花冷え
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~翼vision~
穂積
「桜は嫌いだ」
仕事帰りに訪れた、ここは夕暮れ間近の静かな公園。
翼
「え?」
駐車場に車を置き、並んで歩き出したところで泪さんが不意にそう呟いたので、私は、彼を見上げて首を傾げた。
翼
「そうでしたっけ?」
穂積
「ああ、嫌いだ」
泪さんは、外灯が照らし始めた公園の遊歩道に沿って植えられている桜並木に揺れる提灯を見上げながら、もう一度呟いた。
……知らなかった。
それなら「寄り道して桜を見ませんか?」なんて、悪いことを言ってしまった……と戸惑っていると。
穂積
「他人の宴会を戒めなきゃならない桜の名所の巡回も、警視庁のお偉方のご機嫌取りをしなきゃならない花見大会も。今年は幸い異動は無いが、講義、研修、指導に会議。しかもそのうえ最近は、桜と共に現れる詐欺師なんて胡散臭いのまで加わった。桜の季節は面倒な事ばかりだ」
桜にまつわるあれやこれやを、泪さんがあんまり嫌そうな顔で数え上げるので、つい、噴き出してしまった。
良かった。
泪さんは桜が嫌いなんじゃなくて、4月の煩わしさが嫌いなんだ。
そう気が付いたら、ほっとしたから。
穂積
「おまけに何だ?今日のこの寒さは。もう、4月も2週目だってのに、真冬並みの寒波襲来とかふざけてるだろう」
私が笑ったのも面白くなかったのか、泪さんはぶるっと肩を竦めて、コートの襟を立てる。
とうとう天候にまで文句を言い出した泪さんに、私は、自分の首から解いたマフラーを巻いてあげた。
桜が嫌いなのは八つ当たりだけど、鹿児島生まれの泪さんが寒がりなのは本当だもの。
輪にしたところにマフラーの先を通していると、軽くなった私の首もとを見つめて、泪さんが心配そうな顔をする。
穂積
「お前、寒くないのか?」
翼
「平気です」
だって、泪さんを悩ませている寒波のおかげで、今日、この公園には、他の誰も来ていない。
満開の桜も、泪さんも、私だけが独り占め。
だから、寒さなんか感じない。
穂積
「翼、見ろ。吐く息が白いぞ」
翼
「本当ですね」
穂積
「雪がちらついてきたし」
翼
「わあ……寒いわけですね。桜に雪なんて、嘘みたい」
穂積
「花冷え、と言うんだ」
翼
「寒いけど、あとちょっと。あそこまで行きませんか?泪さんに見せたい桜があるの」
そう言うと私は、帰りたそうにしている泪さんの手を引いた。
公園の中でもひときわ立派な桜の下に連れて行って足を止めると、泪さんが、ほう、と白い息を吐いた。
穂積
「見事だな」
泪さんが桜の樹を見上げる。
私はその泪さんに見惚れる。
夕藍の空と満開の桜を背景にした彼の端整な姿に雪が舞って、それこそ夢のように綺麗。
翼
「私は、好きですよ。桜」
穂積
「……そうだな。俺もだ。桜を見せたくてお前を誘った事もあったな。思い出したよ」
翼
「あの時、泪さんが見せてくれた桜には敵わないかもしれないけど……この桜も綺麗でしょう?」
穂積
「ああ、綺麗だ」
泪さんは隣から私の肩を抱いて、ゆっくりと引き寄せてくれた。
私が見上げると、優しく微笑んでくれる。
穂積
「お前と一緒に見る桜は、いつだって格別だ」
泪さんの言葉が嬉しくて、とくん、と胸が鳴った。
穂積
「それに」
泪さんは長身を屈めて、私の顔を覗き込んだ。
穂積
「こうしてお前の目に映る世界を独り占めするのは、悪くない」
翼
「泪さん……」
同じ事を考えて、というよりは、私の思っていた事を見抜かれたような気がして、どきりとしてしまう。
泪さんは狼狽を隠そうとする私に、口角を上げて見せた。
こんな状況でも、なんて綺麗。
そんなにドキドキさせないで。
穂積
「翼……」
……っくしゅん!
翼
「え?」
うっとりして閉じかけていた目蓋を慌てて開くと、泪さんが、真っ赤な顔をして、口元に手を当てていた。
穂積
「……こんなに寒いのに、お前が寄り道したいなんて言うから!」
照れ隠しに怒鳴りながら、泪さんはもう一度、顔を背けて大きなくしゃみをした。
翼
「ぷっ」
穂積
「くっそ、いいムードだったのに!」
唸っているロングコートの広い背中に、私は抱き着いた。
翼
「ごめんなさい。もう、帰りましょ」
穂積
「当たり前だ」
ぶつぶつ言いながら、泪さんは公園の水道で洗った手をハンカチで拭う。
穂積
「うー、冷たい。お前、責任取って、今夜はしっかり俺を暖めろよ」
翼
「えぇ?!」
振り返った泪さんが、たった今洗ったばかりの両手を、私の顔にぴたりと当てた。
翼
「ひゃっ!!」
あまりの冷たさに、身体が飛び上がってしまう。
穂積
「笑った罰だ」
いたずらっ子の顔に戻った泪さんは、笑いながら、私の頬を両手でぺちぺち叩く。
穂積
「さあ、帰るぞ。安心しろ、お前の身体は俺が暖めてやる」
翼
「ううう、お手柔らかに」
泪さんの手が、熱を帯びた。
それに気付いて顔を上げると、泪さんの眼差しもまた、熱を帯びて真っ直ぐに私を見つめていた。
さっきまで意地悪だった泪さんの両手が、私の頬を愛しそうに撫でてくれる。
穂積
「お前は俺の大事な花だ。絶対に、凍えて震えさせたりはしない」
翼
「……泪さん、ありがとう」
穂積
「まずは唇から、暖めてやるよ」
言葉通りに、温かい唇が私の唇に重なった。
翼
「……泪さん……」
それに応えると、泪さんが力強い腕で、全身の温もりでもう一度、私の身体を包み込んでくれた。
……泪さん。
今のこの優しいキスを。
この花冷えの夕暮れを、舞い散る雪の中に咲いていた満開の桜を。
泪さんに抱かれて見たこの春の景色を、泪さんが誓ってくれた言葉と声を。
私は、きっとこれからも、花冷えの季節に、桜を見るたびに思い出す。
~END~