フトシの恋~弁当にまつわる犯罪~
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~小野瀬vision~
残暑もようやく和らいで、窓からの陽射しも肌に優しい。
さらに室内は快適な温度に保たれており、そこで彼女が淹れてくれる美味しいコーヒーを飲む。
ああ、幸せな昼休み。
ここが、警視庁鑑識室でさえなかったら。
翼
「太田さん、遅いですね」
細野
「すみません、櫻井さん」
小野瀬
「道路が混んでるのかな」
俺は首を傾げた。
細野
「そうかもしれません。でもあいつ、いつもなら弁当を買う時は午前中に予約しておいて、時報と同時に取りに行くのになあ」
小野瀬
「櫻井さん、本当にごめんね。待たせちゃって」
櫻井さんは、いいえ、と笑った。
櫻井さんは緊急特命捜査室の紅一点。
今日は、太田が自ら進んで捜査室の連中の弁当まで買い出しに行ったので、その到着をここで待っている。
小野瀬
「きみと明智くんは弁当持参なんだろ?それなのに、他の連中の弁当が届かないせいで、食べられないなんて」
翼
「大丈夫ですよ。捜査室では可能な限り、食事は揃って『いただきます』を言うんです」
小野瀬
「……その辺に厳しそうなのは、明智くんかな」
彼女はニコニコしている。
翼
「はい。あっ、それとも小野瀬さん細野さん、太田さんが戻るまで、私のお弁当食べますか?」
彼女はバッグから、小さな可愛い布製の包みを取り出した。
素早く、細野が首を横に振る。
細野
「ありがとう。でも、俺は大丈夫ですから。御大、頂いて下さい」
俺はにっこり笑った。
小野瀬
「俺も大丈夫だよ。櫻井さん、先に食べてていいよ。あーんしてあげようか」
翼
「私も大丈夫です。……みんなで一緒に食べる方が美味しいですから」
彼女はそう言って、微笑んだ。
いつもながら優しくて、可愛い事を言ってくれるね。
ああ、きみの想い人が俺だったらいいのに。
穂積
「小野瀬!弁当はまだなの?!」
ノックも無しに扉が開いて、穂積が姿を現した。
……このデリカシーの無さ。
お前は少し彼女を見習え。
翼
「あ、室長」
穂積
「櫻井、フトシは?」
穂積の問いに、彼女は首を横に振った。
穂積
「小野瀬、連絡はしてみたの?」
穂積の問いに、俺も、首を横に振った。
穂積
「アンタ心配にならないの?携帯持ってんでしょ?かけてみなさいよ」
お前が心配なのは弁当だろ。
でも、確かに遅い。
正午に車で出掛けたのに、時計の針はそろそろ午後一時だ。
俺は携帯を取り出して、太田の番号を選んで発信した。
すると。
扉越しの廊下で、『グルメ野郎☆バンザイ』のテーマソングが響き渡った。
そして、「ひゃあ」という間の抜けた声。太田だ。
太田
「……もしもし」
穂積
「出なくていい!」
穂積が部屋から飛び出した。
穂積
「そこまで来てたら、そのまま来なさい!」
太田は空腹で磨きのかかった穂積の剣幕に震えながら、手にした袋を覗き込んだ。
太田
「ほ、穂積さん!……えーと、和食御膳でしたっけ?」
穂積
「牛焼肉弁当よ。でも、和食御膳でもいいわ」
小野瀬
「和食御膳は俺のだよ!」
油断も隙も無いな、こいつは!
