『アブナイ☆恋のウェディング・ベル』
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さくらが丘団地の周辺で多発していた、住民への声掛け事案と不審者情報。
それは幼児から始まって、学生を中心とした広い年代に渡って起きていたけれど、私たち捜査室メンバーの連日の頑張りと、小野瀬さんやJSたちの協力もあって、ほとんどが解決・解明し、全貌が見えて来ていた。
残っているのは、社会人を対象とした声掛けの真相解明だけだ。
実は、当初から相談件数が多かったのにも関わらず、社会人の捜査を私たちが後回しにしてきたのには、理由がある。
まず、対象者が全員、判断力を持った成人だということ。
もうひとつは、相談してくるのが声を掛けられた本人ではなく、周囲にいる、家族や知人ばかりだったということ。
そして一番の理由は、さくらが丘団地で捜査を始めたばかりの頃、集まって来る情報を見ながら室長が、
「この、社会人への声掛けに関しては、事件性は低そうね……今のところは」
と、言っていたこと。
だから、私たちは、より緊急度や危険性の高い方から、そして、対象者の年齢が低い方から、順に、捜査を進めてきた。
今の私たちには、平穏で順風満帆に見えていた、さくらが丘団地を取り巻く現状が、おぼろげながら見えてきている。
さくらが丘とゆりが丘の確執はまだ解消できないけれど、いよいよ、社会人への声かけ事案を捜査する時期が来た。
あの時、室長が言った「今のところは」の意味は、まだ、私には分からない。
でも、きっと、「今ならまだ間に合う」という意味だと信じて。
頑張ろう!
穂積
「気合い入ってるわね、櫻井」
翼
「え?」
ミーティング中、心の中で呟いたつもりが、無意識に声が出てしまったみたい。
全員の視線が私に集まっていた。
……恥ずかしい!
翼
「す、すみません」
私は頭を下げた後、室長に向けて顔を上げた。
翼
「出来る事なら、事件になる前に、解決したい、と思って……」
これは、室長が理想としている警察の在り方。
決して現実的ではないけれど、以前、この言葉を聞いてから、私も、捜査室のメンバーも、心に刻んでいる。
私の呟きに全員が頷いてくれる中、室長が微笑んだ。
穂積
「覚えていてくれて、嬉しいわ。
でも、焦って冤罪を生み出してはいけない。
憶測で動かず、手を抜かず証拠を固め、確かな真実を見つけるのよ」
翼
「はい!」
今の言葉は、判事である私のお父さんが求めている、警察の在り方。
私が刑事になる時に、お父さんと交わした約束。
裁判官として、冤罪に苦しめられた多くの人たちと向き合ってきたお父さんが口癖のように言う、全ての警察官への戒めの言葉。
それを、室長がしっかりと声に出して言ってくれた事が、なんだか嬉しい。
今この時、室長と私が同じ思いを抱いていたんだと思うと、胸の奥が温かくなった。
穂積
「さあ、ワタシたちも気合入れて、もうひと頑張りいくわよ!」
全員
「イエッサー、ボス!」
聞き込みを始めてみると、なるほど、社会人への声掛け事案は、他の案件とは、少し違っていた。
これまでに声を掛けられたのは、主に20代~30代の男女。
分かっているだけでも、50人を下らない。
実際には、その何倍にもなるだろう。
時間は平日の午後が多いけれど、朝の出勤、通学時間に声を掛けられた人も少なくない。
一番多いパターンは、午後5時過ぎ、帰宅や買い物などで、さくらが丘の駅前通りなどを歩いている時。
面識の無い、けれど同年代の人物が、「失礼ですけど、あなた、独身ですか?地域のまちおこしイベントに参加しませんか?」などと声を掛けて来る、というもの。
最近声を掛けられた人によれば、その時の相手は、3人連れの、明るくてにこやかな若い男女だったらしい。
「毎週、金曜日の夜、さくらが丘ホテルで開催されるんです。
参加費は無料です。
フロントで、『花の丘の親睦会』と言って下さい。
会場に案内してくれます」
これ以外にも、あちこちで、何人もの若い人たちが、このイベントに誘われている。
「まちおこし」として、「金曜日の夜」に、「さくらが丘ホテル」で行われる、「花の丘の親睦会」というのが一致している。
一方で、声を掛けて来る側の人物像はその時によってばらばらで、男性の時があれば女性の時もあり、複数の時もあり。
声を掛けられる場所も、繁華街や商店街だったりコンビニだったり大学のキャンパスだったり、と脈絡がなく、なかなか特定出来ない。
人物像として共通しているのは、対象と同年代の成人、という事、それと、未婚であるらしい事、自分たちを「花の丘の住人」だと名乗る事。
「花の丘の住人」たちは、本名でこそないけれど、ニックネームを書いた手作りの名刺を渡して来たり、ネームプレートを胸に付けたりしているのだそうで、少々胡散臭くはあるけれど、基本的に、悪い人たちには見えないと言う。
もっとも、声を掛けられはするものの、そのままどこかに連れていかれるわけでもないので、美人局や宗教勧誘、キャッチセールスなどを疑った人は少なかった。
さらに数日、捜査を進めると、実際にその「まちおこしイベント」に参加した経験がある人たちからも、話を聞くことが出来た。
名前を挙げられた『さくらが丘ホテル』は、さくらが丘とゆりが丘の境目にもあたる、丘の陵線のほぼ頂点に、団地の分譲が始まる前から建っている。
