ポケット穂積
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穂積
「……櫻井、すまない」
静かになった園庭で、室長が、私を振り返った。
穂積
「約束を、守れなかった」
翼
「……えっ?」
聞き返す私から、室長は視線を移した。
その視線を追って振り向いた私は、園舎から私たちに向かって、静かに歩いて来る明智さんに気付いた。
翼
「明智さん」
呼び掛けると明智さんはそこで足を止め、深々と頭を下げた。
突入に加わっていた事を詫びているんだろうか。
突入を止められなかった事を悔いているんだろうか。
でも、それは明智さんのせいじゃない。
それよりももっと、私は明智さんに訊きたい事があった。
翼
「明智さん、泪さんは?!」
突入した時、教室には泪さんがいたはずだ。
明智さんなら、きっと、まだ帰って来ない泪さんの行方を知っているはずだ。
明智
「……」
駆け寄って長身を見上げた私たちに、明智さんは、憔悴した顔を横に振って、もう一度、頭を下げた。
そんな。
翼
「……発信器。そうだ、泪さんには発信器がついてるんでしょう?!」
それに気付いた私は、明智さんと小笠原さんを交互に見た。
教室に潜入していた時、二人は受信機で泪さんの位置を知っていたじゃない。
なぜ、もっと早く思い出さなかったんだろう。
明智
「発信器は、川原ワタルのシャツの襟に付けられていた」
明智さんは、握り締めていた拳を開いて、小さな小さな丸い粒を、私の手のひらに乗せた。
泪さんのピアス。
私は小笠原さんを見た。
小笠原
「言っておくけど、こんな事の為に作ったんじゃないよ。きみとはぐれた時の為に、付けておいたんだ」
小笠原さんの声は、珍しく言い訳めいている。
明智
「……たぶん、泪さんは、川原が逃走する事を想定して、自分の発信器を川原の襟に付けたんだろう」
希望の光がひとつ消える。
小笠原
「きみにも受信機を渡しておこうと思った。でも、きみには必要ないって言われて」
翼
「……どうしてですか?」
私だって欲しかった。離れていても、泪さんの居場所が分かる道具。
明智さんと小笠原さんが持っているなら、なおさら。
小笠原
「……」
小笠原さんは、ちらりと室長の顔色を窺ってから、言った。
小笠原
「『俺は、あいつから離れないから』って。『はぐれたら、俺があいつを探すから』って」
翼
「……!」
涙が込み上げてきた。
明智
「……櫻井、伝えておかなければならない事は、もうひとつあるんだ」
明智さんの声が、私の涙を食い止めた。
明智
「言いにくいんだが……その……」
穂積
「あいつ、怪我をしているらしい」
口ごもってしまった明智さんの言葉の続きを、室長が引き取った。
全員
「怪我?!」
室長が頷いた。
明智
「……川原ワタルが銃での自殺に失敗し、ナイフを自分の胸に突き立てようとした時、……人形が川原に飛びついたという目撃証言があった」
人形が……
穂積
「川原が驚き、しがみつく人形を振り払おうとしてナイフを持つ手を大きく振った。人形は飛ばされて壁に当たり、床に落ちた」
室長は、他人事のように冷静に語った。
穂積
「ごく少数の園児の証言だがな」
明智
「その直後にSITが突入したので、……何もかも、うやむやになってしまった。……現場には血痕が残っているが、川原にも園児たちにも、もちろんSITの隊員たちの中にも、怪我をした人間はいない」
私たちは誰も、その時の様子を知らない。
想像するしかないのだけれど、私には、情景が目に浮かぶようだった。
小笠原
「……教室の血痕とナイフを調べたとして、室長の血がそこに付着する理由が説明出来ないよね」
藤守
「そやかて、人形が川原の自殺を止めたのを見たって子らがおるやん」
明智
「血痕といっても微量だし、検出出来るかどうか……」
如月
「あんな場面での、幼稚園児の証言なんて……採用されませんよね」
藤守
「でも、銃に粘土が詰め込まれてたのかて、穂積くんがやったんやろ?」
小笠原
「俺たちにはそうとしか考えられないけど、でも、粘土は全員のロッカーに入っているし、他の園児や、共犯の高木でも可能ではある」
藤守
「そしたら……そしたら……」
ひとつ、またひとつと消えてゆく希望の光。
藤守さんは今にも泣き出しそうだ。
藤守
「そしたら、穂積くんはあの場にいなかった事になってまうやないか!」
翼
「藤守さん……」
全員が黙り込んでしまった。
藤守
「確かにいたやん!俺ら、全員知ってるやん!如月!」
如月
「……」
如月さんが泣き出した。
大きな目から、涙があふれる。
如月
「知ってますよ。仲間ですよ。さっきまで、ここで一緒にいましたよ。でも、でも、今は」
藤守
「『でも』って何や!……近くにおんねん。怪我しとんねん。探してやらな!」
涙を拭いて駆け出そうとした藤守さんと如月さんの腕を、室長が後ろから掴んだ。
穂積
「やめろ。こんな真っ暗い中で現場を荒らすな。……周辺なら、俺と明智が隈無く調べた。何も無かった」
藤守
「室長……」
穂積
「何も、無かったんだ」
わっ、と叫んで、藤守さんと如月さんが室長に縋りつく。
声を殺して泣く二人を、室長はしっかりと抱き止めた。
翼
「……」
明智
「櫻井」
明智さんが、ハンカチを差し出してくれた。
いつから泣いていたんだろう。
けれど、その青いハンカチを見た瞬間、私はもう嗚咽を止められなかった。
泪さん。
俺はずっと考えてた。
どうして生まれてきたのか、何をするべきなのか。
泪さん。
あなたは、今日のために生まれてきたの?
俺には家族がいた。
仕事があった。
仲間がいた。
お前がいた。
だが『俺』には何も無い。
あなたが欲しかったものは、何もかもここにあるよ。
あなた自身が手に入れたんだよ。
俺は、俺の存在を実感したい。
今、生きている証が欲しいんだ。
泪さん。
あなたの存在を実感したいのは、今、私たちの方。
『私から離れない』って言ってくれたんでしょ。
『はぐれたら、俺があいつを探すから』って言ってくれたんでしょ。
お願い、帰って来て。
会いたくてたまらないの。
私たちは泣きながら、いつまでも、泪さんの消えたその場所を離れられずにいた。