穂積
「ずいぶん遅かったけど、何かあったの?」
櫻井さんに捜査室の分の弁当を選ぶよう命じておいて、穂積が太田に尋ねた。
太田
「すんません。今週開店したばかりのお弁当屋さんなんで、思ったより混んでて」
汗を拭き拭き、太田が答えている。
穂積
「……そう。事故じゃないならいいのよ。外はまだ暑いのに、行列とは悪かったわね」
弁当が届いたら、人格が変わった。何て分かりやすい奴だ。
翼
「選びました、室長」
穂積
「ありがと。何はさておき、まずはお昼にしましょ」
櫻井さんが揃えた弁当を、穂積は両手に提げた。
穂積
「じゃあね、フトシ。どうもありがとう」
太田が恐縮して頭を下げる。
太田
「お待たせして、すんませんでした」
穂積は微笑んで去ろうと背を向けて……足を止め、廊下に出た所で、太田を振り向いた。
穂積
「フトシ、ちょっと来て」
太田
「?」
近付いた太田の耳元に長身を屈めて、穂積が何かひそひそと囁いた。
すると、たちまち太田は耳まで真っ赤になって、信じられない、という様子で穂積の顔を見た。
太田
「!」
そしてその太田の顔を確かめて、穂積がにんまりと笑った。
穂積
「フトシ、捜査室の弁当は、当分アンタに頼むわよ」
太田は立ち去る穂積の背中を見送っていて、こちらからは表情が見えない。
だが、太田のシャツの背中に出来た汗染みが、どっと広がったように見えた。
太田
「じゃあ、お先に失礼しまーす」
この頃太田は帰宅が早い。
もちろん自分の仕事をきちんと片付けてからだから、俺も素直に、お疲れ様、と見送る。
丸い身体でとことこ鑑識室を出て行った太田を見送って、俺はまた、データ解析に戻った。
細野
「……御大、ご存じですか?」
細野が囁いた。
小野瀬
「んー?何を?」
細野
「太田、毎日五食、あの弁当食ってるらしいです」
俺は、思わずキーボード操作を間違えた。
小野瀬
「五食?!」
おっと、ツッコむべきはそこではないよね。
小野瀬
「あの弁当って?」
細野
「ほら、先週、捜査室と一緒に、太田に買って来てもらった。御大は和食御膳を食べたじゃないですか」
ああ、危うく穂積に奪われそうになったヤツか。
細野
「朝昼晩と三回、そこで弁当買って、十時と三時にも食べてるらしいんですよ」
太田、食い過ぎ。
だがもちろん、細野が心配しているのはそこでもないだろう。
細野
「あの、食べ物には貪欲な太田がですよ。二週間も同じ店の弁当だなんて。おかしくないですか?」
確かに、そんな事は今まで無かった。
太田は、食べる事が唯一の趣味のような男だ。
しかも、常に新しい種類の美味しい食べ物を探し求める、求道タイプの食いしん坊だ。
けれど、その点で、例の弁当には、際立った特徴は無かった。失礼だが、可もなく不可も無い、普通の弁当だ。
小野瀬
「言われてみれば、妙だね。帰宅が早い事とも、何か関係があるのかな」
細野
「……それで、ですけど。……穂積さんが、何か知っているんじゃないでしょうか?」
細野はもじもじした。
ああ、これが本題か。
細野は、太田の事を、穂積に相談する事に抵抗があるんだね。
いや。
俺が、自分の部下の事を、別の部署の穂積に相談する事に抵抗がある、と思っているんだね。
気を遣わせてしまって、ごめん。
ただ、他の人間ならいざ知らず、俺と穂積の間で、そんな気遣いは必要ない。
穂積もそうだと信じている。
小野瀬
「……確かに、穂積は最初から、何かに気付いた風だったね」
俺は、最近の、穂積と太田の様子を思い出していた。
細野
「このところ、毎日、捜査室の弁当を太田に買いに行かせてますしね」
それは、俺も知ってる。
ただ、太田の方でも意外と楽しそうに出掛けて行くので、特に注意もしなかっただけ。
