冬の鉄道捜査線
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藤守さんと千代田線 2
私の肩を掴んだのは、体格の良い四十絡みの男性。
身長は藤守さんより低いけど、身体の厚みは同じぐらい。
一見、大企業の部長風。表情は穏やかで、とても、今、私の肩を掴んでいるとは思えない。
男
「肩が当たりましたよ」
話し方も、声も穏やか。
けれど、目の奥の光が、ぞっとするほど冷たい。
そして、私は、この男性を、何週間も前から知っている。
翼
「どうも、すみません。不注意でした」
私はあえて自分の不手際を認め、もう一度頭を下げてみた。
この男性の目的が金銭なら、さらに畳み込んでくるはずだ。
男
「いいえ、混んでますしね。貴女に悪気は無かったんですよね?……ただ……」
来た。
男
「ただ、困ったなあ。貴女がぶつかった弾みに、持っていた携帯電話を落としてしまった」
そう言うと男性は、ディスプレイの割れたスマートフォンを私に見せた。
男
「駅ですから、最初から電源は切ってあります。だから、データは無事だと思うんですけどね」
翼
「そうなんですか」
少しほっとした顔を作ると、男性も、僅かに頬を緩めた。
男
「どうでしょう。これだけの事で警察に被害届けを出すのも気が引けますから、弁償で示談というのは」
なるほど。
翼
「あの、私はちゃんと届けを出して頂いてもいいのですが」
私が言うと、男性は腕時計をちらりと見てから、軽く手を振った。
男
「きちんとした方で良かった。でも、私も先を急ぎますし、それに貴女も、初対面の私に住所や氏名を知られるのは嫌でしょう?」
翼
「でも、私も外回りの途中で、あの、お恥ずかしいのですが、手持ちが少なくて。それに、後々の為に、領収書くらいは頂きたいですし」
私に現金を払う意思があると解釈してくれたのか、男性は、もちろんですと頷いた。
男
「ごもっともです。失礼ですが、今、どのぐらいお持ちですか?」
翼
「すみません、7,000円、いえ、8,000円でしたらなんとか」
わざと低く言ってみる。
男性が握ったままなので機種は分かりづらいけれど、恐らく、旧い型でも修理代は1万円~2万円かかるはずだ。
男
「でしたら、7,000円で結構ですよ」
男性は、間髪を入れずに応えた。
非常に良心的だ。
このスマートフォンが、前もって壊されていた物ではない、とするならば。
男
「領収書は……会社の名刺でいいですか?」
翼
「はい、もちろん」
男
「では決まりだ」
私は財布から5,000円札と、2枚の1,000円札を取り出して、そのまま男性に手渡した。
男性はそれを受け取ってジャケットの右ポケットに入れると、左の胸ポケットから名刺ケースを取り出し、名刺の裏に日付と金額をさらさらと書いた。
翼
「ありがとうございます」
男性が差し出した名刺を、私は丁寧に受け取った。
男
「それでよろしいですか?」
被害届のあった事件の時とは違う会社名、違う名前の入った、真新しい名刺。
初対面なら気付かないその違いが、私に、この温和な男性の真の怖さを教えてくれる。
翼
「はい、ありがとうございます。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
男
「いいえ。では、これで」
私は軽く頭を下げた。
男性が、にっこり笑って背を向ける。
私は頭を上げてから、にっこり笑った。
藤守
「すんません、ちょっと、お話伺えますか?」
そこでは、去りかけていた男性の進路を塞ぐようにして、警察手帳を掲げた藤守さんが立ってくれていた。
藤守
「どないした?」
駅に到着した所轄の警察署員たちに犯人の男性を引き渡してから、私たちは再び、駅のホームにいた。
緊張が解けたせいか、私は、さっきから脚が震えていて、何とかそれを抑えようとモジモジしていたのだ。
藤守
「トイレか?」
翼
「ち、違いますよっ」
私が少しムキになって言い返すと、藤守さんはニコニコ笑って、私の頭を大きな掌で撫でてくれた。
藤守
「嘘や。よお頑張ったな。偉かったで」
褒められて気が緩み、涙が出そうになる。
藤守
「一味に繋がる逮捕になるとええな」
翼
「はい」
私は、ぎゅっ、と拳を握った。
翼
「電車で悪い事をする人は、許せません」
藤守
「そうか。ありがとうな」
藤守さんは顔をくしゃくしゃにして笑い、長身を屈めた。
それから内緒話をするように私の耳に顔を寄せて、頬にチュッ、とキスしてくれる。
翼
「!」
ホームの雑踏の中、藤守さんは、あっという間に、元の距離に戻った。
藤守
「あ、ロマンスカーや」
藤守さんの視線の先で、今度は上りのロマンスカーが、ホームに流麗な姿を見せる。
翼
「今度のお休み、一緒に乗りましょうね」
自然に言葉が出た。
藤守
「せやな。一緒に温泉行こうや」
藤守さんと私は、顔を見合わせて、声を揃える。
翼、藤守
「60000型MSEで!」
そうして同時に噴き出して笑いあいながら、私たちは、ロマンスカーの乗客の人たちに向かって手を振った。
窓越しに笑顔を浮かべてくれる乗客や、手を振り返してくれる乗客の子供に向けて大きく手を振り続けながら、私たちは、滑り出してゆくロマンスカーを、いつまでも見送っていた。
~藤守編 END~