ポケット穂積
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それからの数日間は、本当に楽しかった。
藤守さんは毎日1体ずつ、捜査室メンバーのフィギュアを作ってきてくれて。
明智さんは毎日小さなお弁当を用意してくれて。
如月さんは車でのパトロールには必ず助手席に泪さんを乗せて行ったし。
小笠原さんは洋酒のミニチュアボトルと引換に、怪しい実験に付き合わせていたし。
小野瀬さんは隙あらば泪さんをラボに連れて行って、話し(遊び?)相手にしていたし。
私は頑張って泪さんに甚平や浴衣を縫ってあげたり、
おもちゃ屋さんに連れて行ってアレンくんやチルバニアファミリーと対面させたり、
自宅で室長と二人で寝ているところを、こっそり写真におさめたりして。
このころになると、私は、もしかしてこのまま、いつまでも泪さんとの暮らしが続くのではないかと思い始めていた。
けれど、ミーティングテーブルに、藤守さんのフィギュアの最後の一体が加わった日。
つまり、私のフィギュアが完成して、室長と泪さんを真ん中に、大小のメンバー全員で記念撮影をした日。
事件は起こってしまった。
穂積
「江戸川区の幼稚園で発生した立てこもり事件は、依然として膠着状態が続いているわ。SIT出動に合わせて、我々緊急特命捜査室も現場に投入される事になったので、準備を開始してちょうだい」
この日、午後2時。
遊具の搬入業者を装って幼稚園に侵入した犯人グループは、建物の2階、年長組の1クラス20名の幼児と2人の保育士の女性を人質にして、立てこもりを開始した。
当該クラス以外の幼児や職員は解放されたものの、園庭など敷地内への立ち入りは禁止され、建物に近付く事は出来ない。
交渉は現在、保育士の携帯電話を使って、現場の警察官との間で行われているのみで、要求の内容は不明。
避難した職員たちの証言から、少なくとも犯人の1人は銃を所持していると思われ、また、人質が多数の幼児であるという理由から、日暮れ前には警視庁SIT(刑事部の特殊部隊、一般刑事事件の強行犯に対処する、特殊犯捜査係)の投入が決定したのだ。
穂積
「我々の主な任務は、SITの活動支援。特に、明智はSATに所属した経験があるため、突入命令が出た際には、その補助を行うよう命令が出ているわ」
明智
「了解です」
穂積
「全員、現場には防弾ベストを着用して行く事。いいわね」
全員
「了解」
穂積
「では、ミーティングは以上。身支度が整い次第、ワタシと藤守の運転する車に分乗して、現場に向けて出発するわよ。17:00までには、全員、準備を完了するように」
全員
「了解!」
室長の号令一下、全員が慌ただしく動き出す。
ブラウスの上に防弾ベストを着用し終えた私は、椅子に掛けておいたジャケットのポケットから、泪さんが私を見上げているのに気付いてハッとした。
翼
「……泪さん」
泪
「お前、ガチガチだぞ。力を抜け」
泪さんは呆れたように笑った。
泪
「緊張して、俺を連れて行くのを忘れるなよ」
私はびっくりした。
翼
「えっ、駄目だよ。人が多いし、危ないし。心配だから、小野瀬さんの所に居て!」
泪
「お前の方が心配だ。それに、残されても退屈だし、小野瀬も忙しくなるしな」
泪さんはそう言うと私の身体をするする登ってきて、ベストの下のブラウスの胸ポケットに潜り込んだ。
翼
「あっ。駄目だってば、泪さん!」
穂積
「櫻井ー、支度出来た?行くわよ」
こうなったら室長に止めてもらうしかない。
そう思って振り向いた私は、ロッカーを閉めて現れた明智さんの姿に息を飲んだ。
それは、SITの突入服である、黒色のアサルトスーツ。
私たちの防弾ベストとはまた違う、様々な装備品の付いたタクティカルベスト。
それは間違いなく、危険な場所に向かう警察官だけが身に付けるもので。
さっき聞いた「突入」という単語が、突然の現実味を増して私に迫ってきた。
翼
「……明智さん……」
言葉を失う私の背中を、明智さんは大きな手でぽん、と叩いた。
明智
「行くぞ、櫻井」
翼
「は、はい」
私は明智さんの迫力に圧され、ただ頷いて後を追った。
室長の運転する車には、助手席に明智さん、後部座席に私と泪さん。
