誘導尋問
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翼
「……室長は、狡いです」
穂積
「狡い?そうか?」
私からの非難を、泪さんは涼しい顔で受け流す。
穂積
「お前、刑事だろう?言い逃れができないように証拠を集めて、逃がさないように追い詰めて、隠された真実を自ら明らかにさせるのが仕事だろう?」
一瞬だけ『室長』の顔を覗かせた後、泪さんは屈めていた身体を起こしてから、さらりと私の頬を人差し指の背で撫でた。
穂積
「俺に言わせたい言葉があるなら、言わせる努力をしてみせろ」
翼
「そんな……」
何という無理難題を吹っ掛けてくるんだろう、この人は。
そのくせ、次の瞬間にはこうして、温かい手で私の手を握ってくれる。
だから私は、どうしても、歩き出す彼を追ってしまうのだ。
振り向いて私を確かめて、満足そうに頬笑む。
だから、彼に引き寄せられるまま、しがみつくように腕を組んでしまうのだ。
握り込まれていた手を、指を絡めて互いの掌が重なり合うように繋ぎ直されただけで、嬉しくなってしまうのだ。
穂積
「また、にやけてる」
そんな事を言われても。
翼
「嬉しいんですもん」
独り言のように言っても、耳の良い彼には聞き取れているはず。
翼
「大好き、なんですもん」
繋いだ手に力が込められたから、分かる。
ついでにもう一言、愚痴を溢してみる。
翼
「でも、好きなのは私ばっかりで、だから、狡いです」
泪さんが、歩く速度を緩めた。
穂積
「どうして、俺がお前を好きじゃないなんて思う?」
翼
「だって、言ってくれないじゃないですか」
穂積
「……そうきたか」
並んで歩く路地裏の彼方に、泪さんが今日の夕食を予約してくれているはずの、お店の看板が見えてきた。
あそこまで行ってしまったら、タイムリミットだ。
翼
「室長は私の事、本当は、もう、好きじゃないんでしょう?」
穂積
「好きだよ」
駆け引きだと分かっていても、口にするのは辛くて、怖かった言葉。
泪さんはそれを、即座に否定してくれた。
嬉しくて抱きつきたくなるけれど、まだ、我慢。
翼
「嘘」
穂積
「俺を信じないのか」
翼
「……信じます、信じてます。でも……」
穂積
「でも、何だ」
翼
「……してくれなかったし」
穂積
「何を?」
翼
「何を、って」
ええと……
これは、泪さんに答えを言わせるゲームだ。
だから、私からその言葉は口に出せない。
翼
「……」
どう言えばいいか分からなくて、悩んでしまう。
徐々に足取りが重くなる私に反して、泪さんはゆっくりとだけど歩みを早める。
このままじゃ……
翼
「まっ、待って」
切羽詰まった私は、何も思い付かないまま泪さんの腕を引いて、取り敢えず足を止めさせた。
翼
「ええと……」
どうする気だ、という表情の泪さんに、私は咄嗟に、繋いでいない方の手の指で、自分の唇を差し示す。
翼
「ん」
穂積
「ん?」
私の意図に気付きながらも、まだ足りないのか首を傾げてくすくす笑う泪さんを睨みながら、指差した唇を尖らせたり、自分の熱い頬を何度もつついたりして、懸命にアピールした。
翼
「ん!ん!」
穂積
「それじゃ、ジェスチャークイズだろ」
我慢出来なくなったのか、泪さんが噴き出した。
翼
「うっ……」
確かにこれでは、頭脳戦には程遠い。
穂積
「でも面白かったから、1ポイントやろう」
翼
「やった」
思わず拳を握ってガッツポーズをすると、泪さんは笑いながら、ちゅ、とリップ音を立てて、私の頬にキスをした。
……あれっ、頬?
唇じゃないの?と、何となく肩透かしをされたようで泪さんを見つめれば、くくっ、と笑われる。
穂積
「俺の事を『お父さんみたい』なんて思っているお子様には、とりあえずここまで」
どこかで聞いたセリフ。
じゃなくて……えっ?
どうして?
私、そんなに分かりやすい?
それとも、『桜田門の悪魔』なんて呼ばれている彼には、本当に、人の心を読む魔力がある、とか……?
