フトシの恋~弁当にまつわる犯罪~
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
翌日の、昼。
穂積は約束通り太田に弁当を頼んでくれ、俺は首尾よく、買い出しに同行する事に成功した。
たまには気分転換に、といった言い訳を素直に信じて、太田は快く俺を助手席に乗せてくれた。
太田
「御大と二人でドライブなんて、初めてじゃないすかねえ」
無邪気な太田の笑顔に胸が痛む。
今朝から観察してみたが、細野が以前言ったように、太田は弁当を予約していない。
毎日五食も買っているから、太田のメニューは弁当屋が覚えていたとしても、捜査室のメンバーの注文はバラバラだ。
予約しておけば、それだけ早く弁当を手に入れる事が出来るのに。
この謎はまだ解けない。
それに、実は弁当は口実で、別の場所に寄り道しているのではないかという事も考えていた。
だが、これはどうやら考え過ぎだった。
太田は、車で真っ直ぐ、弁当屋に到着したのだ。
着いた所は日本橋。大通り沿いの、雑居ビルの一階。
すぐ隣に三台ほどの駐車場。
ごく普通の弁当屋だった。
一つ気になったのは、店の前に他の客が誰もいない事。
最初の時、太田は「混んでた」と言った。穂積が「行列なんて悪かったわね」と言ったので、覚えている。
俺が店を眺めていたので、太田が、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
太田
「最初は行列だったんすけどね」
そう言いながら、太田は、慣れた様子で店の張り出し屋根の下に潜り込んだ。
太田
「こんちはー」
すると。
声
「あっ、太田さん!こんにちは!」
店の中から、元気な声が応えた。
声
「いつもありがとうございます!」
太田
「これ、今日お願いするお弁当のリストっす」
声
「いつもたくさんありがとうございます!」
太田の後ろから俺がそっと覗き込むと、次の客だと思ったのか、元気な声が飛んできた。
未来
「いらっしゃいませ!」
そこにいたのは、長い髪をバンダナで束ねた、色白で目のぱっちりした、きれいな女の子だった。
小野瀬
「……」
俺はその瞬間、全てを理解した。
ああ、我ながら、何て鈍いんだろう。
穂積なんか、初日の太田の様子を見ただけで感づいたというのに。
小野瀬
「ごめんね。俺は太田の連れ」
彼女はぱちぱち瞬きをして、改めて、にっこり笑った。
未来
「じゃあ、いつもお弁当を注文してくださる方ですね。ありがとうございます!」
綺麗な歯並び。それに、話し方もきびきびしていて、気持ちがいい。
太田
「未来さん、こちら、小野瀬さん。自分の上司っす」
そう言ってから、太田はさらに言い足した。
太田
「超カッコいいっしょ?」
彼女が笑う。
俺は思わず太田を見下ろした。
お前ねえ。
好きな女の子の前で、他の男を褒めてどうする?!
未来
「そうですね。とても上品で優雅な方で、素敵です」
俺は慌てて手を振った。
小野瀬
「駄目、駄目。見た目に騙されちゃ。俺なんて、女たらしで軽薄だよ。付き合ったら大変!」
太田
「そんな事無いっすよ」
太田が笑い、彼女も笑った。
彼女が弁当を作っている姿を、太田はニコニコしながら見つめている。
彼女も時々振り返り、太田に笑顔を返す。
時間が掛かるはずだよ。
俺はそんな太田と彼女を微笑ましく眺めながら、ようやく、胸のつかえが取れていくのを感じていた。
それからは、穂積に代わって俺と細野が、毎日太田に弁当を頼んだ。
穂積も毎日のように食事の最中に現れては、人の弁当をつまんで去って行く。
悪いわね。ワタシ、他の弁当屋のも食べてみたくなっちゃって。
急に弁当を頼むのを止めた理由について、穂積は穂積らしい率直な嘘で、太田を信じさせた。
穂積さんの頼みなら、また、いつでも買いに行きますよ。
ありがとう。この店の卵焼きは美味しいのよね。
前触れの無い穂積の弁当襲撃に備えて、卵焼きをひときれ、一番最後まで残しておく太田の優しさは、穂積にちゃんと伝わっている。
穂積が仕事で来られない時には、俺がその最後のひときれを頂くのが、無言の約束になった。
そんな習慣が出来上がった頃。
雨の夜だった。
警視庁管轄、中央警察署から入った一報に、俺は仮眠から飛び起きた。
あの弁当屋が何者かに襲われ、一人で片付けと翌日の仕込みをしていた女性……未来さんが、刃物で刺され、レジから売上金が奪われる事件が発生した。
救急車が到着した時、彼女には僅かながら意識があった。しかし、内臓を損傷しており、緊急手術が行われたという。
そして、第一発見者として任意同行を求められたのは……太田だった。