例の、シスター・フユコの教会の近くだ。
藤守
「調べてみたんすけど、宿泊客は、教会での結婚式に招待された人がほとんどで、あとは、日帰り入浴に来るシニア世代とか、夏場、プールを目当てに来る家族連れとかで、宿泊以外のお客さんがメインみたいですわ」
如月
「団地や街の人にも聞いてみましたけど、多かった意見をまとめると、『これという欠点は無いけど、これという特長も無くて、地味で普通。
施設は手入れが行き届いていて清潔だし、食事は美味しいし、従業員の質も良い。
丘の上から自分たちの街が見下ろせて、居心地は良いホテル』って感じでした」
地味で普通、かあ。
私はそれでいいと思うんだけどな。
でも考えてみれば、もともと、丘の上から裾野に広がる穏やかな風景を売りにして建てられたホテルだったかもしれないのに、後から、足元を取り巻くようにびっしりと団地が建ち並んでしまったわけで。
巨大な団地群と、そこに住む何万という人たちの生活を見下ろす景色になるなんて、ホテルにとっては、おそらく想定外だったんじゃないかしら。
だから、メインターゲットを宿泊から日帰り入浴やプールの営業にシフトするしかなくなった……とか。
だとしたら、ちょっと気の毒……
明智
「そのあたりの事情もあってか、さくらが丘、ゆりが丘周辺の住民たちは、会合や合宿をはじめ、子供会の行事や成人式などのイベントを開く時には、積極的にさくらが丘ホテルを利用しているようです。
ですから、ある程度の安定収入はあったと思われますが……」
それでも、毎日、団体のお客さんが宿泊してくれるわけじゃない。
当然だけど、団地に住んでいる人たちが、わざわざ自分たちが暮らしている丘に上って、ホテルに泊まるはずもない。
満室になる日の方が少ないんじゃないかしら…
小笠原
「絶対、採算合ってないよね。
ホテルは、ゆりが丘側に「ホテル・アマリリス」もあるし」
小笠原さんが、実業家の顔になって言う。
「ホテル・アマリリス」はゆりが丘側のふもとにあって、こちらは規模が一回り小さいものの、駅から近く、ビジネスなどでの利用客が多い。
もっとも、観光地や商業地ではなく住宅地だから、その数は知れている(と、小笠原さんが言っていた)。
明智
「さくらが丘ホテルとは客層が違うから、住み分けは出来ていそうだがな」
翼
「……」
どちらも、経営的にはやや苦しいホテル。
ゆりが丘とさくらが丘の、自治会どうしの確執。
ゆりが丘への施設誘致と、さくらが丘からの人口流出……
翼
「もしかして、『花の丘の親睦会』の人たちって、ええと、何て言うんでしたっけ、地域の、若い人たちの……」
明智
「もしかして、『青年部』と言いたいのか?」
翼
「それです!」
思わず振り返ってしまって、ばちっ、と明智さんと目が合った。
あっ、と思った次の瞬間。
翼
「……」
私は言葉に詰まって、反射的に、目を逸らしてしまっていた。
明智さんは微笑んでくれていたのに。
顔を背ける瞬間、明智さんの表情が悲しそうに歪むのと、隣で室長が眉をひそめたのが見えてしまって、一瞬で後悔が襲いかかってくる。
なにしてるんだろう、私……
如月
「当たりかも!」
パチン、と、如月さんが指を鳴らした。
如月さんの声に、私は、慌てて顔をそちらに向ける。
如月
「翼ちゃんが言いたいのってさ、『花の丘の親睦会』は、その、青年部?だっけ?
その人たちが、自分たちのせいでホテルが潰れないように、定期的に、合コン、ていうか……、婚活イベントを企画してるとしたら……、
って、思ってるんじゃない?」
さすが、如月さんはカンが良い。
翼
「はい、その通りです。
……でも、だったら何故、さくらが丘団地で、不審な声掛け事案として取り上げられてしまったんでしょうか……?
それが、分からないんです」
すると。
小笠原
「それなら、分かってるよ。
不審だと相談してきたのは、声を掛けられた参加者本人じゃなく、帰りが遅いのを心配した家族や友人だからだ」
小笠原さんが、あっさりと答えをくれた。
穂積
「アンタたちは別件で忙しそうだったから、ワタシと小笠原で、少しずつ調べていたのよ。
そうしたら、当の参加者たちの方は、のんきなものだったわ。
家族たちの心配をよそに、親睦会で意気投合した連中と居酒屋に飲みに行って、遅くまで遊んでしまった、とか、酔っぱらって公園で寝てしまった、とか。
中には、カップルが成立して、うっかり朝まで話し込んでいました……なんていうのも、いたわね」
明智
「全然、悪びれていないんですね」
小笠原
「全員、月曜日からは普通の生活に戻っていたしね。
悪びれるも何も、そもそも事件になっていないんだよ」
穂積
「楽しくてちょっと羽目を外しちゃったかな、みたいな感じね。
もちろん、声を掛けてきたのが不審者だとも、自分たちがトラブルに巻き込まれたとも、思っていないわ。
あと、小笠原は、明智にも敬語使いなさい」
なんだか、ふたを開けてみれば、聞いているこちらが脱力しそうなくらいの、当事者たちの危機感の無さ。
厳格で真面目で心配性な両親に育てられ、門限を当たり前に守るよう育てられ、そして警察官になった私からすると、その無頓着さや迂闊さには、恐怖を感じるくらいだった。
穂積
「ま、この先、本当のトラブルに発展しないよう、注視していくしかないわね」
