フトシの恋~弁当にまつわる犯罪~
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警察病院。
一般にも開放されているが、そこは警察御用達だ。
真夜中でも一部の廊下には煌々と明かりが灯され、人々が行き交っている。
俺と穂積は時間外入口から入り、救急窓口に近い診察室の一つで、待ってくれていた執刀医に会う事が出来た。
執刀医は中年の男性医師で、すぐに未来さんの怪我の状況を説明してくれた。
医師
「最も深いのはここ。切っ先が、右肺に達しています」
凶器の包丁は彼女に刺さった状態で発見され、種類や指紋などの状況から、弁当屋にあったものだと判断された。
医師
「それとは別に、肝臓に損傷を与えた傷もあります。計、三ヶ所。背中側から刺されていますね」
穂積は険しい表情を崩さない。
俺は、医師の所見や、検査結果の並ぶ数値表を見つめた。
穂積
「何か気になる所はあるか、小野瀬」
小野瀬
「……顔の皮膚、それから鼻孔の粘膜に僅かながら刺激痕。被害者の爪の間に、ごく微量の皮膚片」
医師が頷いた。
医師
「受け入れの時の所見ですね。手術前の内臓検査では、肝臓に損傷があった為に、腎臓などへの影響は数値を取れませんでした」
穂積
「……どういう事だ?」
さすがの穂積も、医療は専門外だ。
小野瀬
「ここにある情報を総合すると、こうだ」
自分自身も考えを整理しながら、俺は説明を始めた。
小野瀬
「彼女はまず、……クロロホルムと仮定するが、麻酔を嗅がされている。刺激痕が証拠だ。刺された際のショック反応の数値が非摂取の場合と比べて小さい事からも、間違いないだろう」
穂積が頷く。
小野瀬
「麻酔を使用している事から、犯人は被害者と面識があるか、殺害が目的ではない。傷口の角度などから、犯人の身長は175Cm前後、右利き。小さい店舗の女性一人を狙っており、非力、単独犯、初犯の可能性あり」
俺は、さらに続けた。
小野瀬
「爪の間に入った皮膚片は、すでに、中央署の鑑識に運ばれている。彼女は調理師だ。こまめに手を洗うはずだから、犯人に抵抗した際に爪に残ったと考えていいだろう」
穂積
「……クロロホルム……刃物……中央区……」
穂積には、何か閃いたようだ。
小野瀬
「先生、緻密な記録に感謝します。……穂積、俺はこれから、中央署の鑑識と合流する」
穂積
「分かった」
穂積の目にも、光が灯った。
夜明けを迎える頃には、凶器からの残留物の検出、そして、皮膚片のDNA鑑定の手続きはおおむね終了した。
俺を加えた中央署の鑑識が不眠不休で作業したが、さらに鑑定を続けなければならず、結果が出るまでには、最短でも二日はかかる。
俺はひとまず、警視庁に戻る事にした。
捜査室では、穂積も徹夜したようだ。
こいつの場合、徹夜が続くほど、頭脳はさらに冴えて来るから恐ろしい。
穂積
「過去十五年の事件から、近隣三区での類似事件の犯人をピックアップしてみた。そのうち、犯行が可能で、かつ、お前のプロファイリングとの条件が合うのは、三人」
穂積の机の上には、すでに手配書の様式に沿ったものが、三枚置かれている。
穂積
「DNA鑑定の結果が出ればすぐに逮捕出来るよう、この三人の令状を取る用意しておけと指示を出した」
小野瀬
「……穂積、お前、中央署の捜査に加わったのか?」
穂積
「向こうから、特命捜査室に正式な協力要請が来たんだよ」
穂積は眉ひとつ動かさず机の上に両肘をつき、指を組んだ。
穂積
「その三人については、逃亡に備え、既に所在を確認をして、捜査員を待機させてある」
開いた口が塞がらない。
昨夜の事件なのに、夜明け前には三人の容疑者が穂積の手の中だ。
とても人間業とは思えない。
小野瀬
「……だが、初犯なら?……簡単には捕まらないぞ」
穂積
「それは、これからだ。任せておけ、小野瀬」
心配する俺に、穂積は世にも美しい笑顔を見せた。
穂積
「俺が持っているのは、悪魔の目だけじゃないんだよ」
捜査員が揃うと同時に、穂積の指示が飛んだ。
穂積
「明智、藤守は、被害者宅周辺の聞き込みと、不審人物への職務質問」
明智・藤守
「了解」
穂積
「小笠原は現場周辺の監視カメラの画像収集と、目撃情報の精査」
小笠原
「了解」
穂積
「如月は中央署員と協力して、太田の証言と行動の客観的な裏付けを取る事」
如月
「了解」
穂積
「櫻井」
翼
「はいっ」
櫻井さんの名前を呼んでおいて、穂積は、俺を振り返った。
穂積
「アンタには、小野瀬と一緒に被害者の病院へ行ってもらうわ」
俺?