中央署の知人によれば、太田は任意同行に素直に応じ、明朝から事情聴取を受けるという。
明朝までの短時間だが、何とか面会させてやれると言われ、俺は、捜査室で残業している穂積の元に向かった。
小野瀬
「穂積!」
扉を開くと、穂積は携帯で電話中で、俺に向かって、唇に人差し指を当ててみせた。
穂積
「ありがとうございます。……では、後程よろしくお願いします」
電話を切ると同時に穂積はジャケットを手に立ち上がり、俺の背中を押して廊下に出た。
穂積
「先に、フトシだ。その後、執刀医に会える。急ぐぞ」
中央署の知人の好意で、太田とは取調室で会う事が出来た。
中央の署員も同室するが、十五分間の面会時間だ。
小野瀬
「太田……大丈夫か?」
太田は、夕方、鑑識室で帰宅の挨拶をした時とは、別人のように憔悴していた。
小野瀬
「どうしてこんな事に巻き込まれた?……彼女と何かあったのか?」
穂積
「小野瀬、時間が無い」
穂積が俺を制した。
他の署だとはいえ、オカマ口調を忘れているのは、穂積にも余裕が無いんだろう。
穂積
「聞け、フトシ。彼女は助かる」
顔を上げた太田の目に、涙が浮かんだ。
穂積
「俺たちを信じて全部話せ。俺たちもお前を信じる」
太田が、はい、と頷いた。
この辺りの機微は、普段から取り調べに従事している穂積の方が上だ。
穂積
「お前が弁当屋に着いたのは何時だ?彼女は何をしていた?」
太田
「八時に日本橋に着きました。彼女、いつも八時半に仕込みを終えるので、待ってて送って行くつもりでした。最近、夜道の一人歩きが怖いって言ってたし」
穂積
「お前が着いた時、弁当屋の状況は?」
太田
「電気は点いてました。『本日は終了しました』の札が下がってました。自分がいた街灯の下から、彼女の姿は見えませんでした」
穂積
「いつ、彼女を見つけた」
太田
「八時二十分です。時計を見ました。トイレかと思ってたけど帰って来ないし、レジの電源は入ったままだし、不用心だなと思って近付いて覗き込んだら、彼女の脚が見えました」
穂積
「そこまでで、周りに誰かいたか」
太田
「いえ。通行人はいましたが、弁当屋に寄った人間はいません」
穂積
「脚が見えて、どうした」
太田はその時の様子を思い出したのか、身体を震わせた。
太田
「店の通用口から入って、彼女が血を流して倒れているのを見ました。生きているのは分かりましたから、触らないで、『救急車』って叫びながら、店を出ました」
穂積
「救急車はお前が呼んだのか?」
太田
「はい」
穂積
「救急車が来るまでの間、彼女と何か話をしたか?」
太田
「すぐに救急車が来るから頑張って、そればかり言ってました」
穂積
「彼女は?」
太田
「……」
太田は涙をこぼした。
小野瀬
「太田」
太田
「……明日のお弁当、作れないかも、って。ごめんなさい、って」
穂積
「お前の目視で、血痕の状況は?」
太田は涙を拭いた。
太田
「退色変化の様子では、外気に触れて一時間以内です」
穂積
「彼女は、お前が来るのを知ってたんだな?」
太田
「はい。もう一週間、帰りは自宅近くまで送ってますから。今日の昼の買い物の時も、夜また来るねって言って別れたんです」
穂積は俺に目で合図を送って腕組みをし、瞼を閉じた。
小野瀬
「送って行くつもりだった、と言ったね。……彼女とは、交際していたの?」
太田はぶるぶると首を振った。
太田
「とんでもない!友達です」
小野瀬
「だって、知り合って一ヶ月だろ。……部屋に行ったりした?手ぐらい握っただろ?」
太田
「部屋になんて行きません!手も握ってませんよ!」
俺としてはかなり遠慮して言ったつもりだが、太田は真っ赤になった。
穂積
「……」
小野瀬
「……」
穂積は瞼を開いた。
穂積
「……まあ、そういう惚れかたもあるよな」
小野瀬
「えっ?……一ヶ月の間、毎日三回弁当を買いに通って、一週間、夜の帰り道を送ってて、手も握らないの?」
穂積
「知り合って一ヶ月なら普通だろ。俺だって握らない」
小野瀬
「えっ?」
穂積
「まあ、小野瀬なら違うモノも握らせてるだろうけど。俺やフトシはピュアなんだな」
小野瀬
「お前なら舐めさせてるだろ」
穂積
「見たのか?お前は俺が、舐」
署員の咳払いが、穂積の言葉を遮った。
中央署員
「お二人とも……署内なので、その辺で」
太田
「……はは」
太田が思わず笑ったのを見て、穂積が微笑んだ。
穂積
「よし、笑ったな」
太田
「穂積さん……」
小野瀬
「太田、必ず無実を証明するからね」
太田
「御大……」
深々と頭を下げる太田を署員に預けて、俺と穂積は、被害者の入院している、警察病院へ向かった。