声掛け事案は週末が近付くと増え、土日を過ぎれば自然と消滅する。
毎週その繰り返しだったようだ。
何も起きていないんだから、注意喚起もしようがないし、これ以上、警察に出来ることは無い。
ミーティングはそれでお開きになり、私たちは、これまでの報告書をまとめる作業に入った。
それから数日後、
金曜日の朝。
この「花の丘の親睦会」周辺で、複数の行方不明者が出た、と、改めて捜査依頼が来た。
如月
「どうなってんの?!」
事の起こりはこうだ。
先週の金曜日の夜に行われた「花の丘の親睦会」以降、友人の姿が見えない、と、さくらが丘の交番に、同じ日の親睦会に参加した女性から相談が持ち込まれた。
土曜になり、日曜を過ぎても、本人は姿を現さない。
しかも、その後も次々と同様の訴えが交番や警察署に持ち込まれ、不明者は現時点で、男女6人にまで増えているという。
全員、通っている大学や職場には本人から欠席、欠勤の連絡が入っているので、生命に別条は無く、また、自主的な行動だという事はすぐに分かった。
なにしろ、試しに警察官や家族が電話をかければ、相手は出るのだ。
そして、「心配いらない」と言う。
身内としては心配な状況だけれど、これでは、たとえ捜索願いを出したところで、受理されるはずもない。
それでも、相談を受けた交番の警官は一応、親睦会の為にさくらが丘ホテルを予約した人物に連絡を取り、行方不明者について問い合わせた。
しかし、この人物も、まだ学生のノリが消えない若い社会人で、まさか、自分たちの企画した婚活イベントで行方不明者が出るなど、想定もしていなかった。
そのため、参加者の正確な名簿さえ、作っていなかった。
全員がゴールしたかの確認さえ、されていなかった。
おまけに、特定のリーダーが存在しなかった。
この辺り、トラブルが発生した時の責任の所在があいまいで、今までは、たまたまトラブルが起きなかった、と言った方が正しかったみたい。
仕方なく、警官は次に、さくらが丘団地の自治会長に相談した。
ところが、さくらが丘の自治会長は、「花の丘の親睦会」について、全く知らないと言う。
警官は驚いて、今度は、ゆりが丘団地の自治会長に尋ねたが、答えは同じだった。
「花の丘の住人たち」は、「まちおこし」を謳いながらも、自治会とは連動せず活動していたのだ。
自治会からすれば寝耳に水で、当然、責任など取れないし解決も図れない。
その後、双方の自治会長は不本意ながらも会談し、互いの監督責任について文句を言い合ったりもした後、主催者グループと話し合い、とりあえず自主的な探索を試みた。
けれど、一般人の立場では、いまどきの個人情報保護の壁にぶつかってしまい、行方を追う事など出来なかった。
自治会がいたずらに時間を過ごすうちに、相談は最初の警官から所轄の警察署を経て警視庁に至り、警視庁の中でも扱いに困ってたらい回しにされ、最終的に、いつものように、私たち緊急特命捜査室に依頼が廻って来た。
それが今朝、行方不明の翌週の金曜日だった。
依頼を受けた室長と私たちは、朝から、家族に提供を求めた不明者の住所氏名や勤務先や大学などの情報を整理し、写真を集め、行動パターンを調べ……。
もっとも、予め室長と小笠原さんが調べ上げていたデータがあったので、この作業は、ほとんど午前中には終わった。
そして午後。
私たちは、カジュアルな私服に着替えを済ませ、再び室長の前に集まっている。
室長が、「花の丘の親睦会」の主催者グループとも連絡を取り、今日も予定通り、金曜の夜のイベントを開催するように指示したからだ。
このイベントで行方不明(厳密には「所在不明」と言うべきかもしれないけど)が発生したのだから、もしかしたら今日も、また、行方不明者が出てしまうかもしれない。
だとしたら原因を調べ、再発を防がなくてはいけない。
逆に、不明者が姿を現す可能性もある、と室長は言った。
今夜、私たちは、何も知らない一般参加者に交じってイベントに参加し、行方不明者の捜索を行いながら、真相を追いかける。
穂積
「行方不明者の情報は、全員、頭に入っているわね?」
全員
「はい、覚えました!」
穂積
「よろしい」
室長が、ぱん、と手を叩いた。
穂積
「さあ、行って一気に片付けるわよ!」
準備を整え、私たちは早速、さくらが丘に向かった。
さくらが丘団地、晴天、午後4時。
今日は、小春ちゃんのキッチンカーがお店を開いていた。
「出張さくら庵」ののぼりが静かにはためく中、私たちは、中庭の芝生の上にセッティングされた大きめのテーブルと椅子でお茶を飲みながら、これからの説明をする室長の話を聞いている。
キッチンカーの周りには、午後のお茶を楽しんでいる他のお客さんもいるけれど、他のテーブルの会話は、耳を凝らしてもなかなか聞き取ることが出来ない。
ほとんど気にならないレベルで、ちょうど会話と同じくらいの音域になるよう工夫された軽やかな曲が、キッチンカーのスピーカーから、心地よく流されているからだ。
きっと周りにも、私たちのテーブルでの会話は聞き取れないだろう。
穂積
「ところで、今日のイベントは、『〇〇○しないと出られない迷路』というものだそうよ」
カフェオレ片手のさりげなさで、室長が話し出す。
小野瀬
「先週の金曜日にも開催されて、行方…の出たイベントだね。
でも、よく聞くのは、『ハグしないと出られない部屋』とか、だけど?
