バッドエンドから始まる物語~明智編~
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五日後。
俺は、櫻井の入院している病院を訪ねた。
病院の庭にまわって見ると、杖で身体を支えながら、歩行訓練をしている櫻井が目に入った。
ジャージ姿で一歩、また一歩と、慎重に足を進めている。
額には汗が滲んでいた。
邪魔しないように、そっと近付いて行く。
すると、俺に気付いて、彼女が振り返った。
翼
「明智さん……どうして?」
明智
「休憩」
俺は、持ってきた白い箱を彼女に手渡した。
戸惑った表情の彼女を抱え上げて、ベンチに運ぶ。
明智
「甘いもの、食べるだろ」
翼
「そうじゃなくて……私、あんなにひどい事言ったのに、どうして」
明智
「ひどい事なんか言ってない」
俺は答えた。
明智
「罪悪感まるだしの暗い顔で辛気臭くやってくる刑事には気が滅入るから、来て欲しくないって言っただけだ」
翼
「……」
明智
「けど、一緒に甘いものを食べたいだけの友達なら、来てもいいだろ」
彼女の瞳が潤んだ。
翼
「……それは、その箱の中身しだいです」
わざと拗ねたような事を言う彼女が、可笑しい。
明智
「それは自信あるな。たぶん、世田谷区で一番美味しいフルーツゼリーじゃないかと思う」
翼
「えっ、本当ですか?!私、フルーツゼリー、大好きなんですよ!」
明智
「うん、知ってた」
俺はベンチの彼女の隣に腰掛けると、預けてあった箱を二人の間に置き、開いた。
そこには、色とりどりに輝くフルーツゼリーが四種類入っている。
翼
「明智さん、どれがいいですか?」
櫻井は目を輝かせる。
明智
「お前の為に買って来たんだ。先に選べ」
俺が言うと、小さな手が、そのうちの一つを指差した。
翼
「ブドウ」
俺はスプーンと共に、それを取り出して手渡した。
それから、パインのゼリーを取り出してひとさじ掬い、櫻井の口元に差し出す。
明智
「ほら」
櫻井は一瞬恥ずかしそうにしたが、素直に口を開いて、ぱくんとスプーンをくわえた。
もぐもぐとゼリーを噛む彼女は、いつも思うが、小動物みたいに可愛い。
翼
「何ですか?じっと見て……」
俺に見つめられているのに気付いて、櫻井は、顔を赤らめた。
明智
「いや、カワイイなと思っただけだ」
翼
「……明智さんって、いつも思いますけど、天然ですよね」
明智
「てんねん、って何だ?」
櫻井は噎せそうになりながら、ゼリーを飲み込んだ。
ゼリーを食べ終えた後、櫻井が首を傾げた。
明智
「どうした?」
翼
「これ、世田谷区で一番美味しいゼリーって言いましたよね?」
彼女は、空になったプラスチックのカップを陽にかざした。
翼
「でも、私の知る限り、これは二番目です」
明智
「えっ、そんな馬鹿な」
俺は思わず声を出していた。
そんなはずはない。
雑誌で何度も取り上げられているし、俺が実際に食べてみた中でも、この店のこのフルーツゼリーは絶品だ。
翼
「本当です。……世田谷区で一番美味しいゼリーを作るのは、明智さんです」
明智
「え、えっ?!」
俺はびっくりしたが、櫻井は真顔だ。
翼
「お世辞じゃないですよ。私、舌には自信があります。前に差し入れしてくれた明智さんのフルーツゼリーの方が、ずっと美味しいです」
明智
「……そんな、馬鹿な」
納得出来ない俺に、櫻井は、いたずらっぽく笑った。
翼
「信じられないなら、私が休職している間、実家で売ってみましょうか?」
明智
「はあ?」
意味が分からない。
翼
「実は、病院での治療自体はもう終わるので、そろそろ退院しないといけないんです。だから、休職が許される間、実家でリハビリしようと思ってるんです」
……それで、なぜ俺のゼリーの話になるのか。
翼
「実家で母と二人で居間に座っているより、ゼリーを買うお客様が来てくれる方が楽しいですもん」
……なるほど。
確かに、退屈なリハビリ生活の中で、ひとつの刺激にはなるだろうな。
