女心は秋の空
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≪スリです。
真後ろに立っている3人の動きを録画しておいてください。3分後、駅が近付いて電車が揺れた瞬間、両脇の女性たちが動きます。受け取る仲間も来ます。落とし物は無視して。≫
スリ。
スマホの文面を見つめる私に構わず、小春ちゃんは私の隣で、さっきまでの、たわいない世間話の続きを話し始めている。
私は、周りから怪しまれないよう、小春ちゃんのお喋りに適当に相槌を打ちながら、スマホをインカメラにして、録画を始めた。
私の真後ろには、3人の乗客が立っている。
写っているのは、全員、吊革を持った後ろ姿で、画面の左から、OL風の黒髪ロングの女性、リュックサックを提げた中肉中背の男性、下校中らしい、茶髪の高校生。
特におかしな所は無かった。
その時が来るまでは。
カタン。
僅かな揺れだった。
それでも、車内の乗客全員が、一瞬、揺らいだ。
身構えていた私と小春ちゃんは、一見、周りと一緒に揺れに身を任せながらも、3人から目を離さなかった。
私はスマホで、小春ちゃんは、肉眼で。
黒髪ロングの女性が、揺れた弾みで、男性に肘をぶつけた。
自然に、でも、確かに、不自然に。
男性が、女性に気を取られた。
「すみません」と、女性が小さく頭を下げて謝る。
男性は、わずかに女性を見て「いえ」と言っただけで、元の体勢に戻った。
それだけだった。
でも、私のカメラと小春ちゃんの目は、捉えていた。
女性の肘が当たった瞬間、反対側にいた女子高生の指先が、男性のチノパンの後ろポケットから、長財布を抜き取ったのを。
直後、私の背後を、キャップを目深に被った男が横切ったのを。
女子高生の手から財布が消えたのと、真ん中の男性が財布の紛失に気付いたのと、電車が駅に到着して、黒髪のOLの前でドアが開いたのとは、同時だった。
小日向
「スリです!その、黒髪のOLをホームへ出さないで!茶髪の女子高生も!」
叫んだ時、小春ちゃんはもう、通路の真ん中で、キャップの男にしがみついていた。
身体は小さいけれど、小春ちゃんの声は、よく通る。
電車から降りようとしていた乗客たちと、電車に乗り込もうとしていた乗客たちが、ほんの一時、その声に躊躇って、動きが止まった。
そのせいで、黒髪のOLは、群衆に挟まれて、立ち往生した。
そして、小春ちゃんの声を聞いた乗降客に、囲まれる。
異変に気付いたらしい駅員が、左右からホームを走って来る。
茶髪の女子高生の方は、リュックサックの男性が手を広げて睨みをきかせて、逃げるのを阻止していた。
騒然とする車内の中で、女子高生が大声で喚き出す。
「何もしてません!私、揺れた弾みでこの男の人が財布を落としたから、拾ってあげようとしてただけです!」
「嘘をつくな!抜けて落ちるわけがない!」
「本当です、私持ってないし、あっ、ほら、あそこに!」
女子高生が指差す先の床には、言葉通り、男性の長財布が落ちている。
それは、小春ちゃんの捕まえているキャップの男が、スリ盗った女子高生から、流れるように受け取ったはずの物だ。
現在の状況だけ見れば、誰の目にも、女子高生の言う事が正しいと思えるだろう。
逃げ損なった男は、ただの無関係な通行客に見えるだろう。
でも、私のカメラは違う。
私は、小春ちゃんに頼まれた時から、ひたすら、カメラでの録画に集中していた。
小春ちゃんが共犯者の男に飛びついた時も手伝わなかったし、男が財布を手放した時も、拾いに行かなかった。
だから、私のカメラは、電車が揺れる前から、一連のスリ行為と、それが露見したと気付いたキャップの男が、犯罪の証拠となる財布を床に落とした場面まで、漏らさず録画しているはずだ。
小春ちゃんが、私を振り返った。
私は頷いて、撮影を止めた。
電車は、まだ、駅にいる。
黒髪のOLは、ホームから来た駅員に確保された。
車内では、制服を着た車掌が乗客の間を縫って現れ、まだ言い争っていたリュックサックの男性と女子高生の双方をなだめながら、ホームへと促して電車を降ろした。
キャップの男と財布は、小春ちゃんと私で確保している。
電車を降りる時、小春ちゃんは振り返り、
小日向
「皆さん、ご協力、ありがとうございました」
と声高くお礼を言った。
乗客たちから、拍手と歓声が沸き起こる。
電車に乗ってからそこまで、僅かに数分間の出来事だった。