迷路、ってどういう事?」
質問したのは、人手が必要だから、と、急遽駆り出された小野瀬さん。
穂積
「これまではそうだったんだけど、『迷路』は、先週初めて開催されたイベントらしいの。
もっとも、本当に迷路をつくったわけじゃなく、丘の周辺を舞台にした、いわゆるオリエンテーリングのようなものだったらしいわ」
室長が、ちらりと小笠原さんに流し目を送る。
合図を受けた小笠原さんはナナコを開いて、説明を始めた。
小笠原
「参加したのは、二十代~三十代の男女がそれぞれ約20人の、約40人。
ルールはこう。
まず、全員に、紙で作ったハートのバッジが3個ずつ渡される。
男性は青、女性は赤。
金曜日の夜、午後5時に、さくらが丘ホテルを出発。
午後10時までに、ゆりが丘にあるホテル・アマリリスに到着する事。
ゴールすると、その日から使える『さくらが丘ホテル』か『ホテル・アマリリス』の宿泊優待券がもらえる」
明智
「……時間的には、全く問題の無いスケジュールだな」
藤守
「ホテル・アマリリスは、丘の上にあるさくらが丘ホテルから見れば、ゆりが丘側の斜面のふもとに建ってますからね。
なだらかな丘やから、のんびり下っても、途中で寄り道しても、2時間もあれば、じゅうぶん到着出来るコースですわ。
天気が悪かったとしても、バスもあるし、車を使ってもOKやし。
午後10時やったら楽勝だと思いますわ」
みんな、聞き込みで歩いたから、この辺りの地形はすっかり頭に入っている。
小笠原
「ただし、ゴールするには条件がある。
違う色のバッジを3個、手に入れなければいけないんだ」
藤守
「へ?」
如月
「あっ!
○○○しないと出られない、って、そういう事か!」
小笠原
「正解。
自分のバッジを異性と交換してもいいし、相手から受け取るだけでもいい。
数が増えるのは構わないけど、最低3個は別の色のバッジを持っていないと、ホテルに着いても中には入れない。
ちなみに、交換は1回につき1個だけ」
藤守
「なんやそれ!
ちょお待って、つまり、俺やったら、最低でも3人の女の子とバッジを交換せなアカンの?!」
小笠原
「まあ、親睦が目的だからね。
だから、バッジの裏には名前やプロフィールも書き込めるようになってるし……
そんな、恨めしそうな顔をして俺を見ないでよ。
一応、救済策もあるよ。
エリア内にあるチェックポイントに立ち寄れば、緑のハートバッジをもらう事も出来るんだ。
グリーンバッジがもらえるチェックポイントは、スタートとゴールのホテルの間に10か所あるから、そのうち3か所を巡れば、最初の青3個と緑の3個で、計6個。
藤守さんはめでたくゴール出来る」
如月
「いやー!
いやいやそれは恥ずかしい!」
顔を赤くした如月さんが、悲鳴のような声を上げて身悶えた。
藤守
「せやせや!
赤が1個も無いままゴールなんて、まるでモテへん男の見本みたいやないかい!
なんもめでたくないで!!」
小笠原
「でもオリエンテーリングだと考えれば、普通でしょ」
如月
「そうですけどー、街コンでしょ?婚活で、親睦でしょ?
そこはやっぱり、異性のハートを集めてこそでしょ?!」
藤守
「えげつないゲームやな!」
小野瀬
「そんなに難しいかなあ。
スタートしたら、近くにいる参加者の女の子に声を掛けて、バッジを取り替えてもらえばいいだけだよね?
『きみのハート(バッジ)を、俺にくれないかな?』って。
『代わりに、俺のハート(バッジ)を受け取ってくれる?』って交渉すれば、相手も喜ぶだろうし……」
如月
「それで、最後は一緒にホテル行っちゃうんでしょ?!
イケメンは黙っててください!」
藤守
「せやせや!
モテの常識は、非モテの非常識!」
小野瀬
「きみたちは、自分がモテないと思い込んでるだけだと思うんだけどなあ……」
如月さんと藤守さんのブーイングに、小野瀬さんは苦笑い。
???
「おや、もしかしてルイルイたちも、『花の丘の親睦会』に参戦なさるんですか?」
不意に聞こえた中性的な声に、私は、びっくりして隣を見た。
いつの間にか、私と室長の間に椅子が増えていて、ジョンスミスが座っていて、紙コップでコーヒーを飲んでいる。
気付かなかった私は声が出ないくらい驚いたけど、室長はとっくに承知していたらしく、ジョンスミスと肩を並べて、同じように紙コップでカフェオレを飲んでいた。
穂積
「先週から、迷路に迷い込んだまま、出て来られないコたちがいるみたいなのよね。
……中には、自分の意思で出て来ないのもいるかも、だけど」
室長が淡々と話す。
どうやら、室長には、この、失踪事件の全容が、大体見えているみたい。
……実は、如月さんと藤守さんの話を聞いていたら、私にも、なんとなく分かる気がしてきたけど。
JS
「あははははっ」
ジョンスミスはおかしそうに笑った。
JS
「ただのゲームなのに、意地を張ろうとするからでしょう。
ちなみに、僕はこうです」
ジョンスミスは、背もたれに掛けてあったジャケットを取り上げると、室長に見えるように掲げてみせた。
黒いジャケットの胸には、赤いハートバッジが1個、青のハートバッジが2個、緑のハートバッジが3個。
もしかして、と振り向けば、キッチンカーの厨房でちょこまか働いている小春ちゃんのエプロンの胸の縁には、青いハートバッジが1個、赤いハートバッジが2個、緑のハートバッジが3個、並んでいる。
JS
「すでに心に決めた相手がいる場合には、おおよそ、このような形になると思いますけど」
なるほど。
先週の金曜日、イベントが始まるとジョンスミスは小春ちゃんとハートバッジを1つずつ交換し、その後は、チェックポイントであるレストランや美術館、和雑貨の店などを仲良く一緒に巡って、3個のグリーンバッジを集めたのだと言う。
JS
「もう、ゴール出来る条件は揃っていますけど、のんびり楽しみたいと思いまして、先週はここまでにしたんです。
今夜、小春さんのお仕事が終わったら、残りのグリーンバッジポイントを一緒に巡ってから、ホテル・アマリリスにゴールしようと思っています」
ジョンスミスが、ね、と目配せをすると、小春ちゃんが幸せそうに微笑んで頷いた。
……いいなあ。
JS
「というわけだから、マルガレーテ。赤いハートが欲しいなら、僕のをひとつ分けてあげるよ」
翼
「えっ?」
JS
「今、言った通り、僕と小春さんは、もう、このままでゴール出来るんだ。
それに、この後も、一緒にグリーンハートを手に入れる予定だしね。
だから、これは、僕の気持ち」
ジョンスミスはそう言って、私にウィンクをした。
すると。
穂積
「ちょっとお待ちなさい。ハートが余っているのなら、アンタ、協力しなさい」
いつの間に立ち上がっていたのか、割り込んできた室長が、私からジョンスミスを引き剥がした。
JS
「はい?」
穂積
「言ったでしょ?
