pure pure love
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霜に打ち明けて少し気が晴れた俺は、久し振りに本屋に寄って目についた専門書を何冊か手に取り、さらに、秋に鉢植えの花とフルーツゼリーとをお土産に買って、家路についた。
薄暮の中で自宅マンションを見上げれば、部屋の窓に明かりが灯っているのが見える。
ああ、秋がもう帰宅して、あの場所にいる。
俺を待ってくれている。
そう思うだけで、自分の胸の奥が温かくなってくるのが分かる。
小野瀬
「ただいま」
玄関を開けると、鼻をくすぐるのは、キッチンから漂って来る良い香り。
秋
「お帰りなさい!あ」
小野瀬
「はい、お土産」
白いエプロンで濡れた手を押さえながら出て来た秋に、俺は買ってきた鉢植えを差し出した。
花屋の店先で見掛けた、純白のシクラメン。
小野瀬
「綺麗だったから」
秋
「わあ……ありがとう!」
秋は両手で鉢植えを受け取って花びらに顔をうずめ、嬉しそうに目を細めた。
彼女にはまだ、こんな子供のような仕草をする事がよくある。
小野瀬
「思った通りだ。秋には真っ白な花がよく似合うね」
秋が頬を染めて、俺を見上げてきた。
ああ、普段の俺なら、ここで相手の目を見つめながら、肩など抱いてしまうのに。
今の俺の手は、肩を抱くどころか、彼女に見えない場所で、虚しくグーパーするだけだ。
秋
「ありがとう」
小野瀬
「どういたしまして。でも、そんなに何度もお礼を言ってもらうほどの贈り物じゃないよ」
言葉をきっかけに、ようやく、俺は彼女の頭を撫でる。
秋
「ううん。だって、嬉しいんだもの」
秋は俺の手を乗せたまま、首を横に振った。
秋
「離れている間に、私の事を考えて、買ってきてくれたのが嬉しいの。ありがとう」
首を振った弾みで、俺の手が、自然に彼女の肩に落ちる。
……いける。
このまま、首でも肩でもいいから引き寄せてしまえばいい。
行け、俺!
小野瀬
「……」
だが、動けない。
そのうちに、秋が、するりと俺から離れた。
秋
「あ……お夕飯、あと少しで出来るから。先に、お風呂入ってくれる?」
小野瀬
「え、ああ、うん」
秋は鉢植えを大切そうに抱え、ゼリーの箱を俺の手から受け取ると、「冷蔵庫に入れておくね」と言って、再びキッチンに戻って行った。
秋の姿が消えたリビングに残ったのは、脱力してしゃがみこんで頭を抱える俺。
あああ。
何をぐずぐずしてるんだ俺。
今、可愛かったじゃないか!チャンスだったじゃないか!
何が光源氏だよ。
昼間の霜の言葉が甦る。
……全くだ。
俺は中学生か。
ぐずぐずと浴室に向かいながら、俺は溜め息をついた。
秋の料理は本当に美味しい。
飾り気の無いごく普通の家庭料理だけど、ずっと独り暮らしだった俺には、望んでも得られなかったご馳走だ。
すっかり満足して、片付けを手伝う為に席を立とうとすると、秋が、楽しそうに俺を制した。
秋
「今日はデザートがあります」
小野瀬
「あ、そうか」
秋が取り出して来たのは、俺のお土産のフルーツゼリーの箱。
秋
「葵さん、どれがいい?」
小野瀬
「メロンかな。秋は?」
秋
「私も」
楽しそうに箱を覗き込んで、秋はメロンの果肉が入ったゼリーを二つ、箱から出した。
ゼリーだけを残して、テーブルの上の皿を片付けている秋を見ながら、俺はふと、今の会話の違和感に気付いた。
小野瀬
「……」
秋
「はい、スプーン」
小野瀬
「……ありがとう」
スプーンを受け取りながら、俺は、急にドキドキしてきた。
もう一度。
もう一度、確かめたい。
でも、どうやって?
揃って「頂きます」を言い、悶々としながらきっかけを探していた俺に、チャンスは向こうから来てくれた。
秋
「葵さん、ここ」
秋が、自分の口元を、右手の指先でとんとんとした。
秋
「ゼリーのかけらがついてる」
……間違いない。
……彼女、いま俺を、『葵さん』と呼んだ!