室長と明智さんはずっと難しい打ち合わせをしていて、私はそれを黙って聞いているだけなのに、どんどん緊張が高まっていく。
悪い胸騒ぎがおさまらない。
苦しくなってベストをぎゅっと握り締めた時、温かいものが私の手に触れた。
顔を動かして見ると、小さな泪さんが私を見上げて、抱きつくようにして手を握ってくれていた。
落ち着け、と、その唇が動いた。
泪
「俺がついてる」
私はその時ようやく、泪さんが私に、半ば強引についてきた理由が分かった。
室長は今、事件の全体を俯瞰で見ている。
犯人の事、人質の事、警官の配置、刻々と変わる現状。
明智さんを含めた全員がどう動くべきか、事件を解決する糸口はどこか。
今この時、彼の頭脳から、私との恋愛は切り離されているはずだ。
だからこそ、室長の考える事が分かるからこそ、今、泪さんは私に寄り添ってくれている。
私だけを見つめて、「俺がついてる」と言ってくれている。
私は運転席の室長の背中を見つめ、胸元にいる泪さんの顔を見つめた。
室長は私を見ない。
その代わりに泪さんが私を見つめて、微笑んだ。
私は泪さんを掌で包むように撫でながら、自分がもっと大きなもので包まれているような感覚を味わっていた。
そして現場に着く頃には、私はすっかり、平常心で事件に臨む事が出来るようになっていたのだった。
「穂積室長、こちらへ」
現場に着くと、室長は、すぐに指揮官に呼ばれて行ってしまった。
明智さんもSITに加えられた。
一人になった私は立てこもり事件特有の緊迫した雰囲気の中で、現場の幼稚園を見渡した。
あちこちに花や動物の配された、二階建ての可愛らしい建物。
普段なら子供たちの元気な姿と楽しそうな笑い声が溢れているはずの場所。
けれど今その場所は警察官に包囲され、全ての教室の窓はカーテンが閉められて、中の様子は見えない。
規制線の外は関係者やマスコミや野次馬でごった返していて、騒然とした雰囲気だったのに、現場は逆に静まり返っているのが不気味だ。
日暮れが近付き、辺りは薄暗くなりつつある。
人質は幼児と女性だし、体力の消耗も心配される。
私は藤守さんたちの到着を待ちながら、なるべく人目を避けて立った。
翼
「交渉がうまくいってないのかな?」
他の人に泪さんの存在を気付かれないように、私は独り言を装って、小声で囁いてみる。
泪
「むしろ失敗しているようだ」
翼
「えっ?」
私はぎょっとした。
思わず声が出てしまって、辺りを見ながら口を押さえる。
泪
「2階の通路に若い男がいるだろ。あれが交渉を担当している警官だ。さっきから何もしていない」
翼
「……」
確かに。携帯電話は手にしているけど、使っている様子はない。
泪
「それから、園庭のフェンス近くで、今、俺と話をしている年配の男がいるだろ。あれが指揮官だ」
室長に噛みつくように話をしているのは、大柄な男性。
特殊犯罪対策官か、第1特殊犯捜査の管理官だろうか。
泪
「事件の解決よりも人質の解放を優先するあまり、強行手段に出る事が多い。だから俺が呼ばれたんだろうけどな」
私が考えを巡らせていると、藤守さん、如月さん、小笠原さんが到着した。
3人は野次馬の人垣と規制テープを抜けて、私の元に来る。
泪
「如月、小笠原。職員に協力を求めて、人質になっている子供の保護者の所在を確認しろ」
到着するなり、小さい泪さんに指示を出された如月さんと小笠原さんだったけど、すぐに「了解」と返事をして、職員室に向かって走ってゆく。
泪
「藤守」
泪さんが、藤守さんに向かって手を伸ばした。
辺りはもうかなり暗くて、小さな泪さんに気付く人はいない。
藤守さんが泪さんを抱き上げると、私の胸は途端に震えた。
翼
「泪さん?」
泪さんはさっきまでの私にしたのと同じように、藤守さんが防弾ベストの下に着ているシャツの胸ポケットに忍び込んだ。
泪
「翼、これから夕食を手配する。それを、今あの交渉人のいる場所まで持って来て欲しい。出来るか」
泪さんの言葉、そして泪さんが藤守さんのポケットに移った意味を考えながら、私は頷いていた。
翼
「はい」
交渉がうまくいっていないのなら、犯人も警察も気が張っているに違いない。
見たところ他に女性刑事はいないし、私みたいな相手なら、犯人も警戒しないはずだ。