先週『花の丘の親睦会』に参加した男女のうち、何人かが、ゴールしていないどころか行方不明なのよ。
今週も同じことが起きないようにしなきゃいけないわ。
アンタなら、男にも女にも化けられるでしょ?」
JS
「ルイルイこそ、聞いてなかったんですか?
僕、今夜は小春さんと……」
すると室長は、にっこりと笑った。
穂積
「アンタ、うちの連中に、知り合いの神父の行方を探させたのよね?」
JS
「あ」
穂積
「その時、今後は我々の捜査に協力する、と、言ったのよね?」
翼
「あ」
JS
「……言いました、けど!」
穂積
「小春!」
室長はジョンスミスを見下ろしたまま、背後の小春ちゃんの名前を呼んだ。
穂積
「アンタの仕事が終わるのは、7時ね。
それまで、コイツを借りてもいいわね?」
JS
「えええええ?!僕は、小春さんの働く姿に見惚れていたいのに!」
小春
「はい、いいですよ」
JS
「小春さん!
僕、小春さんとマルガレーテ以外の女性に、僕のハートを差し出すつもりは無いですよ!」
穂積
「あらあ?
もしかすると今頃、街のどこかで、一人ぼっちで佇んでいる女性がいるかもしれないのにい?」
小野瀬
「あれえ?
美しい女性が一人でいたら、必ずバッジを差し出すのが、お祖父さまのご遺言じゃなかった?」
JS
「僕の祖父の遺言を、都合よくアレンジしないでください!」
調理の手を休めて話を聞いていた小春ちゃんが、形勢不利なJSを見ながら、くすくす笑った。
小春
「太郎さん、捜査室の皆さんを助けてあげてください」
JS
「小春さん、僕の心はですね…!」
小春
「大丈夫ですよ。
たとえ、目の前で太郎さんが他の女性に赤いハートを渡すのを見ても、なんとも思いません。
私、太郎さんを好きな、今の自分を信じてるのです」
JSは、一瞬、呆気にとられたように立ち尽くすと、真っ赤になって、両手で顔を覆ってしまった。
JS
「……もう!!」
いつも飄々としているくせに、小春ちゃんにだけは敵わないJSを、如月さんや小野瀬さんはここぞとばかりに冷やかしていたけど、私は、心の中で、今の、小春ちゃんの言葉を反芻して、羨ましさと、複雑な思いを巡らせていた。
私は?
今の私は、どうなんだろう?
午後5時15分。
さくらが丘ホテル。
何も知らない今日からの参加者の出発を見送った後、私たちも、行動を開始した。
主催者グループはしっかり反省していて、捜査には全面的に協力してくれる。
行方不明者が出ている事は発表しないまま、先週と同じやり方で、今日のイベントは開始されていた。
もちろん、行方不明者が現れても、大騒ぎしないように徹底されている。
一般の参加者と同じように3個ずつのバッジを付けて、私たちは、さくらが丘ホテルを出た。
いつものスーツ姿の室長を除いて、全員が私服。
イベントを疑似体験しながら行方不明者を捜索する作戦だけど、基本的に単独行動は出来ないので、途中で道が分かれるまで、とりあえず全員で、歩いて丘を下り始める。
小野瀬
「ごめん、気になるんだけど、どうして穂積は、すでに赤いハートを3個付けてるの?
俺たちのハートバッジは青なのに」
だらだらと続く広い歩道を歩きながら、小野瀬さんが、隣を歩く室長に尋ねるのが聞こえてきた。
穂積
「だって、ワタシはオカマですもの。いいでしょ?どっちでも」
室長は最後尾を歩きながら、澄ました顔でとぼけた返事をしている。
小野瀬
「ここは職場じゃないし、全員、お前が本当はオカマじゃないって知ってるよ。
もしかして、ついに本気でソッチに目覚めたの?」
穂積
「あら?
