赤羽の夜
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~如月vision~
(小声で囁くように)
ハイハーイ!こーちゃんだよー、じゃなくて、ベッキーでーす!
今夜、ベッキーは北区赤羽、メンズキャバクラ《ギャロップ》に来ておりまーす。
時刻は間もなく午前2時。
実はベッキー、赤羽署からの依頼で、室長と二人、風営法の摘発のお手伝いに加わってるの。
《ギャロップ》には、営業時間超過と、性的サービス提供の容疑がかかってるのよ。
赤羽署の署員たちが聞き込みを重ねて、ほぼ、風営法違反の容疑が固まったので、今日、一斉検挙が行われる事になったの。
ベッキーは、突入に備えて店内の様子を随時報告するため、メンキャバの女性客を装って、三十分前から、《ギャロップ》に潜入してるのよ。
で、店内で、キャストがお客さんにどんなサービスしてるのか見ながら、突入を待ってるってわけ。
あ、キャストってのは、接客係の事。ホストクラブならホストって言うでしょ。
端から見ると、ベッキーは、隣にキャストを一人侍らせて、ニコニコしながらカクテル舐めてるように見えるはずだけど。
実は、ピアスに見せかけた超高解像度の超小型カメラと、チョーカーに見せかけた超小型マイクとが、ベッキーの見る店内の映像をそのまま、外の仲間に送っているの。
もちろん、小笠原さん特製。
外では赤羽署の捜査員が、PCでベッキーと同じものを見ているはずよ。
でも、それがさ、スッゴいの。
メンキャバってのは、普通、お酒を提供して、女性のお客さんと歓談して、カラオケ歌ったりするお店なわけ。
現金払いが鉄則な代わりに、ホストクラブより価格がリーズナブルなのがウリ。
《ギャロップ》も繁盛していて、広くてキレイな店内はほぼ満席なのよ。すごいわねー。
客とキャストで二、三十人はいるかしら。
でもベッキー、辺りを見回してギョッとしたわ。
濃厚なキスしたり、隣に座って胸元に手を入れてるの、当たり前。
床に跪いて、スカートの中に頭を突っ込んでるのもいたわよ。それからそのう、ソファーで、抱き合う以上のコト……始めちゃってるのとか。
ベッキー清純派だから、どのサービスも困っちゃう。
て言うか、ベッキー、触られたら男だってバレちゃうじゃん。
だから、「好みと違うからゴメンね」なんて言って、逆に胸を撫でてやったりしながら、三十分間、キャストからそれとなく話を聞いたりしてる。
外では、《ギャロップ》の入っている雑居ビルの建物を囲むように、大勢の捜査員が配置されているはず。
裏口には室長含めて約十人、正面入り口の方には約十五人、さらに、周辺道路に遊撃が数名待機しているはず。
午前2時の指揮官の合図を待って、それぞれの入り口から捜査員が突入し、店の内外で、対象の確保に当たる作戦。
もっとも、居てくれてるのは分かってても、外との連絡は一切無いのがちょっと不安。
ピアスの片方は受信機になってるのに、潜入してから何も聞こえてこない。
赤羽署の指揮官って、気が利かないなあ。
うちの室長だったら、必ず「大丈夫か、如月」とか「そっちの様子はどうだ」「あと何分待ってろ」って言ってくれるよ。
こっちだって刑事だもん、キャストは送信側に座らせたし、不意に受信ピアスから声が漏れないよう気を遣ってるって。
外では2時を待ってるのかもしれないけど、内側で不測の事態が起きたらどうするのさ。
たとえば?
そう……今みたいに。隣のキャストの鼻息が荒くなってきたと思ったら、俺の膝を撫で始めた時とか。
如月
「あっ、困るぅ」
キャスト
「いいじゃん。こういうの好きで来てるんでしょ?」
笑って押し返しながら、俺は慌てて時計を見た。
午前2時01分。
えっ?!
如月
「や、やあだぁ。せっかちな人、嫌い」
内心の動揺を隠して、俺は抵抗した。ホストはちょっとだけひるんだけど、迫る手はひるまない。
キャスト
「だって、ベッキーちゃん、いいニオイがするんだもん。俺、もう我慢出来ないよ」
いやいやいや!
この状況だと準強姦だから!
脂臭い鼻先を頬に擦り付けられて、気持ち悪い。
ああ、ベッキー貞操の危機!
まさにその瞬間。辺りがざわめいた。
捜査員
「動くな!警察だ!」
正面入り口から裏口から、ワアッという喚声とともに、捜査員が一斉突入してきた。
遅えよ!
