月
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
~穂積vision~
業平工業の爆発があった夜。
櫻井の病院から帰って来た小野瀬に、俺は電話で呼び出された。
いつものバーのカウンターで待っていた小野瀬は、真顔で俺を迎えた。
……長い付き合いだが、こんな表情で迎えられた事は無かったな。
電話で小野瀬の声を聴いた時から、胸騒ぎがしていた。
こいつが今から話す事を、おそらく俺は知っている。
小野瀬
「……彼女に会って来た」
俺が二杯目の水割りを半分ほど呑んだ頃、初めて、小野瀬が口を開いた。
小野瀬
「……怪我をさせて、すまなかった」
穂積
「報告は受けた。櫻井の判断だ」
明智から聞いた。
小野瀬と一緒なら死んでもいい。
そう言って引かなかったと。
小野瀬
「穂積……」
穂積
「だからもう、謝るな」
グラスを持つ俺の手が、微かに震えていた。
小野瀬がそれを見ている。
小野瀬
「……彼女が好きなんだ」
知ってる。
小野瀬が櫻井を好きな事も。
櫻井が小野瀬を好きな事も。
その櫻井を、小野瀬がどう扱って来たかも。
櫻井が何度、一人で泣いていたかも。
俺はずっと、見てきた。
小野瀬
「お前が、彼女に特別な想いを抱いてる事、俺は知ってた。……でも、彼女の事を知るたびに、惹かれていくのを止められなかった」
堰を切ったように、小野瀬が喋り始めた。
小野瀬
「……今日、倒れている彼女を見た時、失いたくないと思った。誰にも渡したくない、と思った」
俺の腕を掴んだ小野瀬が、真っ直ぐに俺を見据えた。
小野瀬
「たとえ、それが、お前でも」
こんな小野瀬を初めて見る。
こいつはもっと、冷静で、余裕で、ニコニコ笑っているはずじゃないのか。
小野瀬
「すまん」
今、目の前の小野瀬は、情けないほど真剣で、必死で、俺に許しを乞うていた。
小野瀬
「……すまない、穂積。……許してくれ」
俺の中で、何かが切れた。
穂積
「謝るなと言っただろう!」
俺は縋る小野瀬の手を振り払って、怒鳴っていた。
穂積
「……お前、何様のつもりだ」
握り締めた拳が、激昂のあまり震えて、食い込んだ爪が血を滲ませる。
穂積
「俺が許すと言えば、満足か。俺が許さないと言ったら、櫻井を諦めるのか。ふざけるな!」
怒りで頭の中が冷えていく。今、小野瀬が何か言ったら、殴りとばしてしまいそうだった。
穂積
「何年もただ見ていただけの俺に、お前を裁く権利があると思うか。そんな理由で、これ以上まだ櫻井の気持ちを揺さぶるつもりなら、小野瀬、俺は本当に、お前を許さない!!」
ありったけの声で叫んで、俺は拳をカウンターに叩きつけた。
大音声の後、しん、と店内が静まり返る。
小野瀬は瞬きもせずに、俺を見ていた。
いつの間にか立ち上がっていた俺は、やがて、吐息とともに脱力して、スツールに腰を落とした。
そのまま、ぐずぐずとカウンターに突っ伏す。
疲れた。
しばらくそうしていたら、背中に、小野瀬の馬鹿野郎が手を乗せた。
触るな。
泣いてるわけじゃない。
小野瀬
「……これから、一緒に生きてくれるか、と聞いたよ」
俺は、目を閉じた。
小野瀬に聞かれた時の、櫻井の顔が見えるようだった。
穂積
「……ずっと一緒にいます、って言ったろ。そばにいていいなら、って」
小野瀬が息を呑む音が聞こえた。
小野瀬
「……穂積……どうして」
穂積
「お前は本当に馬鹿だな」
自分の事ばかり考えて。回り道をして。櫻井を泣かせて。
櫻井の気持ちも知らないで。振り回して。命まで賭けさせて。あげくに櫻井にそこまで言わせるなんて。
俺は頭を上げて、マスターが置いてくれたロックのグラスをあおった。
くそ。
酔わない身体が恨めしい。
穂積
「……時間をくれ、小野瀬」
俺はもう一度、カウンターに突っ伏した。
小野瀬
「いくらでも、待つよ。……でも、何の為の、時間?」
穂積
「お前をぶん殴る気が失せるまで」
突っ伏したままの俺が言うと、小野瀬の声が震えた。
小野瀬
「……殴ってくれればいいのに」
穂積
「櫻井が泣く」
俺が小野瀬と喧嘩したら、櫻井が悲しむだろう。
櫻井は俺の想いなんて知らない。
知らないままでいい。
俺は上司で、職場のお父さんで。
それでいい。
今なら戻れる。
小野瀬に会計を任せて、俺は一人で外に出た。
十六夜の月を見上げながら、櫻井の事を思う。
初めて会った時の、笑顔。
俺は、あの顔が好きだった。
見つめるだけの恋だった。
月に焦がれるように。
追い付いた小野瀬が、歩調を合わせて歩き始めた。
小野瀬
「……穂積」
穂積
「何だ」
小野瀬
「……幸せにするよ」
穂積
「当たり前だ、馬鹿」
聞いたか、櫻井。
小野瀬を信じろ。
俺も信じるから。
歩きながら、俺は月を見上げた。
初めて会った時の、笑顔。
俺は、あの顔が好きだった。
これからも笑顔でいてくれ。
俺はその顔が好きだから。
俺が見守り続ける事を、小野瀬は許してくれるだろう。
櫻井。
俺は、お前が好きだった。
~END~