アンタこそ、さっきは「すぐに取り換えちゃえばいい」なーんて、言ってたくせに。
ワタシのバッジの行方が気になるなんて、もしかしてアンタこそ、ついにワタシに本気になったの?」
他のメンバーが、一斉に笑う。
どうでもいい話題を小野瀬さんと室長が引っ張るのは、これから行方不明者を探す私たちの緊張を解そうとしてくれているのかしら。
それとも、眼下に広がる巨大な団地を見下ろす景色と、こんな所でこんな時間に夕焼けを見ながら道を歩いている自分たち、という状況が、あまりに非日常的に思えるからかしら。
それとも……まだぎこちない私と明智さんの間にある沈黙が、雰囲気を壊さないよう、空気を変えようとしてくれているのかしら。
穂積
「悪い気はしないけど、ヤキモチなんてみっともないわよ、小野瀬」
ふふん、と鼻を鳴らして小野瀬さんをからかい始めた室長にすかさず乗っかって、如月さんが茶化す。
如月
「ひゅーひゅー!」
小野瀬
「馬鹿じゃないの?」
小笠原
「そのセリフ、俺のなんだけど」
笑うみんなの歩く先に、最初の分かれ道が見えてきた。
小野瀬さんがからかわれている隣で、室長が、ポケットに手を突っ込んだ。
穂積
「しょうがないわねえ。じゃあ、小野瀬には、これ、あげるわ」
室長がポケットから抜いた手を広げると、そこには、青いハートバッジが、たくさん。
小野瀬
「わっ!」
明智
「えっ?」
藤守
「どうしたんすか?」
小野瀬さんの声に驚いて、室長の周りにぞろぞろと全員が集まって来る。
如月
「室長!なんで、こんなにたくさん、バッジを隠し持ってるんですか?」
穂積
「なんで、って、捜査に使うからに決まってるでしょ?
ちなみに、赤もいっぱい持ってるわよ。
なにも、1人3個とか、馬鹿正直に決まりを守る必要なくない?」
小野瀬
「そうだった、お前はそういう奴だったよ……」
室長は、小野瀬さんに青いバッジを何個か渡すと、1個を手にして、後はまたポケットに戻してしまった。
穂積
「はい、小野瀬。お望み通り、ワタシのハートをあげるわ」
小野瀬
「どうせなら、櫻井さんのハートが良かったなあ……」
ふんふふふーん、ふんふふふーん、と、「結婚行進曲」を鼻歌で歌いながら、室長が小野瀬さんの胸元に手を伸ばしてつけてあげたのは、さっき手にした青いバッジと、「これはオマケ」とまた別のポケットから取り出した、緑色のバッジ。
小野瀬さんの胸には、青いハートが4個、緑のハートが1個、並んでしまった。
それを見た藤守さんと如月さんは、大喜びだ。
藤守
「小野瀬さん、似合いますよ!」
如月
「ようこそ非モテの世界へ!」
小野瀬
「何だよこれ。いよいよ意味が分からない」
穂積
「意味ならあるわよ。
アンタがバッジを多く持っていれば、それだけ、女性に青いハートバッジを渡せるでしょ?」
室長の考えが分かって、みんなが、あっ、と声を上げる。
小野瀬
「なるほど……俺が青バッジを渡すか交換するほど、相手の女性たちはゴールに近付くのか」
穂積
「そうよ。
なるべく穏便に、なるべく早く今日のイベントを終わらせて、全員を無事に帰らせたいでしょう?」
明智
「しかし、それなら室長、自分たちも、余分にバッジを持ちますよ」
確かに、そのほうが効率的な気がする。
特に、私は、捜査員の中で唯一の女性で、赤いバッジを渡す側(室長を除けば)だし…
ところが、明智さんが提案した途端、室長は、ちら、と私を横目に見たかと思うと、やれやれ、という風に肩をすくめて、明智さんに向かって溜め息をついた。
穂積
「アンタ、本当に、女心が分からないのねえ……」
その横で、何故かジョンスミスも、人差し指を振りながら、ちっちっち、と舌打ちをしている。
JS
「ムッツリさんともあろう方が情けない。
今、行方不明になっているのは、グリーンバッジに逃げるのを良しとしない、あくまで、素敵な異性とハートバッジを交換する時を楽しみに街をさまよっている、志の高い方々なのですよ」
明智
「そ、それは、そうかもしれんが……」
穂積
「櫻井」
不意に、室長が私に向かって、おいでおいでをした。
JSと明智さんの話の続きが気になったけど、素直に向かう。
翼
「はい。何でしょうか?」
穂積
「アンタにも、あげるわ」
室長の前に駆け寄ると、室長は、自分の胸に付けていた、赤いハートのバッジをひとつ外して、私に差し出してきた。
穂積
「これは、オカマのお父さんからよ。小野瀬同様、予備に使いなさい」
自分の事を「オカマのお父さん」という室長に、思わず笑ってしまう。
翼
「うふふっ、ありがとうございます。
女性の捜査員は私一人だから、足りなくなったらどうしよう、って心配だったんです」
掌に載せてくれたのを受け取って胸に付けると、室長は満足そうに頷き、今度は、青いバッジをどこからか取り出して、私の前で長身を屈めた。
まさかと思う間もなく、そのバッジを、私のジャケットの胸にピン留めしてくれる。
室長のさらさらした髪が、頬をくすぐる……
距離が近いから、つい、長くてきれいな指の動きに見入ってしまう。
一瞬、ふわりと室長のいい香りがしたかと思ったら、次の瞬間、耳元で、低い声で囁かれた。
穂積
「こっちは、『穂積泪』から、お前に」
間近で目が合った瞬間、ふ、と微笑まれる。
ひゃああああ!
まつげ長い!
顔と声と、色気の破壊力が凄い!
