うさぎと鑑識官 *ストーリー原案・n.nyanさん
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~小野瀬vision~
暑い。
普段、鑑識ラボで白衣を着ないと肌寒いくらいの環境にいる俺にとって、残暑とは名ばかりのこの日射しと熱気はまるで拷問だ。
新幹線の車内も冷房が効いていたものだから、うっかり水分補給するのも忘れた。
このまま混雑する地下鉄に乗り換えたら、倒れる。
ふらふらしながら、一旦、丸ノ内側の南口へ出た俺は、自販機でスポーツドリンクを買い、人混みを避けて、日陰のベンチに座り込んだ。
ペットボトルを開けてごくごくと飲んでいると、電話が鳴った。
小野瀬
「……ああ、穂積……。うん、今着いた。……そうなんだ、暑くて死にそう。……車で?……迎えに来てくれるの?……ありがと。……うん、待ってる」
電話を切って、はあ、と溜め息をついた。
俺も忙しいけれど、穂積も、刑事部に新設が決まった『緊急特命捜査室』の室長に抜擢されたばかり。
今は、警視庁の中から、部下にする人材を探している段階で、毎日忙しいはずだ。
駅から警視庁までは目と鼻の先の距離で、いっそ、北口からタクシーに乗っちゃえば良かったぐらい。
だから放っておくのが普通なのに、俺が、八月半ばの出張でくたくたになって帰って来ただろう事をちゃんと見抜いて、こうして電話をくれる。
本人に面と向かって言うのは照れ臭いけど、有り難い。
持つべきものは友だよね。
小野瀬
「……はあ……」
俺はまた溜め息をついた。
思っていた以上に、渇いていたらしい。
迎えが来てくれるという安心感と、補給した水分が、身体中に染み渡っていくのが分かる。
急激に疲労を感じて、俺は、重くなった身体を壁に預けた。
うっすら開いた目で、ロータリーをぼんやりと見渡す。
すると、はとバス乗り場の辺りに、行き交う車と、駅前を往き来する人々に紛れて、やけに大きなピンク色の物体が動いているのが見えた。
それはうさぎの着ぐるみで、交通課の警察官のような縞の腕章を着け、白い警笛を肩から提げている。
改めてよく見れば、ロータリーのあちこちに、『交通安全・警視庁』などと染め抜かれた幟が立てられていた。
という事は、あのうさぎは同業者か。
今、俺は日陰にいるけど、それでも、体感気温は30℃を超えているだろう。
本日は晴天で雲ひとつ無く風も無い。
こんな茹だるような炎天下で、あんな重くて分厚い着ぐるみを着て、息苦しい上に汗臭い思いをしなければならないなんて、ああ、やだやだ。
どうせ交通課の新人警官が着せられてるんだろうけど、可哀想に。
俺はうさぎに同情しながらペットボトルの中身を飲み干すと、目を閉じた。
気持ちが悪い。
既に、半ば脱水状態に陥りかけていたのかもしれない。
水分を補給しても、人体がそれを吸収するまでには時間が必要だ。
俺はぐずぐずとベンチに横になった。
知り合いの多い地下鉄の桜田門駅ならともかく、こんな大きな駅の前で、ベンチで寝ている俺ひとり、誰も気に留めたりしない。
しばらくこうしていれば、穂積が来てくれる……。
じわりと汗が滲んできた頃。
不意に、ひんやりとした布が額にあてられた感触があった。
小野瀬
「……穂積……?」
ゆるゆると目を開いた俺は、次の瞬間、その目を見開いた。
寝ている俺を上から覗き込むようにして、あの、ピンクのうさぎの大きな顔が、視界を塞いでいたからだ。
小野瀬
「わあっ!」
反射的に飛び起きた俺は、ぼす、と音を立てて、うさぎに頭突きをしてしまった。
小野瀬
「あっ、ご、ごめん!」
うさぎが俺を心配して、 様子を見に来てくれたのだという事は、すぐに分かった。
俺の汗を拭く為に濡らしてくれたのだろう、水色のハンカチが、清潔な匂いのまま、俺の顔から、胸の上にぱたりと落ちたからだ。
急いで返そうとしたら、うさぎは、『大丈夫』という動作をした後、そのハンカチを太い指先でつまんで、俺の額にあて、ぽんぽんと汗を押さえる仕草をした。
その動きがコミカルで、俺はつい笑ってしまう。
通り過ぎていく人たちも、微笑んでいる。
差し出されたハンカチを素直に受け取り、うさぎの身振りに合わせて額や首筋を拭くと、だいぶ気分も落ち着いてきた。
小野瀬
「どうもありがとう。助かったよ」
俺がお礼を言うと、うさぎはぺこりとお辞儀を返した。
お礼を言っているのはこちらの方なのに。
小野瀬
「きみ、交通課の新人くんだよね。俺の事、知ってる?鑑識官の、小野瀬っていうんだけど」
うさぎはちょっと驚いた(ように見えた)後で一歩下がると、『すみません』という風に頭を下げてから、敬礼した。
俺の事、まだ知らないんだ。
しかも、うさぎでいる間は口をきいちゃいけない、って、先輩にでも言われてるのか、全然声を出さない。
小野瀬
「ハンカチ、洗って返すからね」
うさぎはぶんぶんと首を横に振ると、腰を折って、両手で『どうぞ、どうぞ差し上げます』という仕草をした。
小野瀬
「いや、返すから」
俺、短時間の間に、無言のうさぎとコミュニケーションがとれるようになってる……。
その時、ロータリーに見覚えのある車が入って来た。
そちらに気を取られた隙に、うさぎはくるりと背中を向ける。
小野瀬
「あっ、待って!名前……!」
けれど、うさぎは文字通り脱兎の如くダッシュで道を渡ると、追い掛けようとした俺を振り切って、逃げていってしまった。
穂積
「お前、うさぎまで口説いてんのか」
諦めてベンチに戻って来た俺を、車から降りた穂積が冷たく迎えた。
小野瀬
「そんなんじゃないよ!あのうさぎ、ハンカチを貸してくれたんだ」
俺は、手元に残った水色のハンカチを示した。
穂積
「へえ」
穂積は、少し離れた、幟が立ち並ぶ一角に逃げていくうさぎの背中を見送って笑った。
穂積
「あんな遠くから、お前の体調不良を心配して来てくれたのか?この暑い中で啓蒙活動してるだけでも感心なのに」
助手席のドアを開け、俺を促して座席に座らせながら、穂積は改めてうさぎを見つめた。
穂積
「なかなか出来たうさぎじゃねえか。俺のところににスカウトしてみようかな」
そう言って笑った穂積だったが、運転席に乗り込んだ時にはもう、俺が出張前にやり残していった分析についての話をし始めた。
気になっていた案件だったから、俺もその話に乗って話し始め……結局、警視庁に着くまで、うさぎの話になる事はそれきり無かった。