一刀両断というと……」
小野瀬
「『女は面倒だから断る』、『誰とも付き合うつもりは無い』、『悪いが他をあたってくれ』」
藤守
「うわ、きっつー」
如月
「しかもあの顔で言う?」
小笠原
「でも、それなら逆恨みじゃん」
翼
「……」
別の説もあってね。
最初に言い出したのは、実は、穂積の同期の連中だという説。
穂積と一緒に入庁して、同じ幹部養成のカリキュラムを一緒に受けてきた、同期の仲間だよ。
少なくとも、穂積は仲間だと思っていた。
ところが、キャリアってのは、同期であっても、限られたポストを競いあう存在なんだね。
で、きみたちも知っての通り、穂積というのは、家事こそ壊滅的に出来ないが、仕事は抜群に出来る男だ。
つまり、見映えが良くて、上司や先輩にも可愛がられて、女性にモテて、優秀な警察官だったわけ。
まさに、出世レースの先頭を走る男だ。
穂積が才能の片鱗を見せるたび、仕事で手柄を立てるたび、彼らは戦々恐々とし、危機感を持って、穂積の才能を恐れた。
明智
「それで、『悪魔』か」
翼
「室長悪くないですよ」
小野瀬
「確かにね」
しかも、成長とともに、穂積はさらに進化する。
優美な見た目に反する辛辣な性格。
殺人犯の動機も詐欺犯の手口も見抜いてしまう頭脳と、その場に居たとしか思えない観察眼。
目的の為には手段を選ばない強靭な神経。
そこに、自白を引き出す鋭い舌鋒と、並外れた身体能力が加われば、もはや手に負えない『悪魔』の誕生だ。
こうして、『桜田門の悪魔』こと穂積泪は、日々新しい伝説を書き加えながら、敵にすると恐ろしい男として、警視庁内外にその名を轟かせているわけさ。
小野瀬
「……あれ?」
俺が顔を上げると、いつの間にか全員が机に戻って、仕事を始めていた。
どうしたの、と言い掛けて、俺は突然、全身に冷気を感じた。
振り返った俺は、すでに室内にいて入り口の壁にもたれ、腕組みをしてこちらに微笑んでいる穂積の姿を見た。
俺と目が合った穂積がにっこりと笑って、ゆっくりと身体を起こす。
穂積
「次はワタシが、『桜田門の光源氏』の話をしてあげるわ」
小野瀬
「うわ」
……殺される。
その時、俺と穂積の間に、櫻井さんの背中が滑り込んだ。
翼
「お帰りなさい、室長!」
彼女の声に、後ろの男性陣も唱和する。
全員
「お帰りなさい!」
穂積
「はい、ただいま」
穂積は挨拶を返してから、明智くんを見た。
穂積
「明智、留守中何かあった?」
明智
「捜査状況の報告がいくつか。書類にしておきました」
穂積
「さすがね。……じゃあ、今日は全員、定時で上がって、小野瀬にご馳走になりましょうか?」
全員
「やったあ!」
小野瀬
「はあ?!」
俺が不満の声を漏らすと、穂積は悪魔の笑顔に戻って、俺の胸倉を掴んだ。
穂積
「お前、俺の留守に捜査室に入り込んで、櫻井にコーヒー淹れさせて、うちの連中にろくでもない噂話を吹き込んでおいて、まさか、タダで帰れるとは思ってねえだろうな?」
小野瀬
「……う……」
俺が返事に詰まると、穂積は勝ち誇ったような笑顔を浮かべてから、手を離した。
穂積
「みんなー、小野瀬がおごってくれるそうよー」
全員
「ありがとうございまーす!」
くっそう。
手を差し出した彼女にバッグを手渡し、穂積はネクタイを緩める。
旦那さん、まだ自宅じゃないよ。
翼
「お疲れ様でした」
穂積
「ありがとう」
そう言って一瞬だけ彼女に見せた穂積の笑顔は、他の誰にも向けられることのない、特別なもの。
悪魔の王の真の姿は、光り輝く十二枚もの翼を持った最高位の天使だという事を知っている者が、いったい、どれだけいるだろうか。
そして、その姿を見る事が出来るのは、たった一人、彼女だけ。
……ま、おごってやるぐらい、いいか。
俺は独り苦笑してから、仲良く並んで言葉を交わしている二人を見つめた。
ようやく訪れた、安息の日々。
……二人の幸せが、長く続きますように。
呟いた俺の声が聞こえたのか、振り返った穂積が、世にも美しい笑顔を浮かべた。
ホント、地獄耳。
桜田門の悪魔は、今日も健在。
~END~