サクラサク
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俺には、好きな女の子がいる。
きっかけは半年くらい前。
俺がアルバイトしているコンビニに、時々、彼女が立ち寄ってくれるようになってから。
俺は、その頃も今も大学生。
彼女はどうやら社会人で、だとしたら俺よりひとつふたつ年上かなって感じ。
なんでそう思ったかっていうと、大学生にしては服装が地味できちんとしてたし、ネイルケアやメイクも控えめだったから。
特別美人じゃないけど、年上のはずだけど、ちょっとした仕草や表情が可愛くて、気になり始めたんだ。
あ、でも、誤解しないで。
告白したいとか、恋人どうしになりたいとか、思った事は無い。
だって、俺、気付いてたから。
彼女には、きっと、好きな男がいるんだろうな、って。
まあもちろん、その時にはもう、俺は彼女を好きになっちゃってたわけだけどさ。
俺?
俺は、ごく普通の男だよ。
学費を出してくれる親の脛をかじりながら、生活費と遊ぶ金くらい自分で稼げと言われてバイトして、仕送りと、売れ残ったコンビニ弁当とで食い繋いでいるような、普通の男子大学生。
顔は母親似で、幸い不細工じゃないとは思うけど、これと言った特徴もない。
制服は似合う方。
だから、彼女から見たら、絵に描いたような、どこにでもいるコンビニ店員だろうな。
おっとお客様だ。いらっしゃいませー。
あ、そうだ。
気になると言えば、もう一人、気になる人がいる。
今来店した、あの男の人。
昼間来る時には大体、入ってすぐの売り場にある栄養ドリンクの中で一番効くやつを迷わず買って、受け取ったお釣りをスーツのポケットに無造作に入れながら、外に出た途端にドリンクを開けてイッキ飲みして、空きビンを回収BOXに始末して、去って行く。
時間にしたら30秒かかってないんじゃないの、って言いたくなるくらいの早業だ。
買い物の男らしさだけでも充分印象的なんだけど、その行動と、本人の見た目とのギャップがハンパない。
身長180cm以上あって、スラッとしたモデル体型でスーツ着てて、しかも、嘘だろってぐらいのキレイめハーフ系超イケメン。
だから、あの人が店内に入って来て、つむじ風のように出て行くまでの間、他のお客様の視線は全部、彼に釘付け。
いやいやいや。
本当なんだって。
こんな男いるのかよ、って笑っちゃうレベルのカッコ良さなんだって。
俺らのバイト仲間は、彼の事をひそかに『イチローさん』って呼んでる。理由は、分かるよな?
実は、俺、深夜のシフトの時とかに、イチローさんとは何度か話した事があるんだ。
昼間の来店の時にはそんな余裕無いけど、どうやら近くに住んでるらしくて、夜来る時には、普通に店内でビールやつまみを買ったりしてたからさ。
「こんな遅くまで、お仕事お疲れ様です」
初めて声をかけた時、注文された煙草1カートンを手渡すタイミングでそう言ってみたら、イチローさんは、意外と人懐こい顔で笑ってくれた。
「ありがとう」
声までイケメンだよ!
そしたらイチローさんは、いつも買う栄養ドリンクを1本、俺におごってくれたんだ。
いやこれ結構お高いんですけど!
「お互い頑張ろうぜ、青年」
去り際、差し出された拳にゴツン、と誘われるように自分の拳を当てた俺は軽く感動して、うっかりイチローさんに惚れちゃうところだった。
それ以来、俺は自分のシフトの時にイチローさんが来てくれると、進んでレジに入るようになったんだ。
そうそう、彼女の話だったよな。
最初に変化を感じたのは、その年の暮れ。
それまでも可愛かったけど、その頃から、彼女はいっそう可愛くなった。
表情は幸せそうに輝いて、仕草も少し大人びて。
詩的に言えば、春を迎えた桜の蕾が、硬い殻を落として色付き始めたように。
それで俺、彼女の恋が成就したんだと気付いた。
膨らみ始めた蕾は日を重ねるごとに柔らかく綻んで、彼女はどんどん幸せそうに、そして綺麗になっていった。
俺は片想いのまま失恋したわけだけど、それでも、誰かを想ってひとり微笑む彼女を見られるだけで嬉しかった。
ところが。
年が明けてしばらくすると、彼女に、また別の変化が現れたんだ。
一見、何も変わらないように振る舞っていたけれど、彼女を見つめ続けてきた俺には分かる。
彼女は何かに悩んでいた。
あんなに輝いていた表情が色を失って、考え込むように俯いて伏せ目がちに歩く姿は、それまでの彼女には無かったものだ。
さらに日にちが経つと、このコンビニに来る回数が減り、ついには立ち寄る事さえ、姿を見かける事さえ、無くなってしまった。
俺は、彼女が買ってくれるはずだった女性向けファッション雑誌を1冊、買い取った。
不思議な事に、逆に、イチローさんの来店回数は倍増した。
煙草も2カートン買うようになったし、夜もドリンク剤を飲み干すようになった。
きっと管理職で、この時期は決算かなんかで大変なんだろうな、とか、忙しくてストレス溜まるんだろうな、とか。