これまでの経験から、私にも、そのくらいの事は分かるようになってきていた。
それに、さっき、泪さんは「行け」ではなく「来い」と言った。
きっと、泪さんは藤守さんと先行して、安全を確かめてから私を呼ぶつもりなのだろう。
だから、泪さんは藤守さんのポケットに入った。
私はそう解釈して、頷いた。
翼
「分かりました」
泪
「藤守、気付かれないように交渉人の所まで行け。そして、夕食の差し入れを犯人と交渉するように伝えろ」
藤守
「はい」
藤守さんは室長に全幅の信頼をおいている。
それは、相手が泪さんでも変わらない。
迷わず返事をすると同時に、藤守さんは泪さんをポケットに入れて、行動を開始した。
20分後、地元警官たちがコンビニを廻って買い集めて来てくれた50個ほどのおにぎりが到着するのを待っていたように、室長が私の元に来た。
穂積
「行けるわね」
翼
「はい」
そこへ、如月さんと小笠原さんが、それぞれ別の方向から戻って来た。
二人は互いの資料を付き合わせてから、室長に向き直った。
如月
「現在、行方の分からない保護者はいません。七割以上は敷地内の講堂に集まって成り行きを見守っていますし、残りも職場や自宅にいて連絡の取れる状態です」
如月さんの報告を待って、小笠原さんが口を開いた。
小笠原
「ただ、人質になってる幼児の一人、川原めぐの両親は今年の春に離婚してる。夫である男性は、本日、無断欠勤していて、所在が確認出来なかった。離婚原因は妻の浮気」
如月
「それともう一人、保護者ではありませんけど、送迎バスの運転手を兼ねている用務員の姿が、事件発生当時から見当たらないそうです」
室長は頷いて、小笠原さんと如月さんの肩にそれぞれ手を乗せた。
穂積
「二人とも、短時間でよく調べたわ。これが交渉の糸口になるかもしれないわよ」
室長に褒められて、小笠原さんと如月さんの表情が輝く。
室長は二人からの報告を持って自ら指揮官の元へ行ったものの、すぐに戻って来た。
その表情は険しい。
穂積
「SITが突入を決めたわ」
室長は舌打ちした。
翼
「えっ」
小笠原
「ちょっと性急じゃない?」
普段クールな小笠原さんまで、語気を強めた。
如月
「そうですよ。犯人の目星がついたんだから、これからが交渉の本番でしょう?」
如月さんは怒り心頭だ。
穂積
「どうやら、時間が無いと判断したようね」
如月
「俺たちが着くまで何もしなかったくせに……」
室長は、唇を噛む如月さんを励ますように、耳元で何かを囁いて肩を叩く。
如月さんはそれでもまだ不満げな表情のまま、どこかへ行ってしまった。
室長は軽く溜め息をついてから、携帯を取り出し、操作した。
と同時に、非常灯に照らされた2階通路で、藤守さんが教室を離れる。
穂積
「そちらの様子はどう、藤守」
藤守の声
『夕食の差し入れは許可されました。Rは先ほど、トイレから戻る幼児と共に教室に潜入しています』
R?
穂積
「今から櫻井が夕食を届けに行くわ。指示を伝えるから、一緒に行動してちょうだい。受け渡しから10分後には突入が始まるわよ」
藤守
『了解』
通話を切るのももどかしく、私は室長に詰め寄った。
翼
「室長、『R』ってまさか」
穂積
「小笠原、『R』の発信器からの信号は?」
室長は私を制して、小笠原さんを振り返る。
小笠原
「前面ベランダ側窓際、オルガン付近に反応。おそらくここが犯人の位置だ」
小笠原さんは手にしたモバイルの画面で、点滅する光を見つめていた。
穂積
「明智には?」
小笠原
「同じものを持っているよ。10秒ごとに位置情報が更新されているはず」
頭の中で、情報の整理が追い付かない。
どういう事?
泪さんは、銃を持った犯人の近くにいるの?
それなのに、突入なんかしたら……!
翼
「室長!」
ほとんどヒステリックな私の声で、室長はようやく私に顔を向けた。
穂積
「落ち着け、櫻井」
翼
「……!」
その言葉には聞き覚えがあった。
ここに来る前、泪さんが私に言った言葉だ。
落ち着け。
俺がついてる。
冷静さを失いかけていた私は、その言葉を聞いて、危うく踏みとどまった。
深呼吸をし、自分に言い聞かせる。
落ち着かなきゃ。
泪さんはいない。
でも、室長がいる。
翼
「……すみませんでした」
私は、私を見つめている室長に、深々と頭を下げた。