内心の動揺を隠して、ティッシュで口の右側を拭こうとすると、秋が笑った。
秋
「反対よ。貸して?」
秋が席を立ってきて、俺の隣に屈んだ。
俺の手から取ったティッシュで、俺の左頬を、そっと拭いてくれる。
……前にも、似たような事があったような気がする……。
秋
「……葵さん、ありがとう」
小野瀬
「え?」
秋
「大切にしてくれて」
小野瀬
「……」
秋
「待っててくれて」
……どういう意味だろう。
俺がじっと見つめても、秋は目を逸らさない。
碧色の綺麗な瞳に、俺が映っている。
秋
「……葵さん、大好き」
そう言ってから、立ち上がりかけた秋が、驚いた顔をした。
秋の腕を、俺が、咄嗟に掴んだからだ。
小野瀬
「……もう一度、呼んで」
俺を見つめた秋の表情が綻んで、中腰の姿勢のまま、微笑んだ。
秋
「葵さん」
小野瀬
「もう一度……」
俺は秋の細い身体を引き寄せながら、立ち上がった。
俺の腕が作る輪の中から、笑顔の秋が俺を見上げてくる。
秋
「葵さん」
数えきれないほどの女と、覚えきれないほど様々な言葉を交わしてきた。
それなのに、たったこれだけのシンプルな言葉に、どうしてこんなにも心ときめくんだろう。
じんわりと幸せを感じていると、秋が、俺の胸に身体を預けたのが分かった。
さらさらの髪が、温かい頭が、俺の首筋に触れる。
秋
「……今日、お兄ちゃんに叱られたの」
小野瀬
「……霜に?」
こくん、と頭が動く。
秋
「いつまでも『おじ様』なんて呼ぶなって」
……あいつ。
……やっぱり、分かってたんだな。
秋
「好きだ、って言えって。大好きだって言えって。思いきり抱きつけって」
秋の手が、俺のシャツの背中を握った。
秋
「そしたら、必ず、抱き締めてくれるからって」
小野瀬
「秋……」
俺は言葉通りに、秋の身体を抱き、力を込めた。
秋の指先の冷たさと、やけに速い鼓動が伝わって来る。
その事に気付いて、俺は、彼女の言葉の意味を理解した。
……ああ。
そうか。
初めてのキスは強引で、秋を泣かせてしまった。
感情のままの、無神経なキスだった。彼女はその時、知らない男たちに襲われた直後だったというのに。
二度目のキスは、結婚式。
大勢の祝福の中で、秋は緊張して、震えていた。
たぶんそれで、俺は、知らず知らずのうちに、彼女へのキスを避けるようになった。
また、傷付けるのが怖くて。
触れたいのに、触れられなくて。
俺を「おじ様」と呼ぶ彼女との距離が、測れなくて。
それでも、やっぱり恋しくて、愛しくて。
誰にも渡したくなくて。
でも、嫌われたくなくて。
半ば怖じ気付いて……いつの間にか、待ってた。
彼女が俺を名前で呼んでくれる日を。
彼女が自ら、俺を求めてくれる日を。
指先で顎を上げさせて見つめていると、秋が数回、瞬きをした。
小野瀬
「……キス、していい?」
俺の口が、びっくりするほど陳腐な台詞を言った。
秋が、頷く代わりに、淡い色の長い睫毛を静かに伏せた。
壊れそうな物を扱うように桜色の頬を両手で包んだ俺は、そっと秋に唇を重ねる。
目を閉じて触れ合うと分かる、秋のほのかな香り。
それはまるで花の匂いのように甘く優しい。
柔らかい唇を舌先でなぞり、固く閉じていた歯を開かせ、さらに深く口づける。
舌を探り当てた瞬間、秋は、びくりと身体を震わせた。
俺が動きを止めて待つと、秋が、大丈夫だと言うように、両腕で俺の背中を抱く。
おずおずと触れてきた秋の舌を吸い上げてまた絡めるうちに、少しずつ、彼女の身体が熱くなってくるのが分かった。
縋りつくようにして俺の愛撫に応えようとする秋が、いじらしい。
熱を帯びて、脈を打ち始めた自分の身体が、抑えきれなくなりそうだ。
焦るな、と理性の声がする。
だが、何がいけない?
俺のものだ、と本能が囁く。
欲しい。
求められたい。
奪いたい。
捧げたい。
俺は……
彼女と愛しあいたい。
小野瀬
「……ベッドに、行こうか」
どきん、という鼓動が伝わって来た。
俺に触れている彼女の胸はなおもどきどきと早鐘を打っていて、その緊張は可哀想なぐらい。
秋
「……身体を」
小野瀬
「ん?」
秋
「……綺麗に、洗ってから……」
ああもう可愛い。
焦れったい。
俺は、秋の耳元に唇を寄せた。
小野瀬
「秋はそのままで、誰よりも綺麗だ」
秋が身を捩った。
秋
「でも」
小野瀬
「お願いだ、秋」
俺は、秋の身体を横抱きに抱き上げた。
秋
「あっ!」
小野瀬
「もう、我慢出来ない」
言い終えた時には、ベッドルームの扉を蹴り開けていた。