いや、まだ何も聞いてないけど。
翼
「はいっ」
元気よく返事をした櫻井さんに、穂積は指で『ちょっと来い』をした。
素直に応じた櫻井さんの耳元に、ひそひそと何か囁く。
同時に、櫻井さんの顔が引き締まった。
翼
「了解」
穂積
「全員、情報は小笠原へ。ワタシはここで指揮を執る」
全員
「了解」
穂積が背筋を伸ばし、パン、と手を叩いた。
穂積
「それでは、緊急特命捜査室、出動!」
全員
「イエッサー、ボス!」
未来さんは、まだICUに入っていた。
ご家族に挨拶をし、櫻井さんと共に見舞ったが、手術の後はほとんど眠ったままだという。
幸い命に別状の無い事は分かっているので、俺と櫻井さんは一旦、廊下に出た。
病室に至る階段や廊下には、穂積の配置した警備員が随所に立っている。
俺は櫻井さんを伴って、歩き出した。
小野瀬
「櫻井さんの能力の事は聞いているよ。でも、今回は、役に立たない事を祈ってる」
櫻井さんは苦笑を浮かべた。
翼
「そうですね。ありがとうございます」
俺と櫻井さんは、警察手帳を提示して、病院の一角に設けられた、総合警備室に入った。
ここには、病院設備の保守を始め、配電、空調などの異状を感知しその管理を司るメインコンピュータが配置されており、二十四時間、警備員が働き続けている。
もちろん、全ての監視カメラの映像を同時に見る事が出来、今も複数の警備員が、それを監視していた。
俺と櫻井さんは、その、カメラの映像を見守る事を、穂積に命じられたのだ。
基本的に、鑑識技官の俺には捜査権限が無い。
彼女の補助という形ではあったが、太田の事件の現場に携われるだけでも、俺の気持ちは平静を保てていた。
今、鑑識室にこもっていたとして、業務に集中出来るかは、甚だ疑問だったからだ。
櫻井さんは、全ての画面を一通り凝視してから、数歩下がった。
全体が視野に入る場所に立ったのだ。
いつものふわりと柔らかい印象が一変し、集中力を増したのが分かる。
彼女は穏やかな表情のまま、その眼差しで、三十台を超えるモニターを静かに見つめていた。
俺が持っているのは、悪魔の目だけじゃないんだよ。
穂積の言葉の真意を俺が知る事になるのは、それから数時間後だった。
櫻井さんの表情が動いた。
見つめているのは、時間外入口のモニターだ。
時間外とは言っても、救急の入口や業者の通用口も兼ねているし、外来患者や見舞い客も普通に利用できる。
時間外入口は、言わば、正面玄関に対する、裏口のような出入口だ。
翼
「この人、追えますか」
彼女が言うと、警備員が、次にその人物が通過するはずの場所にあるモニターを指差した。
警備員
「次はここに映ります」
翼
「すみませんが、追っていてください」
警備員に指示を出した彼女が、俺を振り返った。
翼
「小野瀬さん、この人、昨年から、中央区周辺で、複数の女の子に付きまとってる人です!」
彼女の言葉に、俺も、そしてその場の警備員たちも、一様に驚いた。
だが、彼女の顔は真剣だ。
翼
「違う日時、違う場所で、違う相手の後をつけて、胸を触る程度のイタズラを繰り返しています。軽微なので事件にはなっていませんけど。訴えのあった交番には、記録が残っています」
彼女は一生懸命に説明する。
小野瀬
「もしかして、穂積は、きみに、そういう人物を見張らせていたの?」
翼
「はい。警備員さん、経路の警備員さんたちに、警戒するよう連絡をお願いします」
警備員
「分かりました」
