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東京、警視庁。
私はここで昨年度一般採用され、交通課を経て、今は、刑事部に特設されている、『緊急特命捜査室』の捜査員として働いている。
緊急特命捜査室は、泪さんを筆頭に、ほぼ警察庁、科学警察研究所から出向してきたメンバーで構成されていて、その名の通り、緊急性のある特命を請け負う部署だ。
捜査権限も広く与えられていて、殺人事件はもちろんの事、来日した要人の警護から、春先によく出る全裸の変態さんの取り締まりまで、何でもやる。
泪さんが「後々の為に、他所には恩を売っておけ」という方針の室長なので、要請があれば、交通課の安全教室や、生活安全部の非行防止教室まで引き受ける。
だから、「緊急特命捜査室」は「雑用室」だ、なんて揶揄される事もある。
でも、私は、捜査室の仕事も、捜査室のメンバーも、みんな大好き。
試験的に導入され、期間限定で設置されている部署ではあるけれど、出来るだけ長く、泪さんやみんなと一緒に仕事をしていたいな、と思っている。
……さて。
そんなわけで、今日の私は、小野瀬ラボラトリーからの応援要請を受け、捜査室を出て、お手伝いに向かっているところ。
小野瀬ラボは、同じく刑事部の一角に設けられた、鑑識課の作業室。
複数の技術官が集まって、刑事事件の遺留品の鑑定や、証拠品の分析などを行っている、専門的な部署だ。
今回は、ラボの責任者である小野瀬さんから直々に、私の手を貸して欲しい、と申し入れがあったのだそうだ。
泪さんの出張中、室長代理を務める明智さんは、庁内No.1のプレイボーイと名高い小野瀬さんの下へ私を向かわせる事に、ちょっと苦い顔をしていたけど。
でも、逆に、捜査室が多忙な時には小野瀬さんを引っ張り出す事もあるんだから、小野瀬さんが困っている時に協力するのは当然だよね。
翼
「おはようございます!」
鑑識課に着いた私は、ラボのドアを開け、元気よく挨拶をした。
翼
「櫻井です。皆さん、今日はよろしくお願いします!」
「おはようございます」
「おはようございます、櫻井さん!」
室内のあちこちから、親しみの込もった挨拶が返ってきた。
ラボの中では、細野さんや太田さんをはじめとする、顔馴染みの鑑識技官さんたちが、いつも以上に忙しそうに働いている。
部屋の奥にいた小野瀬さんが笑顔を浮かべながら近付いて来て、私を迎え入れてくれた。
小野瀬
「ああ櫻井さん、待ってたよ。来てくれてありがとう」
翼
「よろしくお願いします」
小野瀬
「こちらこそ、よろしくね。早速だけど、みんなにコーヒーを淹れてやってくれると嬉しいな。きみのコーヒーは美味しいから」
小野瀬さんがウィンクした。
翼
「はい。お役に立てるなら、喜んで」
小野瀬さんは、いつもこんな風に誰にでも優しくてスマートで、それに顔立ちも甘くて整っているから、署内の女性たちの憧れの的。
人気があり過ぎて女性との噂が絶えないのが珠に瑕だけど、仕事はいつも完璧だし、みんなから信頼されていて、私も尊敬している。
……でも、そんな「警視庁の光源氏」の容姿にも、今日はちょっとだけ、お疲れの様子が見えるかな?
