誘導尋問
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~翼vision~
捜査室に配属されたばかりの頃には、まさか、私をスカウトしてくれた、「あの」室長とお付き合いする事になるなんて、思ってもみなかった。
立ち上がってまだ間もなかった緊急特命捜査室は、私を加えても6人という少数部署で、しかも、他の部署が引き受けないような仕事ばかり廻されて来るから、刑事部でありながら、陰では「雑用室」なんて呼ばれる始末。
交通課の新米だった私にとっては、異動したその日から、初めて経験するような犯罪や事件の連続であり、そして、毎日が、男性の先輩たちに仲間と認めてもらう為の、試練のようだった。
もちろん、それは私に限らず、捜査室そのものにとっても、自分たちの存在意義を、警察という組織に認めてもらう戦いでもあった、のだけれど。
手掛かりを探して迷宮をさ迷い、見えない犯人を追い掛けて、真相の解明を目指して、ひたすらに走り続けた日々だった。
けれど、たとえ意見が衝突しても、困難に道を塞がれても、きっと乗り越えられる、どんな事件も必ず解決出来る、そう信じて進む事が出来た。
そこには、抜群のリーダーシップとカリスマ性で私たちをまとめ、力を合わせて事件を解決する事を教え、刑事として人間として育ててくれた、室長の存在があったからだ。
室長は、叱咤激励しながら私たちに方角を示し、時には回り道をしてしまう私たちを辛抱強く導き、成長を促し、能力を引き出し、解決に向かわせてくれた。
そして、最初の難事件を解決した時……
私を、抱き締めてくれた。
あの時の嬉しさを思い出すと、今でも胸が温かくなる。
室長を「泪さん」と名前で呼ぶようになっても、この気持ちは変わらない。
泪さんの笑顔を思い浮かべながら、ほう、と胸から吐いた息は、白く煙って夕闇に消えた。
穂積
「翼」
不意に、ふわり、と背中から温もりに包まれた。
穂積
「待たせたな、悪かった」
低い声と共に、優しい腕が私を抱く。
背の高い泪さんがロングコートの中に私を入れてくれたのだと分かって、自然に、笑みがこぼれた。
振り返って顔を上げると、一瞬だけ、額に柔らかい唇が触れる。
反射的に伏せた瞼をそっと開けば、前髪が触れるほど近い距離に、泪さんの端整な顔があった。
穂積
「寒かっただろう」
翼
「ううん、大丈夫」
肩越しに泪さんと話をしながら、背中に当たる頼もしい長身に、こっそりと体重を預けてみる。
泪さんは何も言わずに受け止め、ごく自然に私の身体を支えて、甘えさせてくれた。
子供の頃、よく父がこんな風に温かく私を抱いてくれたのを思い出す。
職場での泪さんは厳しい上司だけれど、父と同じかそれ以上に私には優しくて、こうして抱かれていると、この人が守ってくれるのだという安心を実感できる。
翼
「平気です。待ってる間も、楽しかったから」
穂積
「だろうな」
翼
「えっ?」
穂積
「俺がここに来るまで、お前、一人でニヤニヤしながら待ってたもんな」
翼
「えっ、嘘ですよね?!」
泪さんの言葉に、突然、現実に引き戻された。
穂積
「嘘だ、と言ってやりたいところだが……」
にやりと笑われて、どきりと胸が鳴った。
穂積
「そんなに待ち遠しかったか?」
これは……
自分では気付いていなかったけど、どうやら本当に頬が緩んでしまっていたみたい。
ちょっと、ううん、かなり恥ずかしい……。
泪さんの視線を避けるように顔を逸らして俯いたけれど、彼は、追い討ちをかけるように、肩の上から私の耳元へ囁いてきた。
穂積
「そんなに、俺に会いたかったのか?毎日、職場で会ってるのに?」
翼
「うう……うん。だって、『室長』には会えても、『泪さん』には、なかなか会えないから……」
コートの中で抱き締められている安堵からか、私は観念して、つい本音を漏らしてしまう。
すると一拍置いて、泪さんの右手が、私の左頬に当てられた。
穂積
「こっち向け」
彼の掌は、いつも心地よい。
自分の肩越しに話すような不自然な体勢だった私は、声と掌に促されるようにして身体を反転し、彼の方へと向き直った。
穂積
「可愛いな、お前は」
泪さんはもう一方の掌も私の頬に当てると、両手で包むようにして、私の顔を上向かせ……。
え、まさか。
見つめられて、鼓動が速くなってゆく。
翼
「し、室長、ここ、駅前ですけど」
穂積
「駅前で待ち合わせたんだから当たり前だ」
翼
「に、に、日没は過ぎて空は暗いですけど、街灯があって結構明るいですよ」
穂積
「見たまんまじゃねえか。お前は俺を馬鹿にしてるのか」
翼
「いえそんな」
穂積
「じゃあ、何だ」
翼
「帰宅ラッシュは終わりましたけど、周りにはまだ大勢の人たちが行き来してますよ。しかも室長が美形だから、私たち、実はかなり見られてるんですよ」
穂積
「誰かに情景を描写するよう言われてるのか?俺は、だから何だ、と訊いているんだぞ」
言葉だけなら叱られているみたい。
だけど、鼻先が触れそうな距離に顔を寄せたままの泪さんの声は弾んでいて、表情はかなり楽しそう。
翼
「だ、だから、こんな場所で、」
穂積
「こんな場所で?」
そう言って、いきなり泪さんは私の頬を親指と人差し指の先で摘まむと、左右に引っ張った。
翼
「ふぇ」
間抜けな声が出てしまう。
お多福のようになった私の頬は、お餅みたいに伸びた後、泪さんが手を離したらぷるん、と元に戻った。
穂積
「『こんな場所で、私の顔をブチャイクにしないでください』か?」
泪さんが、にんまりと笑った。
穂積
「赤い顔して、目を潤ませて。何を期待したんだか」
……うう、やられた。
穂積
「言ってみろよ。こんな場所で、お前、俺にどんな事をされると思っていたんだ?」
耳元でからかわれて、私の頬は羞恥でさらに赤く染まる。
穂積
「ほら、言え」
翼
「ううう……」
分かってるくせに。
意地悪。
自分の顔が耳まで真っ赤になっていることも、泪さんがそんな私の様子を面白がっていることも、答えないと解放されないことも、経験から知っている。
それなのに、毎回、私はこの人の誘導尋問に引っ掛かってしまうのだ。
この人を好きだと自覚させられてから、ずっと。