むしろ、穂積と太田が、笑顔で会話している事の方が嬉しかったくらいだ。
細野
「俺も、何度か太田にそれとなく聞いてみたんですけど、はぐらかされちゃって」
小野瀬
「何だろうね。……分かった。穂積に相談してみよう」
細野
「お願いします」
細野に見送られて、俺は早速、捜査室に向かった。
捜査室には、穂積と小笠原。
俺が入って行くと、穂積はPCの向こうから、声だけで迎えた。
穂積
「櫻井なら、まだ聞き込みから帰って来ないわよ」
小野瀬
「おや、残念。じゃあ、今日の指名は穂積でよろしく」
穂積が顔を上げた。
穂積
「ワタシは高いわよ」
小笠原が、ナナコを抱えて立ち上がった。
小笠原
「俺、データ室に行ってようか」
穂積は小笠原に微笑んで、座ってろ、と手で合図した。
そうしておいて、俺を見る。
穂積
「小笠原に聞かれたくない話なら、ワタシと小野瀬が移動するわ」
確かにその通りだ。それにしても、あの小笠原が、こんな風に気を遣えるようになったとは、驚き。
小野瀬
「うーん、多分、聞かれても構わない話だとは思うんだけど」
穂積と小笠原は、顔を見合わせて首を傾げた。
穂積
「何だか歯切れが悪いわねえ。じゃ、小笠原、とりあえず他言無用で」
小笠原
「了解」
そう言うと小笠原は席に戻り、仕事を再開した。
穂積は俺を手招きして、ソファーセットの長椅子に座らせる。
それから自分は、机を挟んだ、一人掛けのソファーに座った。
穂積
「で、何だ?」
俺と向かい合ったので、穂積が、オカマモードを解除した。
小野瀬
「太田、もう二週間、毎日五食、あの弁当食ってるらしいんだ」
穂積
「五食?!」
離れた場所で、小笠原のタイピングの音が乱れた。
穂積
「食い過ぎだろ。だからフトシって呼ばれるんだ」
小野瀬
「本人の前で呼んでるのはお前だけだよ」
穂積が俺と同じリアクションだった事は、さておき。
小野瀬
「加えて、最近、やけに帰宅が早い。お前、何か事情を知らないか?」
俺は、単刀直入に聞いた。
過去の経験からして、穂積に質問する場合は、下手に技巧を凝らさない方がいい。
穂積
「知っている事は、ある」
穂積は素直に、こくんと頷いた。
穂積
「だが、プライベートな領域の話だ。太田が言わないなら、俺もお前に話せない」
真顔で答える穂積。
俺はこいつが太田のプライバシーを守ってくれる事に安心する反面、ハッとさせられた。
穂積
「ただし、お前がこの件に何か事件性を感じて心配しているなら、俺が調べて来てもいいぞ」
小野瀬
「……」
穂積の言っている事は正しい。
俺も、正直に話す事にした。
小野瀬
「……実を言うと、最近の太田の行動が不可解なのは確かだ。でも、だから事件性があるかと聞かれれば、それは分からない」
俺と細野が気にしているだけなんだから。
俺が肩を落とすと、穂積は少し考え込んでから、溜め息をついた。
穂積
「……お前、明日、フトシと一緒に、弁当買いに行ってみろよ」
小野瀬
「え?」
穂積
「そうすれば多分、分かる」
穂積は立ち上がって、室長席に戻った。
穂積
「太田に弁当を頼むのも、明日で最後にするよ。……悪かったな、小野瀬」
細野
「俺のせいです……!すみません、御大。……穂積さんにも、申し訳ない事をしました」
鑑識に帰って穂積とのやり取りを説明すると、細野は涙ぐんだ。
細野
「御大と穂積さんの仲に、水をさすような事をして。太田だって、せっかく、穂積さんと楽しそうにしてたのに」
小野瀬
「細野のせいじゃないよ。それに、穂積なら、この程度で気を悪くするような奴じゃない」
細野がポロポロ泣き出したので、俺はつとめて明るい声を出した。
小野瀬
「それより、明日、太田と弁当を買いに行ってみるよ。穂積の、精一杯の譲歩だからね」
細野は泣きながら、何度も頷いた。