穂積
「『桜田門の悪魔』の心臓だからな。魔除けにも、虫除けにもなるはずだ」
いいか外すなよ、とバッジを押され、一気に熱くなった頬を押さえながらこくこくと頷くと、私は、逃げるようにみんなの所へ戻った。
JS
「どうですムッツリさん、あなたに、あれと同じ真似が出来ますか?!」
明智
「……無理だ……」
何故かドヤ顔のジョンスミス、そして、がっくりとうなだれる明智さん。
JS
「失礼ながら、大根役者のあなたが、効率優先で心のこもっていないバッジを棒読みで手渡したりしたら、刑事だとバレてしまうばかりか、せっかくの乙女たちの夢を壊してしまいます。
ナンパやコンパなんて、非現実的だからいいんですよ。
そちらにいらっしゃるFさんやKさんなら、お分かりいただけると思いますが」
藤守
「誰がコンパに夢見る青年Fやねん!」
如月
「自分がリア充だからって、非モテを下に見るのは良くないぞ―ぅ!
オレだって、ナンパ成功した事あるし、彼女がいた時期もあるんだぞう!
何年も前だけど!」
小笠原
「二人とも、言うだけ惨めになるから、言わない方がいいよ」
小笠原さんに言われれて、如月さんと藤守さんが肩を落とす。
なんだか可哀想……と思っていたら、二人の頭を、歩み寄った室長がガシガシと乱暴に撫でた。
穂積
「はいはい仲良くして。
ワタシは、中腹のグリーンバッジポイントで待機しながら、指示を出すわ。
アンタたちは、ゆりが丘市街地と、ゴールのホテル・アマリリス周辺に分かれて、イベントをこなしながら、不明者を捜索してちょうだい」
明智
「小笠原、行方不明者は、男女3名ずつのままだったよな?」
小笠原
「そうだよ」
小野瀬
「現れてくれるといいけど。
俺、もう、バッジをつけてる参加者の女性を見かけたら、片っ端から青いハートを渡してしまおうかな」
穂積
「構わないけど、後で修羅場になるような揉め事起こさないでちょうだいよ。
もしもバッジが足りなくなったら、ワタシか、両方のホテルに主催者がいるから、そこで補充してくれるかしら」
全員
「はい」
室長、いったい、バッジ何個持ってるんだろう。
さっきの事を思い出すと、まだ、胸がドキドキしてくる。
……なんだろう。
室長が、女の子の胸にハートのバッジをつける光景を想像すると、何となく、もやもやして落ち着かない。
今まで「職場のお父さん」としか意識してなかったから、室長って、間近に来るとあんなにドキドキするような人だったなんて、知らなかった。
オカマを装ってても、ほんの一瞬男らしさを出しただけで、あの衝撃だもの。
署の女性警察官たちが騒ぐ理由が分かった気がする。
あれがもし、本気だったら……なんて。
……
……明智さんも、あのくらい、積極的になってくれたらいいのに……。
藤守
「如月、俺は負けへんで、絶対、この、3個のハートバッジの色を塗り替えて見せるで!」
如月
「藤守さん、オレたちの本気を見せてやりましょう!」
JS
「面白そうだから、僕、この二人と一緒に、「ホテル・アマリリス」の方へ行きますよ」
分かれ道で、如月さん、藤守さん、ジョンスミスが私たちとは別の方角に歩き出すのを見送っていると、明智さんが、こちらに近付いて来た。
明智
「じゃあ、俺と、小笠原と、櫻井は、繁華街周辺で、行方不明者の捜索をしようか」
翼
「はい」
明智
「小笠原も、それでいいか?
ナナコを持って歩くのが面倒なら、タクシーで先にホテルに行って、主催者と一緒にフロントに待機して、参加者のゴール状況を、その都度報告してくれてもいいが……」
小笠原さんは少し迷ったみたいだったけれど、首を振った。
小笠原
「一緒に歩くよ」
けれど、そう言った直後、肩から提げていた、ナナコの入ったバッグを下ろして、足元に置いた。
小笠原
「櫻井さん、バッジ、俺と交換して」
小野瀬
「えっ?!」
驚いた声を上げたのは、何故か小野瀬さん。
小笠原さんは小野瀬さんには目もくれず、自分のバッジを外して、私に差し出してきた。
小笠原
「換えてよ。いいでしょ?」
翼
「い、いいですけど、これ、イベントの参加者と交換するつもりで……」
小笠原さんの意図が分からず、私としてはやんわり断ったつもりだったけど、小笠原さんは引かなかった。
小笠原
「大丈夫だよ。
聞いたろ?足りなくなったら、室長にもらえばいいんだ。
俺、きみのが欲しい」
翼
「それは、そう、ですけど……」
視界に、明智さんが入った。
何か言いたそうな表情を浮かべているけど、でも、何も言ってくれない。
翼
「……」
どうすればいいか迷っていると、少し苛立ったような、室長の声が聞こえた。
穂積
「櫻井、時間の無駄よ。
小笠原と交換してあげなさい」
翼
「は、はい」
私は、室長に急かされるように自分の赤いバッジを外して、小笠原さんの青いバッジと交換した。
薄いボール紙と色紙で作られたバッジは、ほんの少し湿り気を帯びているように感じる。
小笠原さんが握り締めていたからだ、と気付いて、私は胸が痛くなった。
あの、いつもクールな小笠原さんが、手に汗を滲ませるほど緊張して、これを差し出してくれたのだと。
小笠原さんは、明智さんと私の関係が、今、とても危ういと知っている。
そのうえで、明智さんの目の前で、私に、ううん、私と明智さんに向けられた、これは、小笠原さんからの、真剣なメッセージだ。
私は、1個減って3個に戻った赤いバッジと、室長と小笠原さんからもらって2個に増えた青いバッジを並べて、胸元に付けた。
小笠原
「ありがとう。これで、頑張れるよ」
穂積
「明智」
室長に声を掛けられて、明智さんが、小笠原さんを見つめていた顔を、室長に向ける。
穂積
「早く行かないと、小野瀬にも取られるわよ」
明智
「!」
明智さんはハッとしたように小野瀬さんを振り返ると、急いで伸ばした手で私の手を掴んだ。
明智
「行くぞ、櫻井、小笠原」
言いながら、もう、坂道を下り始めている。
久し振りに触れてくれた明智さんの手は、やっぱり大きくて力強くて、私を泣きたいような気持ちにさせた。
*****
丘の麓に着いてから5分。
藤守と如月は、最大のモテ期の真っただ中にいた。
「やだー、カッコイイ!