穂積
「バカな事やってないで、行くぞ」
泪さんが、またゆっくりと歩き出してしまったので、慌てて付いていく。
翼
「……」
優しすぎる接吻は、甘美すぎて、離れた途端に寂しくなる。
せっかくキスしてもらえたのに、こんな気持ちになるなんて。
穂積
「いい顔だ」
振り返った泪さんは笑いながら言うと目を細めて、私を見つめた。
穂積
「もっと俺を求めろ。俺から離れられなくなるくらい、俺を好きになれ」
とっくに好きですけど。
翼
「……そうなったら、与えてくれますか?離さないでくれますか?同じくらい、私を好きになってくれますか?」
泪さんの服の袖を引くと、革靴を履いた足の運びがゆっくりになる。
穂積
「翼」
翼
「は、はい」
穂積
「もうすぐ時間切れだぞ?」
私に向き直った泪さんの肩の後ろに、これから行く店の看板の、控え目な灯りが見えている。
私の肩のすぐ横で、その店の庭の笹垣がさらさらと風に鳴っている。
そちらに気をとられた瞬間、泪さんが、組んでいた腕を引いて、私を抱き寄せた。
耳を当てた広い胸から、温かい声が聴こえてくる。
穂積
「日没はとっくに過ぎて、夜空は曇り。街灯はあるが、薄暗くていい感じだ」
聞き覚えのあるフレーズに顔を上げると、泪さんの両手が、私の頬を包んだ。
穂積
「奥まった路地で、人通りも無い。誰もいないし、見ていない」
泪さんの目に、私だけが映っている。
穂積
「答えてやるから、早く言え」
どうしよう、泣きそう。
翼
「……泪さんが、欲しいです。離れたくない、一緒にいたいです。私を、ずっと、好きでいてください」
穂積
「やっと、名前で呼んだな」
翼
「え」
微笑んだ泪さんの顔が近付いて、泪さんと私の、唇が重なった。
そのまま抱き締められ、深く合わせられた唇から受け入れた舌を絡めれば、呼吸も時間も忘れそうになるほどの口づけが続く。
翼
「……っん……」
突然与えられた熱に気が遠くなりそうで、泪さんのコートの背中を握り締めると、唇が微かに離れて、耳元で囁かれた。
穂積
「……安売りする言葉じゃないが、お前が欲しがる時には、ちゃんと言ってやらないとな」
そう言って、今度は優しく、啄むようなキスをくれる。
翼
「……泪さん」
穂積
「愛してる、翼」
泪さんに名前を呼ばれるたび、口づけを交わすたび、自分がこの人をどんなに好きか分かる。
どんどん好きになってゆくのが、分かる。
こんな気持ちになるなんて、思ってもみなかった。
出会った頃には、あんなにも遠い存在だと思っていた人なのに。
今ではこんなにも、恋しい。
穂積
「そんなに欲しそうな顔をするなよ。腹を満たしたら他も、溢れるぐらいに満たしてやるから」
翼
「……今、気付いたけど、いじわる、って言葉の中には、『る』『い』っていう字が入ってる」
赤くなる顔を隠したくて、恨み言を言いながらしがみつくと、泪さんは呆れたように笑いながら、私の髪を撫でてくれた。
穂積
「俺とキスしながらそんな事考えてたのか、お前は」
それから、私の耳に口を寄せる。
穂積
「さっき俺が言った言葉にも、入ってるぞ」
あ、い、し、て、る。
翼
「本当だ」
穂積
「今度はお前に言わせるからな」
あっ、と思った。
もしかして、本当の目的は、最初から……。
穂積
「俺も苦労してるんだよ。お前に飽きられないよう、必死なんだ」
翼
「そんな!私が泪さんに飽きるなんて事、あるわけないのに」
穂積
「へえ、何で?」
ああもう。
またしても簡単に誘導尋問に引っ掛かってしまった私に、泪さんは勝ち誇った悪魔のような笑顔で応える。
穂積
「まあいい、後で聞かせてもらおう。俺の部屋で、朝までじっくり時間をかけてな」
楽しい夜になりそうだ、と囁いて、泪さんは一足先に、懐石料理店の暖簾をくぐった。
私は知っている。
泪さんに尋問されて黙り通せた犯人はいない。
私も逃げ切れないだろう。
この後、彼の部屋に帰ってからの自分を待ち受ける情況に思いを巡らせると、頬が熱くなった。
風を感じて顔を上げれば、雲の切れ間から十三夜の月。
穂積
「翼、早く来い」
翼
「はっ、はい!」
泪さんと過ごす秋の夜長は始まったばかりで、ほう、と吐いた息は諦めと隠しようのない幸せな恋の熱を孕んで、白く煙って夜空に溶けていった。
~END~