ラボの給湯室でコーヒーを淹れ、朝の挨拶をしながら一人一人に配り終えると、私は小野瀬さんに入口に近い席を勧められて、椅子に座った。
小野瀬
「これ、他所から譲り受けた参考資料で、すぐにでも活用したい文書なんだけどね」
私の前にあるデスクには、すでに書類の束とパソコンが準備されていて、それを指先で示しながら、小野瀬さんが仕事の説明をしてくれる。
小野瀬
「紙の資料のままだと、使い勝手が良くないんだ。だから、ラボの中で共有出来るようにデータ化して、このフォルダに入れてもらえるかな」
小野瀬さんの長い指が、私のパソコンをトントンと叩いた。
翼
「なるほど。分かりました」
それなら、最初に配属された交通課で教わったし、捜査室でもよく任される。
ある程度パソコンやスキャナーが扱えれば出来る、それほど複雑な作業ではないので、ほっとした。
ラボにコーヒーの香りが漂う中、私は早速、頼まれた仕事に取り掛かった。
しばらくの間、小野瀬さんと机を並べて作業に集中していると、仕事に区切りがついたのか、小野瀬さんが、ひとつ伸びをしてから、こちらを向いた。
小野瀬
「……ええと、今日は何曜日だったかな。穂積は、まだ、被災地の視察から戻らないんだよね?」
私の淹れたコーヒーを啜りながら、小野瀬さんが話しかけてきた。
忙し過ぎて、日にちの感覚まで怪しくなっているらしい。
翼
「はい。今朝早く出発したばかりです」
小野瀬
「厄介なやつだよね、穂積は。居る時には、あれしろこれしろって煩いし、居なければいないで、他所様に迷惑をかけてないか、心配になる」
穂積、と小野瀬さんが呼んだのは、泪さんの事。
小野瀬さんは、泪さんと同期入庁で、誰が見ても息の合った親友どうしなんだけど、どうも、本人たちはそれを素直に認めたくないみたい。
世話の焼けるあいつがいないと寂しい、って言えばいいのに。
私は、ふふ、と笑ってしまった。
翼
「帰京の予定は明後日の夜中ですから、出勤は3日後ですよ」
小野瀬
「明後日か……。きみ、寂しいでしょ?」
翼
「はい。……あっ!」
つい、正直に返事をしてしまった。
翼
「いえ、あの!でも……出張はお仕事ですし……これは、だって、純粋に、部下として、でですね……!」
慌てる私を見て、小野瀬さんがクスクス笑っている。
うう。
見事に引っ掛かってしまった。
警視庁の中では、泪さんの親友(本人たちは「腐れ縁」と言うけれど)である小野瀬さんだけが、私と泪さんの仲を知っている。
でも、結婚の約束どころか、交際している事でさえ、まだ、捜査室のメンバーにも、もちろん小野瀬ラボの鑑識技官さんたちにも、発表していない秘密なのに!
私は、小野瀬さんを横目で睨んだ。
翼
「うう、自覚すると余計に寂しくなっちゃうから、気合い入れて出勤してきたのに……」
溜め息をつきながら、小野瀬さんだけに聞こえる声で低く文句を呟くと、小野瀬さんは抑えた声で笑いながら、私に向かって拝むように手を合わせた。
小野瀬
「はは、ごめんごめん。きみは相変わらず、素直で可愛いねえ」
翼
「もう!」
その時。
ノックの音がして、ラボのドアが開いた。
「失礼します。あっ、小野瀬さん、おはようございます」
小野瀬
「おはよう」
「櫻井さん、おはよう」
違う部署で思いがけず名前を呼ばれて、私は驚いて顔をそちらに向けた。
見れば、ドアを開けたのは、刑事部三課に所属する、若い男性警部補だった。
私がここにいる事、捜査室で誰かに聞いてきたのかしら。
翼
「おはようございます」
警部補
「おはよう。……あのさ、今夜の忘年会の最終確認なんだけど、櫻井さん、参加出来そうかな?」
私の後ろで小野瀬さんが、ああ、今日だったっけ……と、独り言のように呟いている。
刑事部の忘年会は、毎年、12月20日からの年末年始特別警戒が始まる前のこの時期に開かれる慰労会で、繁忙期に向けて、部内の親睦を深めておこうというのが目的だ。