お名前聞いてもいいですか?
こーちゃん?
私とバッジ交換してください!」
「待って待って、あたしが先だから!」
「ちょうだい!ちょうだい!」
如月
「あっ、待ってよ、外さないで、あああ」
(困ったなあ、この子たち、今夜からの参加者だよね。
出来れば、行方不明の顔写真の子たちを、先にゴールさせたいんだけどな…
3個とも取られちゃった……
まあ、いいか、室長に追加してもらえば……)
「藤守さーん、あそこのバルに入りません?」
「とりあえずLINE交換しましょ」
「それより先にバッジ交換しましょ」
藤守
(全員、めっちゃ可愛いやん。
けど、写真の子らは、いてへんなあ。
いやいや待って、キミ、腕組んできて積極的やな!
あと胸、ムネ、当たってますよおねえさーーーん!)
JS
「やれやれ」
大騒ぎの中、ジョンスミスが、パン、と、手を叩いた。
JS
「はい、解散!」
すると。
「……あれ?」
さっきまで、如月と藤守に群がっていた女性たちが、突然、夢から醒めたような、きょとんとした表情を浮かべて、回れ右をして、ぞろぞろと二人から離れてゆく。
JS
「お役に立ちましたか?」
藤守
「ジョンスミス……!
おおきに、言わなアカンのは、分かってる、分かってるで……」
如月
「でも、もう少し、もう少し、小野瀬さんみたいな気分を味わいたかった……」
JS
「地面に膝と手をついて、涙ぐむのはやめてくださいよ。
僕が泣かせたみたいじゃないですか」
藤守
「まんまその通りなんやけど」
JS
「あなたたちが、さっさと済ませないからいけないんですよ?
結局、青いバッジを全部、ほとんど強引に外されて、持って行かれちゃったじゃないですか」
如月
「あっ!言われてみれば、交換してくれてない!取られただけじゃん!」
藤守
「もしかして、あの子ら、少しでも多く青バッジ集めたかっただけなんと違う?
モテアピールしたかったんと違う?
俺ら、カモにされただけなんと違う……?!」
JS
「まあまあ、気を取り直して、一度ルイルイの所に戻りましょう。
追加のバッジをもらってこないと。
あ、そこのお嬢さん。
僕と、バッジ交換しませんか?
はい、どうもありがとう。
それでは、良い夜を」
藤守・如月
「……」
藤守と如月の、真のモテ期はまだ遠いようだ……
******
同じ頃、グリーンバッジポイントの一つでもある、植物園のエントランス。
丘の中腹にあり、ガラス張りの玄関の内側に置かれたガーデンセットの椅子からは、陽の落ちたゆりが丘の、開発の進む街並みが見下ろせる。
穂積はテーブルの上にタブレットを広げ、タッチペンを手に、マッピングを行っていた。
ピアスの光る耳に装着したインカムからは、参加者の動きが、各地に配置した主催者たちによって、逐一送られてくる。
同じデータは小笠原のナナコと共有しているが、小笠原は今、明智や翼と共に徒歩で移動しているはずで、今、この画面を見ているのは穂積だけだった。
特に注目しているのは、先週から行方不明の参加者が今まで立ち寄っていない場所、自宅周辺、人が集まる機会が多そうな場所、最後に立ち寄った場所……。
そして、翼に渡した青いハートバッジに付けた発信機の青い光と、明智のP-phoneが放つ白い光だ。
穂積
(そのまま隣を歩き続けろ、明智。絶対に、離れるな)
強く願う心の片隅で、先ほど別れたばかりの小野瀬の言葉が蘇る。
小野瀬
「分かってるだろ、穂積」
分かってる。
小野瀬
「今、俺たちの中の誰かが本気を出せば、明智くんと櫻井さんの婚約は消える」
分かってる。
小野瀬
「今のまま進めば、あの二人の関係は、ウェディングベルを聞く、まさにそのタイミングで崩れてしまう気がするよ」
分かってる。
小野瀬
「俺は、お前が、櫻井さんをずっと好きだったことを知ってる。
明智くんを、本当に信頼していたことも知ってる。
だから……俺は、見守るだけ」
分かってる。
分かってる。
分かってる。
分かってるんだ。
だからって、俺にどうしろと言うんだ。
明智には忠告した。
何度も。
目の前で、櫻井を揺さぶってもみた。
だが、明智は動かなかった。
櫻井は、俺という男を意識してしまった。
一度で。
そんなに、離れていたなんて。
こんなに。
俺にもチャンスがある、なんて。
穂積
「最低だ」
穂積は肘を付き、頭を抱えた。
穂積
「……頼む、明智……」
植物園には、まだ、誰も来ない。
穂積
「リレーでこの流れは危険なんだぞ、明智……!」