いつか大人になる日まで
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穂積泪
~翼vision~
翼
「よっ、……と、と?」
畳み終えたバスタオルを脱衣所の棚にしまおうと背伸びをした時、踏み台が傾いた。
翼
「ゃ!」
思わず息を飲んだ瞬間、背後から音も無く伸びてきた腕が、バランスを崩した私の背中を支えた。
……温かい掌。
その腕は私の手からタオルを奪って、苦もなく棚に乗せてしまう。
踏み台から落ちかけた私の頭と背中は、その腕の持ち主の胸に受け止められる形で、とん、と止まった。
翼
「あ、ありがとう……」
私が笑顔で振り返ると、たった今バスルームから出て来たばかりの泪さんが、一瞬だけ微笑んで、すぐに怖い顔をした。
穂積
「アホ!俺を呼べ!」
大きな声に、私は反射的に身をすくめた。
穂積
「高い所に手を伸ばすとか、低い所の物を取るとか。そんな事は俺にやらせればいいんだ!」
言いながら泪さんは私の身体を持ち上げ、踏み台から下ろす。
翼
「でも、……このぐらい」
私は、ちらりとさっきの棚を見上げた。
翼
「……泪さんを呼ぶほどじゃないかな、って」
穂積
「普段なら、それでいい。だが今は違う」
泪さんはまだ怖い顔だ。
穂積
「お前、妊婦なんだぞ。そんなでかい腹抱えてて、まだ自覚が無いのか?」
後半は呆れ顔の泪さんに、妊娠八ヶ月のお腹を指差されて、私は小さくなった。
翼
「うう……すみません……」
その時、私はようやく気付いた。
バスルームの中で、シャワーのお湯が出しっぱなし。
泪さんはタオル一枚の全裸で泡だらけ、髪からはまだ雫が滴り落ちている。
翼
「……」
この人、シャワーの途中だったんだ。
それなのに、あんな短い悲鳴に反応して、飛び出して来てくれた。
私が脱衣所に入った時から、気にかけていてくれたのに違いない。
それなのに、当の私ときたら……。
申し訳ない気持ちが込み上げてきて、私は、ぺこりと頭を下げた。
翼
「……ごめんなさい、泪さん。ありがとう」
穂積
「礼なんかいらん。いいか、無理はするなよ」
泪さんは私の髪をくしゃくしゃと掻き回した後、さっさとバスルームに戻って行った。
……ぶっきらぼうだけど、優しいんだよね。
私は、閉じられた曇りガラスの向こうでシャワーを浴び直すシルエットに、もう一度頭を下げた。
穂積
「翼ー」
泪さんに代わってお風呂に入った私が脱衣所で髪を乾かしていると、外から泪さんに名前を呼ばれた。
翼
「はーい」
穂積
「靴下を履かないで来いよ」
翼
「?」
首を傾げながらも、言われた通りに出て行くと、泪さんはソファーで待っていて、私に気付くと立ち上がった。
穂積
「座れ。足の爪切ってやる」
翼
「えっ!」
確かに、ちょっと気になってはいた。けれど、お腹が大きくなって前屈みが苦しいので、爪切りを一日延ばしにしていたのだ。
でも、泪さんに、そこまでしてもらうなんて!