想像しようにも、俺にはまだ分からない世界の話だから、うかつに励ます事も出来ずにいた、ある日。
イチローさんはいつものようにドリンク剤を手に取ろうとして、傍らに新設された、ホワイトデー用の商品が並ぶ棚に目を留めた。
『ホワイトデーのご準備は、もうお済みですか?』
絶妙のタイミングで流れた店内放送に肩を押されたように、背筋を伸ばしたイチローさんは、可愛らしい包みをひとつ、長い指先でそっと撫でる。
けれど、手には取らない。
ずっと彼と話す機会を探していた俺は、思い切って近付くと、明るく声をかけた。
「ホワイトデーの準備は、もうお済みですか?」
絶対モテる人だから、バレンタインデーには、たくさんチョコをもらってるはずだし。
この頃眉間に皺を寄せてばかりのイチローさんに、少しでも笑って欲しかったんだ。
ハッとしたように振り向いたイチローさんは、立っていたのが俺だと分かると、苦笑いを浮かべた。
「義理の分は、業者に頼んだ」
ぶっきらぼうな返事を聞いて、俺は一瞬、俺の軽口に、イチローさんが冗談を返したんだと思った。
これが冗談じゃなかった事は後に明らかになるんだけど、それはまた別の話だ。
「本命とは……ちょっと、うまくいってなくてな」
びっくりした。
この人でも、そんな事があるなんて。
「こんなプレゼント、俺の柄じゃないんだが……あいつに似合いそう、ではある。喜んでくれると思うか?」
こんな、不安そうな顔をするなんて。
疲れの見える横顔に向かって、俺は、力強く頷いてみせた。
「喜んでくれますよ、絶対。イチローさんからこれを贈られて、喜ばない女なんていませんよ」
「じゃあ、買ってみるか」
イチローさんは、俺が勧めた、白い箱入りの三種クッキー詰め合わせを買ってくれた。
「ありがとうな。うまくいったら報告に来る」
「イチローさんなら、絶対、大丈夫ですって」
「ありがとう」
そう言って、初めての時のように差し出されたイチローさんの拳に、俺もまたあの時と同じように、ゴツン、と拳を当てた。
「ところで、イチローさんって俺か?」
それから、数週間後。
穂積
「礼を言いに来たぜ、青年」
イチローさん、いや、穂積さんが次に来店した時、彼は、約束通り、一人の女性を伴っていた。
そう。
あの、彼女だった。
見違えるように元気を取り戻し、都心でも満開となった桜のようにほんのりと頬を染めて、彼女は穂積さんの傍らで微笑んでいた。
話を聞くと、職場の上司と部下であり、去年の冬に交際を始めた二人の間に、今年に入ってから、ある人物が割り込んで、色々とちょっかいを出してきていたらしい。
彼女の方は、穂積さんに良い縁談が持ち上がったという嘘を信じ込まされ、彼の為に身を引こうとして悩んでいた。
穂積さんの方は、彼女が自分から離れていこうとする事に戸惑い、苛立っていた。
けれど、様々な困難を経て、障害を乗り越えて、二人は改めて、お互いの愛情を確かめ合えたのだと言う。
そうならいいな、と思っていた二人の姿を目の当たりにして、俺は、本当に嬉しかった。
穂積
「お前には世話になったな」
穂積さんも嬉しそうだ。
「おめでとうございます!……あっ、ちょっと、待っててくださいね!」
首を傾げる二人を後に、俺はバックヤードに飛び込むと、いつかのファッション雑誌をロッカーから出して戻り、彼女に差し出した。
「はい、どうぞ!」
「あっ!これ!」
彼女が受け取った雑誌を、穂積さんが覗き込む。
穂積
「何だ?」
彼女は目を輝かせて、雑誌を示した。
「ずっと気が塞いでいたので、この号、買いそびれてしまったんです。もうどこにも売ってないと思ったのに、嬉しい!」
「喜んでもらえて、俺も嬉しいです」
穂積
「俺がクッキーを渡した時よりも嬉しそうだなあ、翼」
翼
「あっ、ごめんなさい」
翼さんは可愛らしく肩をすくめて謝り、俺と穂積さんは笑いあった。
穂積
「礼を言う、青年。本当に、ありがとう」
翼
「ありがとうございました」
頭を下げた穂積さんと並んで、翼さんも頭を下げてくれる。
だけど、礼を言いたいのは俺の方だった。
彼女の笑顔を取り戻してくれて、ありがとう。
またこの店に来てくれて、ありがとう。
手を振って帰って行く穂積さんと翼さんを見送りながら、俺は、平凡なはずの自分に、初めてちょっとだけ自信が生まれたのを感じていた。
漠然としていた就職への不安も、進路が見えた気がした。
我ながら馬鹿にしていたコンビニ店員だけど、大学を卒業して、正社員の打診を受けたら、このまま、本気で経営者の道を考えてみてもいい。
1年後、願いは叶い、俺はこの店の後継者として正式採用される。
そして、迎えたバレンタインデーやホワイトデーで、穂積さんの言葉が嘘でも大袈裟でもなかった事を、頬を膨らませた翼さんから教えられて知ることになるのだが……
それはまだ、先の話。
今日も穂積さんはドリンク剤を一気飲みして仕事に向かう。
変わったのはその傍らに、あれこれと世話を焼きながら追い掛ける、翼さんの元気な笑顔がある事だけだ。
~END~