暴れる者、逃げ出す者、慌てて服を直す者。たちまち、店内は阿鼻叫喚の坩堝となった。
大騒ぎするキャストたちを、捜査員たちが片っ端から取り押さえ、連行して行く。
彼らはこのまま勾留され、赤羽署で取り調べを受ける手筈になっている。
怒号飛び交う中、女性客たち(ベッキー含む)は店の反対側に集められ、身分証の呈示だ。
俺=ベッキーが警察手帳を見せると、捜査員は敬礼してくれた。
捜査員
「如月刑事、任務ご苦労様です」
俺も敬礼を返した。
はー、やれやれ。
とにかくもう、メイクを落としてお風呂に入りたい。
室長はキャストを連行して赤羽署に行ってしまっただろうから、俺はその捜査員に事情を話して、警視庁まで送ってもらう事にした。
警視庁でシャワーを浴びて、パンツ一丁で仮眠室に寝転がる。
あー、疲れた。
室長はまだ頑張って取り調べしてると思うと申し訳ないけど、俺はもう疲れて、そのまま朝まで、泥のように眠ってしまった……。
*****
小野瀬
「あ、ここにいた」
翌朝俺は、探しに来た小野瀬さんに揺り起こされた。
小野瀬
「如月くん、……如月くん」
柑橘系の爽やかな香り、そして小野瀬さんの笑顔。
起こされたにも関わらず、俺は気分よく目を覚ました。
ああ、よく寝たあ。
如月
「おはようございます」
小野瀬
「起こしてごめんね。ゆうべはお疲れ様」
どうやら、赤羽のメンキャバ摘発の事を言っているらしい。
如月
「いやホント、突入があと1分遅れたら、ベッキー貞操の危機でしたよ」
小野瀬さんは声を立てて笑った。
如月
「ところで、室長は?俺、全然会えなかったんですけど」
小野瀬
「まだ、赤羽署だよ。これから迎えに行くつもりなんだけど、一緒にどうかと思って」
やっぱり、赤羽で徹夜だったんだ。俺は寝たのに。
如月
「行きます」
小野瀬
「うん、じゃあ支度してね」
小野瀬さんに借りた白衣を着て捜査室に戻り、ロッカーから出した着替えを身に付ける。
念のため室長の着替えも持ったら、さあ出発だ。
*****
如月
「それがー、そいつ臭いし、脂っこいしー」
車を運転してくれる小野瀬さんに、俺はゆうべの顛末を話していた。
如月
「膝を撫でてきた時には、腕を捻り上げてやろうかと思いましたよ!」
笑いながら聞いてくれている小野瀬さんは、早朝の光を浴びて、キレイな顔がきらきら輝いている。
如月
「店内には二、三十人いましたから。赤羽の留置所、満杯なんじゃないですか?」
小野瀬
「……そのようだよ」
そう言いながら、小野瀬さんはまた、声を立てて笑った。
小野瀬
「……ごめん、如月くん」
如月
「はい?」
小野瀬
「っは、もう駄目だ、我慢出来ない!」
如月
「な、何ですか?」
小野瀬さんはいきなり左にウインカーを出して、車を路肩に寄せた。
停車と同時にハンドルに顔を突っ伏し、そのまま笑い出す。
俺はビックリした。
如月
「ど、どうしたんですか?」
俺は、震える小野瀬さんを覗き込んだ。
その時。
小野瀬
「あっはっはっはっは!」
小野瀬さんは、弾かれたように顔を上げ、大笑いを始めた。
ひーひー言いながら、目には涙まで浮かべて、腹を抱えている。
如月
「小野瀬さん」
小野瀬
「穂積の奴……メンキャバの店内に突入した時……正面入り口からの捜査員に……キャストと間違えられて……」
如月
「はあ?!」
小野瀬
「た、逮捕されちゃって……そのまま勾留」
小野瀬さんは笑い過ぎで、呼吸困難に陥っている。
えっ?!
如月
「室長が捕まっちゃったんですか?!」
小野瀬さんは何度も頷いた。
小野瀬
「……一時間ほど勾留されたところで、やっと、捜査員が穂積の警察手帳を確認したらしい……」
小野瀬さんはゲラゲラ笑っているが、俺はまだ状況が飲み込めない。
小野瀬
「さあ、赤羽の警察署長まで出て来て、みんな平謝りだ。……しかし今度は、穂積の方が怒って留置所から出ない」
如月
「……」
何か、想像がつく。
小野瀬
「今の赤羽署長は、警視だからね。階級が同じなら、警視庁の穂積の方が偉いんだよ」
うわー。
小野瀬
「だから、無理矢理引っ張り出す事も出来ない。……で、今朝早く、警視庁に助けを求める電話が入ったわけ」
如月
「……」
……さすが室長。
小野瀬
「刑事部長も大笑いで、付き合いの長い俺に、『穂積を連れ戻してくれ』って白羽の矢が立ったんだ」
誰の謝罪も懇願も受け付けず、留置所にふんぞり返っている室長の姿が目に浮かんだ。
小野瀬
「だけど、如月くんの方がさらに適任だと思ってね、連れて来たわけ」
そこまで話して、ようやく、小野瀬さんの発作はおさまってきた。
滲んだ涙を指で拭く。
小野瀬
「さあ、行こうか。穂積に会うのが楽しみだ」