例年、近くのホテルのレストランを会場にして催される為、1か月ほど前から、掲示板などにも案内が掲示されていた。
とは言え、12月は普段より事件が多い上、刑事課に属する警察官は皆、いつ緊急で呼び出されるか、残業になるのか、予想が出来ない。
だから、17時から21時までの開場時間の中なら、会場に自由に出入りしていい、という参加形式のはずなのだけど。
なぜか、私はこれまでも、刑事部の人たちと顔を合わせるたびに、参加してくれと誘われ続けてきた。
警視庁の中でも、特に刑事部には若い女性が少ないので、会を盛り上げる為にも、ぜひ来て欲しい、とか。
櫻井さんはどちらかと言えばまだ新人の方なんだから、出来るだけ参加した方がいいよ、とか。
警部補
「刑事部以外の女性警察官にも、声かけてあるんだ。もしかしたら、久しぶりに、交通課の頃の友達とかにも会えるかもしれないよ」
警視庁全体で、女性の割合は20%に満たないというのは知っている。
ビュッフェスタイルの立食で、お酌や接待なども強要しないし、都合のいい時間に顔だけ出してくれれば、好きな時に帰っていいから、とまで言われた。
だから、まあ、急用が無ければ参加するつもりです、とは、返事をしてあったんだけれど。
捜査室では、泪さんが出張で不参加になってしまったし、室長代理として留守を預かる明智さんも不参加だし、人見知りの小笠原さんに至っては、最初から参加する気が全く無いし。
藤守さんと如月さんだけは、それぞれ刑事部の友人に誘われたから一緒に参加してくれると言っていたけど、私は、男の人ばかりの宴会に参加するなんて何となく不安で、本当は気が進まない。
警部補
「しつこく誘って悪いけど、櫻井さん、人気あるからさ。来てくれたら、参加者が増えると思うんだ。助けると思って、頼むよ」
もしかして、この人が幹事さんなのかしら。
警部補
「櫻井さん、いつも、捜査室の飲み会には参加してるでしょ?お酒、飲めるんだよね。女性向けのカクテルもあるし、スイーツもたくさん用意したんだよ」
こんなに熱心に誘われてしまうと、ちょっと断りにくい。
それでなくても、刑事部の人たちは、仮設の部署である捜査室の存在を、あまり快く思っていない感じがあるのだから。
ここで私が誘いを断って、刑事部と捜査室との雰囲気がさらに悪くなるような事は、少しでも避けたいと思った。
だから、この時、小野瀬さんが私の肩に手を乗せて、
「俺も参加しようかな」
と言ってくれた時……、私は内心、とてもホッとしたのだ。
小野瀬
「櫻井さんが手伝ってくれたおかげで、仕事が早く片付きそうだからね」
翼
「そうですか?良かったです」
ところが、参加者が増えて喜ぶはずの警部補の男性の方は、何故か一瞬、驚いたような顔をした。
警部補
「え、小野瀬さんも……?」
小野瀬
「おや。もしかして、迷惑?」
小野瀬さんが、首を傾げた。
警部補
「あ、いえいえいえいえ!とんでもない!」
慌てて否定した時には、もう、警部補の顔から、さっき一瞬浮かんだ、戸惑いの表情は消えていた。
警部補
「小野瀬さんが参加してくれると知ったら、女性職員の参加者が急に増え過ぎて、料理が足りなくなっちゃうかもしれないなあ……なんて思っただけです!」
そんな冗談さえ口にしてから、警部補は頭を下げた。
警部補
「とにかく、ご参加ありがとうございます。それじゃ、お二人とも、今夜、よろしくお願いします!」
敬礼して去っていった彼を見送った後、私と小野瀬さんは、どちらからともなく、顔を見合わせた。
翼
「あの……小野瀬さん、良かったんですか?」
小野瀬
「うん?いや、本当は、行くつもりはなかったんだけどね。……きみ、なんだか困ったような顔をしてたから」
やっぱり。
翼
「すみません……」
小野瀬
「なぁに、キングの不在に、クイーンにジャックが付き添うのは当たり前さ」
小野瀬さんはそこまで言って、自分の言葉が可笑しいように笑った。
小野瀬
「トランプのジャックって、実は、キングの召し使いなんだよ。知ってた?」