穂積
「いいから、いいから」
私がどんなに遠慮して断っても、泪さんはニコニコしている。
こうなったこの人は止められない。しつこく断れば、今度はきっと怒り出す。
翼
「……」
観念してソファーに座ると、すでに準備を整えていた泪さんは、私の前の床に胡座をかいて、私の脚を持ち上げた。
穂積
「うん、綺麗な脚だ」
そう言うと爪切りを構え、私の足の爪を切り始めた。
私はもう真っ赤。
けれど、泪さんの手捌きは丁寧で、びっくりするほど上手だ。
穂積
「痛かったら言えよ?」
翼
「ううん、気持ちいい。泪さん、上手だね」
穂積
「なんか不思議だよな」
右足の人差し指の爪を切りながら、泪さんが呟いた。
翼
「え?」
泪さんの手が、中指に移る。
穂積
「自分が、少しずつ変わっていく気がする」
翼
「……」
穂積
「今までの俺なら、妊婦が転んでから、『大丈夫か?』って聞いただろう。誰かに爪を切ってくれ、なんて言われたら、『ふざけんな』って怒鳴ったかもしれない」
泪さんは苦笑いを浮かべていた。
穂積
「ところが今は、お前のする事がいちいち気になって仕方がない。転びそうになってないか、悩みはないのか、足の爪は伸びてないか」
小指の爪まで切り、ヤスリもかけ終えて、泪さんはそれをまとめてごみ箱に捨てた。
穂積
「昔の俺が今の俺を見たら、気持ち悪い男だと思うだろうな」
翼
「そんな事ない」
泪さんは私の反論を笑って受け流すと、膝立ちになって私の腰に腕をまわし、お腹に耳を当てた。
お腹の中で、赤ちゃんが活発に動き出す。
翼
「お父さんが分かるんだよ」
穂積
「まさか。でも、確かに、ここにいるんだよな」
泪さんが話し掛けてお腹を撫でると、赤ちゃんが応える。
泪さんは笑うけど、本当に、他の人が触る時とは反応が違うの。
赤ちゃんには分かるんだよ。
穂積
「十ヶ月も、こんな腹を抱えて育てるんだもんな。女ってすげえよ」
翼
「あとニヶ月だよ。それに、私の場合、双子だから、余計に大きいの」
穂積
「お前ってすげえよ」
お腹に頬擦りしながら、泪さんが私を見上げている。
穂積
「尊敬する」
翼
「すごくないよ。楽しみだもん。女の子と、男の子。泪さんと、私の赤ちゃん」
穂積
「判事……お義父さん、もう、名前考えてたっけな」
翼
「うん。女の子は秋、男の子は霜」
泪さんが両腕を伸ばして、愛おしげに私のお腹を抱く。
穂積
「秋、霜」
お腹の赤ちゃんが応える。
穂積
「愛してる」
お腹に唇を当て、幸せそうに目を閉じた泪さんの髪を、私は軽く引っ張った。
穂積
「ん?」
翼
「……私にも」
泪さんはくすぐったそうに笑ってから、身体を起こして、私からせがんだキスに応えてくれた。
穂積
「愛してる」
鼻先を付けたまま、泪さんが笑顔で私を見つめる。
穂積
「お前も、子供たちも、お義父さんもお義母さんも。明智も藤守も小笠原も如月も、細野もフトシもそれから小野瀬も」
泪さんの碧色の目が、潤んでいた。
穂積
「お前と俺を繋いでくれた全てが、愛しくてたまらない」
泪さんはまた、私に唇を重ねた。
穂積
「……ああ、ちくしょう。……恥ずかしくてウゼエよな、俺」
真っ赤になって俯く泪さんに、私は思い切り抱きついた。
翼
「ううん。今の泪さんは、最高に格好いい」
穂積
「馬鹿言え。家庭的な俺とか、ありえねえだろ。このままだと、オムツとか替えちゃう男になるぞ」
泪さんは真顔で眉をひそめる。
でも、その顔はますます真っ赤だ。
穂積
「……それでも一緒にいてくれるよな?」
翼
「うん。絶対、離れない」
泪さんの大きな手が、私を撫でてくれる。
私は大きな声で言った。
翼
「てせちすっで、いっでいっどきいよな」
前に泪さんが言ってくれた、鹿児島の言葉。
一生一緒にいような、って言葉。
泪さんは、声を立てて笑った。
穂積
「好っじゃっで、翼」
泪さんの唇が、額に、頬に降り注ぐ。
穂積
「お前と、俺と、この子供たちと。一生、一緒に生きて行こうな」
うん。
応えるように、お腹の中で、赤ちゃんたちが元気よく動いた。
~穂積編END~
~いつか大人になる日まで END~
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