迷宮の入り口 *ibu様のリクエスト
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~穂積vision~
この数日、ずっと元気の無い櫻井を励ます事が出来ればと、急遽開いた捜査室の飲み会。
急な誘いにも関わらず、小野瀬を含む全員が飲み会に参加してくれ、盛大に飲み食いしてくれた。
いつもは嫌がる小笠原も、今回は進んで加わってくれた。
誰も何も言わないが、皆、何となく異変に気付いているんだろう。
だが、結論から言うと、彼女を元気にする事は出来なかった。
根深いな。
俺は内心、途方に暮れたが、明日も仕事なので早目に切り上げ、いつもの居酒屋を後にした。
大通りへ出た所で解散し、寮へ帰るという櫻井は、酒を飲んでいない小野瀬に頼んで、車で送らせる事にする。
俺は乗らない。
何となく、今は、あまり櫻井に負担をかけない方がいい気がしたからだ。
俺の存在が彼女の負担になる、という事実は辛いが、それより、少しでも櫻井を休ませたい。
助手席のパワーウィンドウが下りて、櫻井が、懸命に笑顔を作った。
翼
「今日は、ありがとうございました」
頼むからやめてくれ。
辛い時は辛いと言え。
俺にだけは、そんな顔をするな。
翼
「……室長、おやすみなさい」
触れない方がいい。
分かっていて俺は、彼女の頬を掌で撫でた。
いつもなら頬を桜色に染めて、小さな手を俺の手に添えてくれるのに。
泣きそうな顔で微笑む彼女の頬は、青ざめたまま。
俺の目を見ない彼女の姿に、胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。
手の届く場所にいるのに。
このまま、抱き締めてしまえたらいいのに。
穂積
「……おやすみ」
もう一度頬を撫でて、俺は車から離れた。
いつまでも手を振る彼女が、遠ざかっていく。
悪い胸騒ぎがおさまらない。
拭っても拭っても黒く沸き上がる不安と、それを打ち消し、冷静であろうとする心とが、せめぎあう。
落ち着け。
考えろ。
思い出せ。
いつからだ?
何かあったはずだ。
何か、彼女が心を閉ざすような出来事が。そのきっかけが。
俺の家で?……高城の店で?……捜査室で?……机の上に置かれた『ファウスト』。……NANA。……貸金庫。……祖母。……第一の指輪。
…………ジョン・スミス。
……飛躍し過ぎか。
俺はいつものバーで、考え込んでいたらしい。
いつの間にか隣に座った小野瀬が、無言で、俺の眉間に軽いデコピンをかました。
穂積
「痛って!」
小野瀬
「はーい、姫を無事に送り届けた騎士のご帰還でーす」
小野瀬はにっこりと笑った。
穂積
「……ああ、ありがとう。悪かったな」
眉間を擦りながら礼を言うと、小野瀬は笑顔を消した。
小野瀬
「今日、お前に言われてから、半日ほど観察してみたけど。……確かに、彼女、おかしいね」
穂積
「……」
背筋がひやりとした。
小野瀬が、「お前の気のせいだったよ」と言って笑ってくれる事を、俺はどこかで期待していた。
だが、小野瀬の表情は険しい。
小野瀬
「俺とは普通に話が出来る。でも、時々、一瞬だけど、目の焦点が合わなくなる事があった」
穂積
「……」
小野瀬
「特に、お前の話題の場合だ。すぐには言葉が出ない時さえある」
小野瀬は、感情を込めずに続けた。
予想していた返事だ。俺は目を閉じた。
小野瀬
「考えられる要因は、いくつかある。一つは、お前を嫌悪している事。……だが、これは考えにくい」
穂積
「何故だ?可能性としては、一番有り得るし、分かりやすいだろう」
小野瀬は肩を竦めた。
小野瀬
「残念だけど、毎日、彼女を口説いてるから分かるよ。彼女はお前が好きだ」
何故、小野瀬が毎日、俺の恋人を口説いてるのかは置いておいて。
俺もそう思いたい。
だが、今はその実感が無い。
今でも俺を好きだと言うなら、最近のあの悲しい様子は何だ。
また思考が沈み始めるのを、小野瀬が引き戻した。
小野瀬
「もう一つは、やはり暗示の可能性だ」
俺は眉をひそめた。
穂積
「直接会わないで、彼女に暗示をかけられるものか?」
小野瀬は首を横に振った。
小野瀬
「複雑な暗示だ。かけるにも解くにも、本人と話をしながらの、熟練した技術が必要だよ」
小野瀬の言葉を聞いても、俺の脳裏に浮かぶ顔は無かった。
俺は、そいつの顔を、知らない。
小野瀬
「お前の仮定の通り、彼女は既に誰かに囚われ、何か暗示をかけられた、と考えるのが自然だ」
穂積
「……小野瀬」
俺はビジネスバッグから、本を取り出した。
それは、俺の机に置かれていた、『ファウスト』。
奴からの挑戦状。
あるいは、何かの鍵。
穂積
「指紋検出してくれ」
小野瀬は、黙って受け取った。
穂積
「おそらく、出ないとは思うが」
小野瀬
「……ジョン・スミス」
俺は頷いた。
穂積
「ついでに、その本の要点を翻訳して、俺に教えろ」
小野瀬
「はあ?!」
穂積
「お前、理系だからドイツ語は得意だろう」
小野瀬
「……何だ、その滅茶苦茶な理屈は?」
さすがに小野瀬が反論した。
小野瀬
「お前だって、この程度のドイツ文学なら読み下すだろ。面倒なら日本語版を読め!」
穂積
「無理」
俺は即答した。
穂積
「ドイツ語も日本語も関係無い。……今は、何を読んでも頭に入らない」
今の俺の頭の中は、高城事件と櫻井と、ジョン・スミスで一杯だ。
と言うか容量オーバーしそうだ。
小野瀬
「……まあ、それも、そうか」
小野瀬は、自分のバッグに『ファウスト』をしまった。
何だかんだ言って、引き受けてくれる。こいついい奴だな。
穂積
「ジョン・スミスの線が消えるまで、櫻井に近付く人間は全員調査する」
小野瀬
「捜査室のみんなには?」
穂積
「状況を見ながら、俺が個別に指示を出す。これ以上、奴につけこまれる隙は作らない」
俺は小野瀬の顔を見た。
穂積
「複雑な暗示だと言うなら、奴はまた櫻井に接触する可能性がある。そうだろう?」
小野瀬は頷いた。
小野瀬
「櫻井さんの暗示の方は、俺が調べるよ」
穂積
「頼む」
俺は虚空を見上げ、櫻井の悲しい顔を思い出していた。
穂積
「……あんな顔をさせやがって」
ギリッ、と歯を食い縛る。
もしも、予想通りなら。
本当に、ジョン・スミスが、もう既に櫻井と接触していたとしたら。
そのせいで、櫻井が、毎日、あんな悲しい顔をしているのだとしたら。
俺から櫻井の笑顔を奪った奴を、俺は絶対に許さない。
~END.or.START~