明智
「……だったら、レシピを教えてやる。お前とお母さんで作って、それを売れ。その方がリハビリにもなるだろう」
櫻井は、ぱん、と手を打った。
翼
「明智さん、それ名案です!」
こうして、よく分からぬうちに、俺のレシピで櫻井がゼリーを作り、彼女の実家で売るという計画が動き出してしまった。
後日、室長に相談すると、室長は久し振りに笑って、分かった応援する、と頷いてくれた。
公務員はアルバイト禁止なので、表向きは、お母さんの手作りゼリーの店だ。
櫻井から話を持ち掛けられたお母さんは乗り気で、すぐに様々な手続きをクリアして、販売を始めてくれた。
お母さんにしても、落ち込む娘を見ているより、張り切る娘の姿の方がいいに決まっている。
庭先に構えた小さな店には、ゼリーばかりではなく、パンやクッキーも一緒に並べた(これも、俺のレシピを櫻井が再現したものだ)。
開店の日には、俺の姉たちも行列に並んだ。
櫻井の友人や警視庁の女性職員たちをはじめ、近所の人たちも大勢、買いに来てくれた。
室長や小野瀬さん、捜査室の全員が応援に来たのは言うまでもない。
売れるのも最初のうちだけ、と冷静に眺めていた俺だったが、何と、この商売は二ヶ月ほどで軌道に乗ってしまった。
クチコミだけで、予約は数日待ち、店頭販売は半日で完売という人気店になってしまったのだ。
翼
「ううう、困りました」
閉店後、実家の居間でお茶を飲みながら、櫻井が頭を抱えた。
翼
「明智さんのお菓子、人気が出過ぎちゃいました」
俺は正座のまま、出されたお茶を飲み干した。
開店以来、俺は、アドバイザーとして、毎日この家に来るのが日課になっていた。
今ではご両親ともすっかり仲良くなり、櫻井とは、もっと仲良くなった。
櫻井のリハビリは順調で、日常生活にほとんど支障が無いほど回復した。
警視庁への復職も可能になったのだ。
彼女が戻りたいと言った時の為に、室長は、小野瀬さんのラボをはじめ、足に負担がかからず、しかも櫻井の才能を活かせる異動先を、いくつも用意してくれてある。
ところが、ゼリーやケーキに大勢のリピーターがついてしまい、櫻井が復職すると、残ったお母さん一人では店が現状維持出来ない状況になってしまったのだ。
父親
「悩む事は無い。警視庁は辞めて、このまま菓子を売れ」
俺の向かいの上座から、お父さんがあっさりと答を出した。
父親
「どんな事情だろうと、一度始めた事を簡単に投げ出すのはいかん」
翼
「ううう……」
お父さんは、櫻井を一瞥してから、俺に顔を向けた。
父親
「誠臣くんには、感謝している。君は、我が家に活力を呼び戻してくれた」
お父さんと、お母さんにも頭を下げられて、俺の方が慌てた。
明智
「いえ、俺は、何も」
父親
「穂積の部下にしては出来過ぎだ。……どうかね、うちの婿になる話、考えてくれたか?」
明智
「それは……」
翼
「お父さん!明智さんは明智家のご長男だよ!」
父親
「ご実家にはお姉さんが三人もおられるんだろう。誠臣くんがこちらに住んでくれる事に、何の問題がある」
俺は困って、口を挟んだ。
明智
「お話はありがたいのですが、姉たちはその、家事が全く出来ませんので、自分がいないと家の中が大変な事に」
父親
「君を頼り過ぎてるんだろう。時には突き放す事も愛情だぞ」
駄目だ。
俺は、この人に論戦で勝てる気が全くしない。
それに櫻井は可愛いし、毎日家にいてくれる優しいお母さんと、厳しいが家族思いのお父さんは、どちらも、今までの俺には無かったものだ。
なおも言い合う櫻井とお父さんを見比べていると、目の合ったお母さんが、くすくす笑いながら、お茶を入れ直してくれた。
俺はいつか、この居心地の良さに負けてしまうだろう。
甘い香りのする家の空気を吸い込みながら、俺はいつしか微笑んで、家族団欒の中に溶け込んでいる自分を楽しんでいた。
~END~
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