彼女は時々モニターを窺いながら、携帯を取り出した。
翼
「室長に連絡します。小野瀬さん、モニターの方をお願いします」
小野瀬
「分かった」
警備員たちはインカムを装着しており、この警備室の警備員、そして穂積と繋がっている。
彼女の指示により、警備員たちに緊張が走った。
その間にも、男は一歩、また一歩とICUに近付いて行く。
翼
「室長、要注意の『兜町』現れました。様子を見て、取り押さえます」
スピーカーホンに切り替えた彼女の携帯から、穂積の声。
穂積
『よく見つけた、偉いぞ。だが、取り押さえるのは警備員に任せろ。こちらから指示を出す。お前はそこを離れるな』
翼
「了解」
忙しく電話は切れた。
だが俺はこの時、感動とともに、櫻井さんの横顔を見つめていた。
穂積の持つ、もうひとつの目。
それは、彼女の目。
まるで、天上から俯瞰で見渡しているかのような、視野の広さ。その確かさ。
穂積が悪魔なら、彼女のそれは、天使の目だった。
『兜町』が動きを速めた。
俺たちは再び、食い入るようにモニターを見つめる。
すると。
物陰に入った『兜町』は、持っていた紙袋から、白衣を取り出してそれを着た。
続けて、眼鏡とマスクも身に付ける。
彼女が悲鳴を呑み込んだ。
俺は急いで、震える彼女の肩を抱いたが、その俺の手も、恐怖と怒りで震えている。
警備員たちが、申し合わせたように、『兜町』の進路から離れた。
実際、これは、穂積から警備員への指示だった。
まるで光を放つ道が出来るように、男の行く手を遮るものが無くなっていく。
最後の警備員が、巧みに、ICUからご家族を連れ出した。
男の前に、もう障害は存在しない。
小野瀬
「ICU内にカメラは?」
警備員
「通常は作動していないのですが、あります。切り替えます」
邪魔する者の無い男は、ほくそ笑み、階段を昇り、廊下を通り、ついに、ICUの扉に手をかけた。
警備室の緊張が高まる。
扉を開くと、警備員の示すモニターは、ICUを窓側から映すカメラに替わった。
通常は、治療や家族とのやりとりを記録するのだろう。音声まで聞き取れる。
入口から入った『兜町』が、恍惚とした表情で未来さんに近付いて来た。
一方、廊下を監視するモニターには、さっき離れた警備員たちが、気付かれないようにICUの扉の近くに戻り、態勢を整える様子が映った。
『兜町』が手を伸ばし、薬で眠り続けている未来さんの胸を両手で掴み、揉み始めた。
小野瀬
「くそ、卑怯者!重傷患者なんだぞ!」
『兜町』は動かない未来さんの頬をべろりと舐め、服を脱がし始めた。
翼
「いや……やめて……」
櫻井さんが、ガタガタ震え出す。
まだ手術用の衣服の未来さんは下着を着けていない。
衿をあわせていた紐がほどかれて、未来さんの裸体があらわになった。
舌なめずりをした『兜町』の指が、点滴を引き抜き、未来さんの胸元に滑り込んだ。
その瞬間。
穂積
『行け!』
警備員のインカムに吼えた穂積の怒声を、監視カメラのマイクが拾った。
なだれ込んだ警備員に、『兜町』はたちまちICUから引っ張り出され、廊下で押さえ込まれる。
そして、あっという間にロープで縛り上げられた。
同時に、櫻井さんがヘナヘナと座り込む。
俺の携帯に穂積から着信が入るのと、安心した彼女が泣き出すのと、『兜町』が警備員たちに連行されて歩き出したのは、ほとんど同時の出来事だった。
穂積
「小野瀬、お疲れ。こちらの捜査にも進展があった。櫻井を連れて、戻って来てくれ」